いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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ガザ戦争の停戦の為に日本は何ができるのか――「今こそ停戦を!」シンポジウム3より 東京外国語大学名誉教授・伊勢崎賢治

伊勢崎賢治氏

 「国際秩序」という言葉がある。「国際秩序を乱す輩は敵だ」という文脈で、戦争の“正義”にかかわる言説の中で盛んに使われる言葉だ。それは具体的には、国連憲章ということになるだろう。その中で最も重要なものが51条だ。

 

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」(国連憲章第51条)――いわゆる「自衛権」を定義するものだが、これが大国の侵略にいかに利用されてきたか。この四半世紀を総括する。

 

アフガン戦争―米NATOの完全敗北

 

 まずは、アフガン戦争。2001年の9・11同時多発テロを受け、その主犯アルカイダを匿うタリバン政権にアメリカが報復攻撃した根拠は個別的自衛権だ。しかし、国際慣習法が戒める「比例原則」を完全に無視し、タリバン政権を壊滅するまで空爆し報復を完了する。その後、占領政策として軍事駐留を継続。後にNATOが参戦するも、20年後、復活したタリバンに敗北し、2021年8月にアフガニスタンから敗走した。

 

 「比例原則」とは、自衛権行使の要件が満たされ反撃が正当化されたときに、その「烈度」を戒めるものだ。攻撃する敵=軍事目標の価値と、それに伴う市民への第二次被害は“許容範囲”でなければならない。それを超えた行動の結果は、戦争犯罪と称されることになる。いわゆる“倍返し”を諫めるものだ。

 

 タリバンとの停戦交渉は、この戦争がアメリカ建国史上最長の戦争になりかけていた2005年ごろから始まる。最初の口火を切ったのはアメリカ自身ではない。戦後初めて陸軍を海外派兵したものの、一向に出口が見えず、国民の厭戦気分が抑えられなくなっていたドイツだ。僕はドイツ政府の依頼で、二度NATOの会議に出席し、「停戦と移行期正義」(後述する)の可能性について問題提起した。そのときは「テロリストと妥協するなんて」というヒステリックな反応が支配していたが、それは時間を経るごとに変わってゆく。

 

 ブッシュ政権末期には、「恩赦法」がアフガン政府のカルザイ大統領によって発令される。タリバンの戦争犯罪をすべて許し、停戦と政治的和解を促す、ということだ。

 

 オバマは、「(アフガン戦争に)軍事的な勝利はない」と公言した最初の大統領だ。そしてタリバンとの交渉を開始する。しかし、それと矛盾するように、タリバンのリーダーたちを次々とドローンによって殺害していった。アメリカ国民に対して、「弱い大統領」という印象を与えたくないからだろう。しかし、これは軍事的に劣勢な立場で和解を提案する側のおこないとしては、不誠実極まりない。そうこうしているうちに、いつしかこの戦争は、「ブッシュの戦争」から「オバマの戦争」と呼ばれ、泥沼化してゆく。

 

 そして、トランプ政権。彼は、基本的に何でも損得で考えるのだろう。「この戦争をダラダラと続けることは、何の得にもならない」と。ここから、アメリカの戦争目的は、Win(勝利する)ではなく、Exit(撤退する)になってゆく。なんとアメリカはアフガン政府抜きで、タリバンと直接交渉を始める。

 

 そして、バイデン政権だ。2021年4月に、「9・11」を記念し、その年の9月11日までの米軍撤退を宣言した。それもNATO諸国とまったく調整せずに。アフガン民衆が、アメリカの傀儡(かいらい)であるアフガン政府を見限らないわけがない。人心掌握に長けたタリバンに、すべてが好転してゆく。首都カブールが1日で陥落することなど誰が予想できただろうか――。

 

アフガンの首都カブールの大統領府を占拠したタリバンの戦闘員たち(2021年8月16日)

 タリバンのコアファイター(中核の兵力)は5、6万人といわれる。自動小銃、RPGなどの軽武装で戦ってきた連中だ。対して、アメリカ・NATOが手塩に掛けてつくってきたアフガン国軍は30万人。プラス、アメリカとNATO軍がこれに完敗してしまった。2年前の8月15日だ。

 

イラク戦争―証拠捏造し先制攻撃

 

 そして、イラク戦争。“サダム・フセイン政権がアルカイダと共謀し、大量破壊兵器を保持している”という主張のもと、個別的自衛権を拡大解釈した先制攻撃によって同政権を壊滅させ、占領政策として戦争を継続した。

 

 後にアメリカ自身によって、その先制攻撃の根拠となった証拠はすべて否定された。
 米軍は、イラクにおいてISISを含む「インサージェント(非正規武装組織)との戦い」の試行錯誤から、「民衆の人心掌握」を主軸にする、陸戦ドクトリン「COIN」 (Counter-Insurgency)を結実させる。しかし、実際の戦況は混乱を極め、アフガン戦争に先行する形で主戦力を撤退し、イラクの混乱は今日に至る。

