大阪都構想の賛否を巡る住民投票が17日に投開票を迎え、賛成69万4844票、反対70万5585票となり、「維新」ブームの象徴だった橋下徹を退場に追い込んだ。今回の住民投票は単純に大阪市が存続するか否かという行政区の在り方だけが問われたわけではなく、七年半にわたって続いてきた橋下徹率いる「維新の党」の政治に対する痛烈な審判となった。「今の政治に必要なのは独裁ですよ!」と叫びながら既存政党をコテンパンにこき下ろして台頭し、全国に先駆けて関西圏で「行財政改革」「教育改革」など、背後の新自由主義勢力が望む施策を実行してきたが、いまやこの「独裁政治」が終わりを迎えたことを示した。維新の党と野合して安保法制や憲法改定に乗り出そうとしていたのが安倍自民党で、この改憲戦略も狂わせる結果となった。
平和と生活破壊する者に鉄槌
既存政党が軒並み信頼を失い政治不信が高まるなかで、あだ花として咲いたのが「維新」だった。しかしメッキは剥がれ落ち、かつてのような扇動は通用しないまでに力を失っていることをあらわした。
選挙後、橋下徹は「民主主義は素晴らしい」とのべながら政界からの引退を表明した。官僚出身で同党の代表をしていた江田憲司(元みんなの党)も逃げ足早く辞任を表明するなど、泥船を乗り捨てるようにして幹部たちが表舞台から消えようとしている。責任を押しつけられたのが元民主党の松野頼久で、早くも民主党との合流が取り沙汰され、議員バッチをつけた家なき子たちが次なる居場所を求めて漂流し始めている。七年半にして実質的な解体に向かうこととなった。
選挙は都構想もさることながら、それだけが争点になったわけではなかった。自民、公明、「日共」、社民に至るまで既存政党がみな都構想反対を掲げ、それに対して既存政党に挑む図式で維新の党が賛成を主張したが、この結果を持って既存政党が勝ったとか、あるいは大阪の大衆から信頼を取り戻したといえるような代物ではない。むしろ維新の党への直接の審判が問われ、そのなかでうっ積する大阪の有権者の怒りが都構想反対票として反映され、橋下政治を否定した。
選挙で圧勝して有無をいわさず政策を強行していくのが橋下型の独裁政治で、議論を尽くしたり調整したりという政治的能力など持ち合わせていない。圧勝しなければたちまち行き詰まるのが特徴で、今回のように僅差でしかも敗北したというのは政治的に詰んだことを意味し、その自覚のうえで本人も引退を表明することとなった。大阪の大衆的世論と運動に打ち負かされ、これ以上橋下徹がパフォーマンスを継続したところで世論が動員できないこと、賞味期限が切れたときの独裁政治の限界性と脆(もろ)さを示した。
選挙に至る過程では、関西の大学教授や知識人たちが身体を張って登場し、都構想への批判だけでなく、橋下政治によって大阪がどのようにされているのかの暴露を強め、市民世論と直接関係を切り結びながら訴えていったのも重要な特徴で、審判と関わって役割を果たした。
メディアが持ち上げ既存政党こき下す欺瞞
この7年半にわたって、大阪を舞台にして維新・橋下ブームが一つの社会現象としてあらわれ、自民党も民主党もダメだといって、明治維新に匹敵する大改革をやるのだと騒ぎ、それを救世主のような扱いで商業メディアがもてはやしてきた。「自民党をぶっ壊す!」といって国民生活をぶっ壊した小泉改革とそっくりのやり方で、既存政党をこき下ろし、公務員たたきをしてみなの感情をくすぐり、経済的な疲弊が深刻だった大阪の庶民から見て、一見拍手したくなるような振る舞いをして世間の注目を集めた。
ところが大阪の権力を握って実行したことは、自民党や民主党以上の新自由主義政策であった。役所の税金窓口業務を民間委託したり、市営地下鉄や市営バスといった公共性のある部門を民間企業に売り飛ばす施策であったり、図書館をはじめとした公共施設を次次と閉鎖するなど公共サービスを切り捨て、「行財政改革」はたけなわとなった。
また、「くそ教育委員会」といって教育への介入を深め、大阪府内でたくさんの公立学校を廃校にしたり、学力テスト結果を学校別に発表させたり、「国を愛する意識の高揚」「学校秩序の厳格化」といって国歌斉唱時の起立・斉唱を義務づける君が代条例を成立させたり、安倍自民党にすらできないことを次次と実行していった。「教育を政治が支配する」と主張して、知事や首長が各学校が実現する教育目標を設定し、この目標達成に役に立たない教育委員は罷免すると騒いだり、民間人から校長を採用した結果、ろくでもない大人ばかりが学校のトップに就き、次次とセクハラなどの不祥事を起こしてきた。
公募した区長も同じで、利権疑惑を抱えたり公共性の理念などかけらもない実態が暴露されてきた。教育長はパワハラで辞任に追い込まれた。公共性を否定し、市場原理に基づいた勝手な振る舞いが横行し、「維新」に群がる投機分子の思い上がりが各方面で問題視されたが、それは政財界がもてはやして「維新」ブームへの投機と成り上がり志向をくすぐり、人材面において類は友を呼ぶ状態になったからにほかならない。
