本紙は7~9日にかけて沖縄県内の読者・支持者とともに、今月30日におこなわれる沖縄県知事選の争点と展望を描いた号外『オール沖縄vs東京司令部の真っ向勝負』を沖縄本島全域に3万部配布した。那覇市を中心に、名護市、沖縄市、宜野湾市、浦添市、豊見城市、糸満市までくまなく戸別配布し、県民の強い関心を集めた。翁長知事が急逝するなかで迎える今回の知事選の争点をめぐり、号外を受けとった県民からは深い問題意識が語られた。
号外配布の過程では、今年2月に県内で配布した号外『名護市長選挙の全貌を解明』を読んだ県民も多く、「いつも楽しみにしている」「また来たんだね」と親しみ深く号外を受けとって「ご苦労様」「絶対に負けられない選挙になる。しっかり配って真実を伝えてほしい」などの声をかけられた。また、読んだ後に、友人や知人、隣近所に配るために「もう何部かもらえないか?」と受けとりに来る人もいた。知事選への強い関心と繋がって号外は県民の手から手へと広がっている。
那覇市の食料品店を営む70代の婦人は、「オール沖縄vs東京司令部の真っ向勝負」の見出しを指さして、「本当にこの通りだ。戦争を招き込むような基地は絶対につくらせたらいけない。私も沖縄戦のときはまだ3歳くらいだったけど、母親の背中に負われて佐敷町(現在の南城市)の収容所に向かう途中で正面から米兵に射撃されて母親が亡くなり、背中の私は生きながらえた。叔父も艦砲の破片を受けて即死している。親がいないから戦後はたいへんな苦労をしたが、今は亡くなった人たちに生かされていると思っている。今の政治は戦争に繋がるようなことばかりしているが、辺野古に基地をつくらせたら沖縄はまた戦場になる。国に負けないように頑張らないといけない」と語気を強めた。
別の婦人商店主も、号外の見出しを指さして「このような選挙になるし、しないといけない」と強調した。「足手まといになるから辺野古の抗議行動には参加したことはないけど、辺野古に新基地をつくることには大反対だ。それでも自民党も公明党も一緒になって基地建設に反対する知事や県民を追い詰めてきた。国が推す佐喜真、翁長知事の後継のデニーの選挙だが、国と県民とのたたかいでもある。翁長さんを追悼する思いを持つ人は多いけど、弔い合戦というフワッとした空気だけで勝てる選挙ではない。気を引き締めてかからないといけない。頑張ってください」と親しみを込めて語った。
号外を読んだ那覇市の婦人商店主は「素晴らしい内容だった。基地問題についてもだが、翁長知事が沖縄経済の自立を目指して物流や情報産業などで努力し、今は国からの沖縄振興予算をこえる規模の税金を国に納めていることなどは初めて知った。政府がどれだけ言葉巧みに争点をぼかしても、“沖縄に基地はいらない!”という思いは変わらない」とのべ、「知人にも配る」といって複数部受けとった。
女学生時代に看護学徒としての訓練を受けた沖縄戦体験者の婦人は、「これまでは保守の立場で自民党の応援をしてきたが、前回の知事選で仲井真前知事が、3000億円の振興費と引き換えに辺野古新基地を容認して“いい正月が迎えられる”と口にしたことに腹が立ち、それ以来、考え方が180度変わった。沖縄戦では、同じ看護隊の同級生がたくさん亡くなったが、米軍統治のなかで日本政府はほとんど学徒隊の調査もしてこなかった」と話した。それを生存者の手で調査して県に要請を続け、やっと昨年3月、県内21校の戦没学徒1974人の慰霊碑が糸満市摩文仁に完成した。
「終戦末期、軍の末端に組み込まれて亡くなった同級生やその親を思うとき、戦争に対する怒りは抑えきれないものがある。戦後、生きのびた人間にとって豊かな海があったから生きてこれた。基地を撤去するならまだしも、その海を埋め立てて基地をつくり、その維持費まで税金でまかなうというのは国を売るのと同じだ。普天間の代替基地といっているが、一度つくってしまえば米軍や日本政府は県民の目の届かないところでいくらでも基地を拡張していく。それがわかっているのに、容認してお金をもらって喜ぶ県民がどこにいるだろうか。子や孫までその中で生きていくことを考えれば、私たち戦争体験者は絶対に反対しないといけない」と語気を強めた。
同じく沖縄体験者の婦人は号外を読み、「アメリカがいかに基地をつくるために沖縄を狙ってきたかが克明に書かれていて、沖縄県民の側に立った新聞だと感じた。知事選で私たちには大きな力になるが、国いいなりの知事を据えて基地をつくりたい自民党側は頭にくるだろう。安倍首相の地元で、こんな新聞をつくられていることに敬服する。勇気ある報道に心からお礼をいいたい。これからも一緒に頑張りましょう」と連帯の思いをよせ、複数部の号外を受けとった。
那覇市で商店を営む高齢婦人は、受けとった号外に目を通しながら、「今回の選挙は、絶対に辺野古基地反対の候補を勝たせないといけないよ。私たちは戦争を知っているから、米軍基地は沖縄を守るためのものではないことはよくわかっている」と話した。
沖縄戦当時、肺を患っていたため父の反対で女学校には進まず、学徒にならなかったため戦場に動員されることはなかったが、看護隊となった同年代の友だちの多くが艦砲や銃弾に倒れた。「友だちの親や遺族の悲しみを知っているからこそ、いつも心の中で手を合わせている。私たちは山原(やんばる)で捕虜として収容されたが、深刻な食料不足で、米軍倉庫に食べ物をとりにいった叔母が射殺された。家も畑も奪われ、栄養失調の五歳の子どもに食べさせるものがなかったからだ。戦後やっと故郷の本部に帰ったとき、先祖から受け継いだ家屋敷も畑もすべて米軍に接収されて滑走路になっていた。親たちが地面の草をつかんで泣いていた姿が忘れられない。3年間、あばら屋で生活して那覇に移り住んだ。アメリカは最初から中国に侵略するために、この小さい沖縄を調べあげて、砲弾を撃ち込んで占領する作戦だった。また沖縄を戦場にさせないために翁長さんは命がけで反対を貫いたのだと思う。デニーさんはしっかりその思いを受け継ぐことを訴えてほしい」と話した。
県民投票運動にかかわってきた男性は、「本土から力強い新聞を配ってくれてありがたい。オール沖縄と一口にいっても、上層部の間では保守や革新で分裂を心配するような状況もあったが、10万人の県民投票の署名運動を下から盛り上げていくなかで統一を保った経緯がある。結局は、県民の力が国の基地建設を食い止める最後の砦だと思っている。政府与党は米軍基地をつくるためなら手段を選ばないし、名護市長選を見ても簡単な選挙ではない。辺野古基地をつくらせないという争点で県民の世論が一致することが大切だ」と連帯の思いを語った。
糸満市在住の男性は「今年2月に配られた名護市長選の号外を読み、あの選挙で負けた原因についての評価が非常に的確でわかりやすかった。知事選でも県民投票でも一番の力は、県民の意志を直接示すことだと思うし、それを阻む要素をとり除いて踏み出さないと前に進まない。この知事選に臨むうえでも非常に勉強になった。これもゆっくり読ませてもらう」とにこやかにのべ、号外を受けとった。
号外を読んだ名護市在住の男性は「名護市内でも、知事選に向けて土建業者を中心にして締め付けが以前よりもひどくなっているという。この号外は、市民への大きな励ましになる。ぜひ隣近所にも配りたい」とのべてスタッフに握手を求め、約100部を預かった。