上水道の普及率が97%に達している水道先進国の日本社会では、全国どこでも水道の蛇口をひねると飲み水が出てくる。この当たり前の日常が奪われるのがどんなに辛いことか、周防大島町の断水がまざまざと教えている。1カ月以上にもわたって住民は重たい水を給水所から運び続け、高齢者は幾人も水運びの際の圧迫骨折で病院に担ぎ込まれるなど、難儀な思いをしてきた。同じような事態が都市部で起きたらどうなっていたか、井戸水もなく地域の相互扶助の機能が弱い街ならどうなっていたか、想像するだけでも恐ろしいものがある。
送水管がつながり配水池から各家庭に水が届き始めたことで、ようやく希望が見えてきた。まだ全世帯への送水完了とはいかないものの、ゴールが見えてきたことへの安心感は言葉にあらわせないものがあるようだ。この40日近くに及ぶ住民の苦労を、水道に満たされた環境にある者に理解せよといっても恐らく難しい。食事、洗濯、風呂、食器洗い、トイレなど何をするにも水は必要だ。その度に給水所までとりに行き、重たい20㍑缶(20㌔)を運んでもあっという間になくなることを、日常生活に重ねて想像してみてほしい。「蛇口をひねれば」を実現した水道事業の近代化の恩恵や、水そのものの有り難さにあらためて目を向けたい。
今回の断水は、橋が完成して以来、想像していなかったような前代未聞の船舶事故によって引き起こされた。まさか大畠瀬戸のような難所を巨大貨物船が航行しようなど誰も考えたことがなかった。しかし、その誰も考えていないようなことを考え、無謀にも航行したのが問題の貨物船だった。そして、1万6000人の暮らしが揺さぶられた。外航船の雇われ船長が50万円の罰金を払って済む問題ではなく、その雇い主や船舶所有者であるオルデンドルフ・キャリアーズ、航海計画に口を挟むべきだった代理店の責任も問われて然るべきだ。
目下、橋の復旧費には28億円かかったのに、賠償責任の上限を定めた「船主責任制限法」が適用された場合、海運会社の賠償額は最高でも24億円になっていることが報じられ、「そんなバカな話があるか!」と関係者の誰もが「法的な解決」の在り方に疑問を抱いている。橋の復旧費はおろか、1カ月以上にも及ぶ住民生活への損害賠償もどうなるかわからない…という及び腰な空気が県庁界隈から伝わってくるのである。国境を越えた問題解決の力が試されているのに、政府や中央省庁の関わりが乏しいのも特徴だ。昔から岸・佐藤の選挙区で、大島大橋は「佐藤大橋」などと呼ばれてきたが、七光りで地盤を引き継いだ代議士たちもその程度の熱量なのだろう。
地震でも火山噴火でも豪雨でも津波でもなく、船が大島大橋に衝突したことが全ての原因であり、事故後の給水活動や水運びも、本来ならオルデンドルフ・キャリアーズが企業の社会的責任においてやらなければならないものだ。それを各自治体の給水車が応援にかけつけ、ボランティアや消防団、民生委員が身を粉にし、無償奉仕で成り代わって急場を支えてきた。従って、かかった費用も含めて相応の負担をするのが当然だろう。世界三大用船会社がどのような対応をするのかは曖昧にできない。仮に営利のためには他国のインフラや住民の暮らしを破壊しても構わないという企業体質が明らかになった場合は、おおいに国際問題にして、領海への立ち入りを禁止するくらいの厳しい措置が必要だ。その度に破壊されたのではたまらない。
折しも国会では水道民営化を審議している。今回の一件を通じて、水を地方自治体が維持管理し、事あれば近隣から駆けつける応援体制があることなど、誰もがその強みを痛感した。仮に私企業が水道事業の運営権を委ねられた場合、給水所の給水車は自治体ではなく私企業に業務発注しなければ来ないのか? そこで配られる水も料金制になるのか? 「水戦争」で知られるボリビア・コチャバンバのように、住民が貯水槽に溜めた雨水を使うことも料金請求されるのか? など、さまざまな疑問が脳裏に浮かぶ。水を私企業のビジネスの具にすることは危険極まりない選択だ。 吉田充春
おっしゃる通りだと私も思います。