経団連や関西経済連合会などが要求してきた大阪都構想は元来、近畿2府4県を関西州にし、その司令塔に大阪が君臨して大阪湾開発や都市高速、市街地開発などのインフラ整備を徹底的に実行し、医療、教育、福祉、公営住宅などの住民サービス業務はカネがない基礎自治体に担当させるというものだった。財源を大阪都ないしは関西州が一手に握って、都心部での集中的なインフラ投資をやり、グローバル企業に自由な経済活動、金融活動を展開させる、金融立国路線の象徴であるカジノを誘致するというものだ。いわば安倍晋三の「国土強靱化」やTPPの先取りであり、小泉改革以後に進めてきた新自由主義政治の二番煎じであった。自民党、民主党を罵倒してあらわれた人物が、それ以上の「改革」をやるというペテンである。
「脱原発」と叫んでいたと思ったら大飯原発再稼働をすんなり容認し、「今の政治には独裁が必要だ」といってファシズム思考を披露しながら、やったことは公務員や労組たたき、教組の制裁や懲罰化。そうした抵抗要素をたたきつぶしたうえでの行革だった。安倍晋三よりも率先して憲法改定、TPP推進、米軍再編への協力を主張し、さらに「従軍慰安婦は必要だった」「沖縄の米軍のみなさんには風俗を利用してほしい」と発言して世界を驚かせたこともあった。
組合主義破産する中 大衆運動高揚する情勢
一連の7年半にわたる「維新」の暴走劇は、橋下徹の口八丁だけで為し得たものではない。全国区で政党を立ち上げる資金まで含めて、関西財界や日米独占資本の支えとその要求があったからにほかならない。堺屋太一はじめ維新の顧問には根っからの親米派や市場原理派が顔を連ね、それをメディアが小泉劇場と同じように持ち上げ世論を扇動してつくり出したものだ。やっていることは安倍自民党と違いなどなく、むしろ政治思想も政策も、民主主義を否定した独裁的なやり方までそっくりである。それは背後勢力が同じだからである。維新の党結成の際には改憲を叫んできた安倍晋三を党首として迎え入れようとし、その後は石原慎太郎ともタッグを組んで教育改革や公有財産の売り飛ばしを実行し、慰安婦問題発言などでも先行して右傾化の流れを牽引してきた。親分でありながら後を追いかけているのが自民党なり安倍晋三で、先駆者だった石原慎太郎や橋下徹の破綻は、その独裁政治の行く末も暗示している。
大阪全体の経済的な疲弊は深刻で、パナソニックやサンヨーなどの大企業の工場群が海外移転して次次に閉鎖され、関連する中小企業の苦境もひどいものがある。そのなかで「改革!」「大阪が変わるチャンス!」といってあらわれたが、その「維新」はまがい物で、大阪に暮らす人人の困難を解決するものではなかった。逆に雇用確保や産業振興といった政策は時代遅れで、もっと金融グローバル化に照応した自治体運営、巨額箱物投資によるインフラ開発など、多国籍企業や独占資本の利潤追求に奉仕し、市民生活を切り捨てるものであった。身近な公共施設が次次と閉鎖され、住民サービスがないがしろにされるなかで、各界各層の反発は強烈なものとして充満し、7年を経て、その欺瞞が暴露されて終わりを迎えた。
2008年のリーマンショック破綻後に、さらに徹底した新自由主義改革をやらせようと突っ走ってきたのはアメリカで、道州制の実現やTPP体制、大企業天国の都市づくりなどはみな彼らが要求してきたことだ。時を同じくして2008年に登場した維新が自民、民主の破産を受け継ぎ、世論を欺瞞しつつ暴れてきたが、それも破産した。
この間、戦斗的な組合主義といわれ、労働組合が強いとされてきた大阪で、橋下徹のような男が民意の代表のような振る舞いをし、本来たたかうべき勢力が弱さを露呈してきたのも事実である。バッシングにさらされてきた公務員にしても、経済主義で我が身のことばかり心配しているのでは市民から袋だたきにあうほかなく、大企業の海外移転によって失業と貧困にさらされている圧倒的多数の民間労働者、痛めつけられている中小業者、商店、市民各層の利益を代表して反動市政とたたかうのでなければ、運動に展望などないことを示した。既存政党にしても維新以上に大衆的な信頼がない事実は変わらない。一連のブームは真に世論を代表しうる政治勢力がいない現実を示すと同時に、そうした状況を逆手に取って、新自由主義勢力が小泉純一郎がダメなら橋下徹といった調子でピエロ役を変えつつ、人人を欺瞞して執拗に政策を実現させようとする構造も暴露している。
いまや既存政党や議会が当てにできないのは全国共通である。平和を脅かし、生活を破壊する権力に対して、それを叩きつぶして市民生活を守る力は、労働運動であり、市民各層が団結した統一戦線の力以外にはない。維新退場が秒読み段階の大阪においてもこれで終わりではなく、次なるたたかいが始まることは必至である。憲法改定や安保法制など一連の政治日程が控えた時期に、大阪では安倍自民党にとって痛手となる結果を突きつけ、沖縄では辺野古阻止を求める3万5000人の決起大会が開かれるなど、独立と平和を求める運動が下から熱気を帯びて発展している。強権や独裁も大衆を動員できなければ脆くも崩れ去ることを維新の退場劇は教えている。