 

引き倒されるサダム・フセイン像(2003年4月、バグダッド)

ウクライナ戦争―内戦に起因する代理戦争

 

 ウクライナ戦争。ウクライナ国内の親ロシア系国民の自決権の保護を名目にした「集団的自衛権の行使」がプーチンの口実だ。この集団的自衛権は、ロシアに限らず、歴史上、何度も大国によって利用されてきた。それは常に、国連憲章73条(自決権の保護のための国連による非自治地域指定)の精神を悪用した侵略行為であった。

 

 国家主権は大切で、それを地理的に定義するのは領土・領海・領空なので、その安全の保障と自衛が大切であることは、議論の余地がない。しかし一方で、その領有権をめぐって戦争が起きるわけだ。それを何とかするのも国連の使命だ。

 

 そして、そういう係争地域には、往々として、マイノリティーと目される人々が居住し、歴史的に自決権を求めている。そういう運動が政権によって抑圧されると、強い社会運動になり、「独立」を求める武力闘争になる場合がある。そこに近隣諸国や大国の政治的、経済的利益が介入し、代理戦争の様相を呈する。

 

 そして、民衆への人権侵害が増大し、国際社会は「人道的危機」と目するようになる。そして、国連の「非自治地域指定」というメカニズムが発動され、人権侵害を止める努力が始まる。

 

 冷戦時代からインドネシアからの分離独立運動をやり遂げ、2002年に独立を果たした東ティモールは、そんなケースの一つだ。僕はその独立前、国連が一時的にその主権を預かった時に県知事の一人に任命された。

 

 インドネシア軍と警察、それが操る民兵たちによって、現地人に対する大量殺戮が起きた。冷戦時代には、独立派は「テロリスト」「アカ(共産主義者)」と呼ばれており、日本を含む西側は、インドネシア政府を全面的に支援し、軍事供与をおこなった。そして、西側メディアは、大量虐殺の事実に沈黙を貫いた。冷戦が終わると、そういう西側の態度は、てのひら返しのように独立支援に変わる。

 

 ウクライナ戦争においてロシア軍が犯した戦争犯罪や大量殺戮はもちろんだが、それ以前に「ドンバス内戦」中に起きた親ロシア派の人々に対する人権侵害が、それと対比して認知され、和解というコンテクスト(文脈)で、ウクライナの真の平和が語られるのは、もはや時間の問題である。

 

 ここで認識されなければならないのは、「力による現状変更を許さない」という言説だけが国連憲章の「正義」ではないということだ。

 

ガザ戦争―避けられぬハマスとの対話

 

イスラエル軍の猛爆を受けて壊滅したガザ地区リマル地区(22日)

 そして、ガザ戦争だ。半世紀以上をかけて拡大してきたイスラエルによる軍事占領の中で、苦痛に耐えかねた被占領者の一部が過激化し、“テロ事件”を引き起こした……この戦争の経緯を簡単にまとめるとしたら、こうなる。

 

 紛争の当事者であるハマスは、2006年のパレスチナ総選挙で、ガザ・ヨルダン川西岸地区の両方で勝利した、れっきとした「政体」だ。同じように「テロリスト」と喧伝されたタリバンには民主選挙を経た経緯はないので、その意味でハマスはタリバンよりも「政体度」が高いといえる。

 

 イスラエルの軍事占領といっても、その所業は、入植者つまり民間の武装を支援しながら、半世紀以上をかけ、パレスチナ人から土地を収奪してきたものだ。言い方が悪いが、“強盗行為”の中で受けた被弾が、はたして国連憲章第51条の個別的自衛権の行使の要件を満たすものかどうか。早急の法学的検証が必要だ。日本の国際法学者と日弁連を含む法曹界は、この問題についての声明くらい出すべきだ。

 

 国連憲章51条の要件とは、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には(つまり領土内への攻撃)」であり、イスラエルにとって武力攻撃を受けた場所が、正当な領土内であるかどうかの問題があるからだ。僕は、イスラエルにはバイデンがいう「自衛の権利」はあるかもしれないが、それは国連憲章上で謳われる個別的自衛権とは違うものだと考える。

 

 加えて、被占領者全体に及ぶ「比例原則」を完全に無視した攻撃、そして、その生活路を完全に遮断する行為は、国際人道法が最も戒める「集団懲罰」に当たることは、今回、国連事務総長が異例の発言をした通りだ。

 

