社会問題になっているバイトテロの動画を見てみると、どれも男の子たちによる小・中学生並の悪ふざけばかりである。あの年代にありがちな仲間内でのいきった感じや、社会通念や常識を足蹴にすることによって心を満たしているような感じが見てとれる。「やってはいけない」ことを「あえてやる自分」への満足感、そのように破天荒で面白い自分を周囲に見て欲しい、笑って欲しいという承認欲求--。一言でいえば厳しい社会に参画してくる以前の未完成な子どもであり、反抗期の尾を残しているのだろうか? と思うような幼稚な光景だ。
そのように大人から見て「バカだなぁ…」と思うことが、本人たちにとっては無性に面白いことだったり、とくに精神的に幼いとされる男の子がハメを外しがちなのは、いつの時代も変わらないのかも知れない。しかし事が事だけに、場所や限度を間違え、しかもSNSで発信される世にあって、親をも巻き込んで莫大な賠償問題に発展したり、「バカだなぁ…」では済まされない事態に発展しているのである。恐らく「うちの息子もひょっとして…」と心配になった親御さんたちは、ニュースを見ながら口を酸っぱくして我が子に忠告しているのだろう。「悪ふざけでは済まないぞ」と--。
担い手不足が顕著であることや貧困化の浸透もあって、今やあの店でもこの店でも、外国人と並んで高校生や大学生がバイトとして戦力になっている。大人ではない彼らを企業側も安いバイト代で使い回し、おかげで利潤を稼いでいる関係だ。企業としてはバイトテロの被害者のような面をするだけではなく、雇った者として育てる責任を果たしていたのかも問うべきだろう。安かろう、悪かろうの延長線上で、バイト学生が刺身の柵をゴミ箱に放り込んだのと同じように、今度は彼らをゴミ箱に放り込むというのではあんまりだ。
夜の居酒屋では、厨房を外国人実習生が担い、ホールの接客を十代だけで回しているようなところもあって驚く。そんな若者たちすべてが幼稚なわけではない。苦労しながら仕事をこなしてバイト代を家庭に入れたり、みずからの進路のために貯金したり、しっかりしている子も多分にいる。ところが前述したように、なかには小中学生並の悪ふざけを高校生になっても大学生になってもやっている「子ども」がおり、あたりまえの社会的規範や規律の備わっていない状態、すなわち教育が十分に施されていない状態で社会に参画し、遊びやふざけと仕事との境界線がなく、後先考えない言動に及んで後の祭りとなっている。彼らに必要なのは、まずやって良いことと悪いことを判別させることであり、反社会性については厳しく律して教育する力が加わること以外にはない。
教育現場が“子ども天国”といわれるようになってから、すでにだいぶ時が過ぎた。個性重視が叫ばれるもとで「そのままの君でいいんだよ」といわれ、大人や教師の側が子どもたちを厳しく律することがはばかられ、むしろ教師が子どもや親から抑圧されているような逆転現象も珍しくない。下手をすると体罰あるいはイジメで槍玉に上げられるのを教育者が恐れ、声の大きなモンペ(モンスターペアレンツ)の存在に怯え、「鍛えてはならない」という圧力のもとで指導力を削がれ、そうやって行き着いたあきらめの境地“子ども天国”とは、未熟な子どもの放し飼いだった。規制されずにやりたい放題で育った挙げ句、親にも生意気をいう子どもたちが社会をなめきったまま調子に乗って、それこそ個性を発揮してバイトテロをやってしまう。結果、膨大な損害賠償を請求されて親ともども泣きを見るというのである。彼らを育てる力が問われているように思う。 吉田充春