本書は、昨年83歳で逝去した筑豊の記録作家・林えいだい氏が1975年から83年にかけて門司港で撮影した「女ごんぞう」と呼ばれた女沖仲仕たちの姿を納めた1冊である。歴史的な写真も加えた150点にのぼるモノクロ写真とともに、同氏が1983年に出版した『海峡の女たち―関門港沖仲仕の社会史』(葦書房)の本文をまじえながら、明治・大正・昭和にかけて屈強な男たちと肩を並べ門司港の港湾作業を担った女性たちの仕事ぶりや、剛胆かつ人情味溢れる生き様を伝えている。
「福岡県北九州市門司区、関門海峡を臨む港に、かつて『女沖仲仕』『女ごんぞう』と呼ばれる女性の荷役労働者たちがいた。筑豊炭田と北九州工業地帯の繁栄、ひいては戦後の高度経済成長を下支えした彼女らは、エネルギー転換と技術の進展にともない、やがてうちすてられていく。港はもう彼女たちを呼んではいない。だが、港湾労働の職業意識に徹した誇りと自負、過酷な作業に耐えるたくましさと開放的な笑顔を、私達は決して忘れない」--。
林氏が取材した時期、門司港の女沖仲仕は最大で約600人いた。全国にもかつては女性が港湾荷役に従事する港はあったが少数で、1983年時点では関門港のみとなっていた。女が集団で働いた港もまた関門港だけだという。それは明治22年以後、石炭の積み出し港として、また船舶燃料の焚料炭(バンカー)を積み込むための寄港地として栄えた関門港の長い歴史がかかわっているという。関門港の女沖仲仕の存在は、同港独特の「天狗取り」と呼ばれる石炭荷役とともに名物として知られた。だが、機械化やエネルギー転換など戦後の変化のなかで1973年、女子労働者の第1次首切りが始まり、次第に女たちは港から追われていく。
陸で積み荷の揚げおろしをする仲仕に対して、沖に停泊した本船に艀を横付けして沖合で積み荷の揚げおろしをするのが沖仲仕だ。関門海峡の流れは速く、通船、本船ともに大きく揺れる。台風でも来れば海上は荒れるため、通船から架け渡された縄ばしごを登るのも命がけだ。落ちたら最後、よほど海が穏やかでなければ助けてもらうこともできない。通船に乗り込み、本船に向かうときが女たちが一番緊張するときだ。
沖仲仕の花形はスコップや雁爪で荷をすくい入れる入鍬(いれくわ)だが、その陰には針(はりや)と呼ばれる女性たちがおり、作業中に小麦や砂糖の袋が破れれば、すばやく飛びついて穴を縫い、作業前には飲み水を準備し、荷役後はダンブル内にこぼれた小麦や鉱石などの破片を掃き集めて処理する。
40㍍もあるダンブルの底へとはしごを伝って下りていく様子や、アリ地獄と恐れられた小麦の荷役、通常の2倍のスコップで鉱石を掻き出す姿など、重労働を担う女たちのたくましい腕と体が刻銘に記録されている。
荷役中には人を寄せ付けない厳しさがあるが、就業前や移動時、昼休みなど、それ以外は底抜けに明るい彼女たち。からっとして人情にも厚く、女も男も分け隔てなくつきあう。人を見る唯一の基準は仕事に対する自負や熱意だ。サボる者は男でも女でも容赦しないかわりに、まじめに働く仲間が窮地に陥れば我が身をかえりみず手を差し伸べる。本書には、女沖仲仕たちが職を追われ、大勢が私服のまま職業安定所のテーブルを囲む写真なども納め、その変遷を歴史的にもわかりやすく解説している。
「もう一度だけでいい、ぶっ倒れるまでバンカーの天狗取りをしたいのう」という元女沖仲仕の言葉。生活苦のなかで過酷な労働に従事した女たちだが、誇りに満ちた輝く笑顔が心に残る。(恵)
(新評社発行 189ページ 2000円+税)