 破壊する目標の軍事的価値と市民の巻き添え被害の「比例原則」を戒めるのが国際人道法である。アフガニスタン赴任中に、アメリカ・NATO軍の作戦室で、僕が垣間見たのは、予定する軍事作戦(特に空爆)の一つ一つに「比例原則」の許容性を計算し、その横では軍事法務官が、その逸脱の蓋然性を繰り返し吟味し、作戦を決行する姿だった。しかし、それでも市民への被害は止めようもなく、国際世論を敵に回したことは記憶に新しい。

 

 友人のアメリカNATO軍を退役した幹部たちが、今回のイスラエルのガザ攻撃について口を揃えるのは、「こんな密集地に、こんな短時間で、あれだけの量を落とすのか」だ。特にアフガニスタン・イラク両方の作戦室に勤務した一人は、「比例原則の無視を“前提”とした軍事作戦としか思えない」と指摘した。

 

 イスラエルは「事前通告」を盾に攻撃を正当化する。だが、逃げきれないことが明白な状況で、これは免罪符にはならない。国際人道法が戒めるのは、事前通告の有無ではなく、あくまで攻撃の「結果」である。そもそも、ガザ人口の半分の100万人の強制移動そのものが国際人道法違反、つまり戦争犯罪だ。

 

 日本のメディアでは、イスラム学、安全保障論の研究者の一部に、“ハマス殲滅”を掲げ、戦闘の継続を支持する声が聞かれる。「国家の安全保障のためなら人間の安全保障の否定も厭(いと)わない御用学者」に成り下がっている。残念としか言いようがない。

 

 アフガニスタンで、タリバンの復活が認識され始めた頃、僕のカウンターパートの米陸軍中将が言ったことを思い出す。「こっちの戦争計画は大統領の一任期に縛られるが、あっち(タリバン)はそうじゃない。最初から勝負にならない」。“ハマス殲滅”を言い募る学徒は、これを胸に刻むべきだ。これが軍人の本音だ。

 

 ガザ戦争の開戦からすでに2カ月以上が経過した。アメリカは依然として「イスラエルの自衛の権利」を保護し、安保理決議において「停戦」の一言の挿入を妨害するために拒否権を使い続けている。しかし、すでに国連総会では「人道休戦」が採択されたように、停戦へ向かう動きは始まっている。希望的な観測に過ぎないが、第二次中東戦争のときと同じように国連総会が発動する「平和のための結集決議(Uniting for Peace)」が実現するかもしれない。

 

 いずれにせよ、その動議を牽(けん)引するリード国の出現が待たれる。第二次中東戦争の時はカナダだったが、今回はおそらく、ハマスやヒズボラと中立な関係を維持し、現在も「捕虜交換」の交渉の鍵を握っているカタールを中心に、中東諸国がリードする可能性が高いと思われる。

 

 現在のところ、人道援助の搬入に続いて、捕虜交換しか戦闘の停止を実現する糸口はなさそうだ。イスラエル、ハマス双方の兵力を引き離して「緩衝地帯」をつくり、国際監視団を投入する、ある意味で標準的な停戦のモデルが果たして実現可能なのかどうか、現時点ではわからない。

 

 ネタニヤフは、地上侵攻完了の後、ガザ東部において、イスラエル軍による、期限を設けない軍事統治を示唆し始めた。

 

 外交上はあくまで「二国家解決」を謳うアメリカを気遣い、おそらく傀儡化させたパレスチナ自治政府を通じて形の上では民主的に見える統治を確立し、イスラエル治安部隊の駐留を継続させることが予想される。

 

 しかし、アフガニスタンを先行事例とすべきである。我々は、民主主義で生まれた政体でもないタリバンを、テロリストというレッテルで徹底的に「非人間化」し、戦争を挑んだ。しかし、20年間をかけて敗北し、今ではタリバンは、より過激なテロ組織と戦うために、我々の側に付くように「対話」しなければならない相手になった。

 

 タリバンを一度倒した2001年当時、アフガン暫定政府の創設において、国連を代表したラクダール・ブラヒミ特使は、後に述懐した。「2001年当時は不可能と思われたが、今考えると、あのときタリバンの代表を新政権に参加させるべきであった…」(2005年)と。

 

 当時はアメリカの反対でできなかった“後の祭り”だ。9・11同時多発テロの憎さ余って、タリバンを徹底的に排除したことへの後悔である。

 

 アメリカが、その20年の対テロ戦争の試行錯誤の中で陸戦ドクトリンとして結実させた通称「COIN」は、「ゲリラよ、民衆の海を泳ぐ魚たれ」と毛沢東が諭す戦略を逆手に取ることがベースになっている。

 

 ゲリラが最も得意とするのは、正規軍による民衆への第二次被害を敢えて誘導し、その非人道性を際立たせ、国内外の世論を味方につけることだ。ガザ戦争が始まってから、西岸地区のパレスチナ人のみならず、これまで政府としてはハマスと距離を置いていた中東諸国においてでさえ、ガザの人々が被る惨状に怒る民衆を抑えることはできない。ハマスの支持率は上がっている。

