プロ野球界でホームランバッターとして持て囃されていた清原和博の転落人生を見ていると、見切りが早い商業スポーツの世界の残酷さというか、選手寿命が切れた後に潰しが効かない状況で第二の人生に放り出される、他の多くの選手たちの姿とも重なったものを感じる。生涯賃金にすると一般よりもはるかに稼いだのだろう。しかし、肉体が衰えるとその先の人生はイバラの道で、弁のたつ者は解説者の道に進めるかもしれないが、そうでない者は金銭感覚が狂ったまま社会的にも埋もれ、あまり必要とされない世界へと転落していく。
覚醒剤にのめり込んだ本人に対する善し悪しは商業メディアが好きにやればいい。いいたいのは、それまで競技一筋で暮らしていた環境、それしか知らない世界に置かれた人間が、他に術もないまま30代後半や40代から第2の人生に向き合わなければならないことだ。全盛期といっても20歳過ぎからの十年余りがせいぜいで、脚光を浴びる期間は僅か。しかしその後の人生はもっと長い。解説者として緊張しながらテレビに出てくるかつての五輪金メダリストとか、お笑い芸人のようになっている元日本代表柔道監督とか、政党の客寄せパンダとして政治家に取り立てられたメダリストとか、借金にまみれたり覚醒剤に溺れるスポーツ選手を見ていて、その大変さや商業価値を失えばお払い箱になる厳しさを思う。
「夢は野球選手です」という子どもたちは昔からいる。そんな子どもたちの夢を清原が汚したのはけしからん! という論調もある。しかし別の見方をすると、野球一筋やスポーツ一筋が実は悪夢かもしれないことを清原事件は映し出している。仮に野球が得意だったとしてスーパースターに成り上がるのはごく一部で、多くはふるい落とされる。中途半端に上手だったりすると夢を抱いたままその道に進み、勉強そっちのけで励んだ挙げ句、筋肉だけがたくましくなって悲劇が待ち受けているのもプロスポーツだからだ。“紳士たれ”の巨人軍で賭博にこうじていた若手選手たちもその産物なのかもしれない。 吉田充春