中国が「一人っ子政策」の廃止を決定したのを受けて、日本国内のメディアの取り上げ方は、その人口抑制策が如何に資本主義社会ではあり得ない異常なものであるかを強調するものが大半だった。ただ、そうした報道に接して腑に落ちないのは、足下の日本社会も出生率は1・4まで落ち込み、「一人っ子」すら育てるのが大変な状況で、隣国にケチをつけている場合なのだろうか、という点だ。本家の「一人っ子政策」に対して、こちらは「経済一人っ子政策」と呼んでもいいと思うほど、子どもが少ない社会になっているからだ。
日本社会では生むのも育てるのも基本的に「自由」であるが、実際に生んだり育てようと思うと様様な不自由が襲いかかる。もっとも大きいのは経済的な不自由で、出産を経て育児を抱えながら母親が仕事を続けることの困難さや、パート代が吹き飛ぶほど高額な保育料等等、みなが頭を悩ましながら子育てには四苦八苦している。子宝を授かったからといって手放しで喜べないほど、社会的な保障体制は乏しいのが現状で、厳しい日日の生活の行き着く先が離婚や家庭崩壊となって、家族を引き裂いていく。子どもを好きなだけ産んで、安心して育てられるような社会ではないから、一人っ子に少し毛が生えたくらいの出生率なのだ。
OECDが発表している日本の25~54歳の女性の就業率は71・8%(2015年)で共働きの家庭も増えている。夫の稼ぎだけで食べていけた時代は過ぎ去り、いまや二馬力で稼がなければ生活ができない。よほどの高給取りでない限りは、子だくさんの家庭なら父親も母親も馬車馬のようにして働かなければお手上げになることは目に見えているから自制している。晩婚化や結婚できない若者が増えているのも、非正規雇用が蔓延して生活にメドがないからにほかならない。我が身だけでも心配なのに、どうして子どもの身を守れようかというものだ。
国家が出生の有無を決めなくても、しっかり「一人っ子政策」が実施されているのが現状で、貧困が最大の要因であることは疑いない。「おひとりさま」などといって的外れな批判や嘲笑に晒すなど論外で、若者が子どもを産み育てることができるまともな社会にしなければ、労働力も失われ、国力も失うことになる。隣国の「一人っ子」を心配する以上の熱意で、自国の「一人っ子」をもっと心配しなければならないと思う。
武蔵坊五郎