 

 イスラエル軍のガザ侵攻の結果がどうなろうと、ハマスは、すでに勝利しているのだ。くり返す。ハマスはすでに勝利している。

 

ガザの人道停戦決議を賛成153カ国の圧倒的多数で採択した国連総会(12日、ニューヨーク)

停戦に欠かせぬ営み 移行期正義への理解を

 

 最後に、「平和」と「正義」について話す。前述した「移行期正義」のモデルになったケースだ。

 

 1999年7月、アフリカ、シエラレオネで、その後の国際司法の議論に多大な影響を及ぼす停戦劇があった。悪名高きテロリスト集団「RUF:革命統一戦線」vsシエラレオネ政府、そして周辺国を巻き込んだ10年に及ぶ内戦に終止符を打った合意だ。

 

 5万人以上の一般市民、妊婦や子供、そして乳幼児への虐殺を繰り返し、それだけでは足りず敢えて手足を切って生かすことまでやった絶対的悪魔と、その戦争犯罪を、なんと「完全恩赦」して、そのテロリストのトップを副大統領に据える「連立政権」をつくった合意だ。

 

 この合意を基に、国連PKOとして武装解除を進めた責任者が僕だ。この時、戦争犯罪者たちに政治的恩恵まで与えて作業を進める現場の僕たちが、ジュネーブのもう一つの国連(欧州本部)を含む、いわゆる「人権正義派」から「不処罰の文化」の誹(そし)りを、時には口汚い言葉で浴びたのは、いつもの通りだ。

 

 武装・動員解除の完了後、テロリストだけでなく政府側が犯した戦争犯罪をも審議する戦犯法廷が立ち上がり、11年をかけて2023年に閉廷した。そもそも、この悪魔との停戦合意を調停したのは誰だったか?

 

 国連ではない。シエラレオネ人のディアスポラたちの強いロビーグループが国内にあるアメリカだ。それも民主党ビル・クリントン政権だ。

 

 僕は、アフガン戦争の停戦のロビー活動の中で、NATO、そしてアメリカ政府の代表たちとの協議で、このケースをよく引き合いに出した。「タリバン・アルカイダの所業を上回る戦争犯罪を犯した絶対悪魔を、シエラレオネ人に“許させ”、対話と交渉によって平和を導いた。それもアメリカの主導で。アフガニスタンでできない訳がない。アメリカの勇気ある思慮と決断次第だが。さもなくば、この対テロ戦争は永遠に続く」と。

 

 人間には、本当にあらゆる対話が不可能で、本当に人間以下の集団がいるのかも知れない。そういう実体を、我々は、少なくとも概念として、未来に備える“正義”のために常に希求するのだろう。しかし、あまりにも度が過ぎると、それはいわゆる「安全保障のジレンマ」に我々を陥らせ、開戦を結果させ、そして、開戦した戦争が大量破壊兵器の使用や民族浄化など壊滅的な結果を引き起こす前に「撃ち方やめ」=停戦を合意させる、その可能性を奪ってゆく。

 

 戦争は避けられない人間の性だと認めざるを得ないのが現実かもしれない。しかし、世界を巻き込む二つの大きな戦争が進行する現在、“正義”を言い募る言説が荒れ狂う中で、今ほどCease All Fire Now!(すべての戦火を消せ!)を求める言説が必要な時はない。

 

 それは、たとえそれが悪魔であっても、対話が可能な人間であると認識し、交渉することにほかならない。「正義派」から、いつものように執拗な非難に晒されたとしても、だ。

 

 人権という概念を守るためには、残念ながら起きてしまった戦争犯罪を含む重大犯罪について、真摯に粘り強く証拠集めをし、戦犯法廷で被疑者(人権を考慮しながら)の罪を裁いていくことは絶対に必要なことだ。「移行期正義」とは、それらをチャラにするということではない。戦争が日常になり、停戦や和平が構築されていない状況下で、なんとか正気を保ち、傷付けられてしまった人権を回復し、平和の実現に繋げていくための重要な営みだ。それは粘り強く実践されている。

 

 今日本がやるべきことは、「イスラエルは非人道的な攻撃をやめよ」を訴えることはもちろんだが、そのために必要なことは、「ハマスを政体として認める」ことだ。

 

 かつて、アラファトPLO議長が西側先進諸国からテロリスト扱いされていた時期、彼を日本に招聘したように。また、緒方貞子氏(日本人初の国連難民高等弁務官)の功績であるが、JICAを通じて、同じくテロリスト扱いされていたモロ・イスラム解放戦線(フィリピンの過激派)との和平工作の口火を切ったように。日本にはそのような外交の素質があった。今となっては息絶えて久しいが、それでも日本にはその素質がある。

 

(元アフガニスタン武装解除日本特別代表)

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