7年前の震災で、福島第一原発の爆発事故を民主党政府が隠蔽し、「直ちに影響はありません」と嘘八百をくり返していた時、ネットのユーチューブに1本の動画がアップされて共感をよんだ。歌手の斉藤和義が「ずっと嘘だったんだぜ♪」と自分の持ち歌の歌詞を変更して、安全神話で国民を欺してきた電力会社や国の有様を痛烈に批判したものだった。
この国を歩けば原発が54基
教科書もCMも言ってたよ
安全です
俺たちを騙して
言い訳は「想定外」
懐かしいあの空
くすぐったい黒い雨
ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です
風に舞う放射能はもう止められない
何人が被曝すれば気がついてくれるの?
この国の政府
「ずっと嘘だったんだぜ」「ずっとクソだったんだぜ」というアコギ1本による歌声は、みんなのやりきれない思いを率直に代弁していた。
あれから7年、政権ポストは民主党から自民党に移行し、「福島は完全にコントロールされている」の嘘八百が功を奏して、政府は東京五輪まっしぐらである。選手村や競技施設の建設特需で、被災地に回されていた土木作業員は東京へと大量に引き抜かれ、復興は後回しにされて進む気配がない。7年も経ちながら避難者は7万人以上おり、いまだ仮設住宅で暮らしている人人がいるほどのていたらくである。
そうして3月になると思い出したように「被災地可愛そう…」に彩られた特集がテレビや新聞を賑わせ、紅白歌合戦や24時間TVになると「花は咲く♪ 花は咲く♪」をいつまでも歌っている。しらじらしい空気のなかで、とってつけたように持ち出される「絆」の嘘くささったらない。そろそろ、いい加減にせいよ…という声を上げなければならないように思う。7年もたって仮設暮らしというのは、国民の生命と安全を守るべきこの国の政府や行政は、復興させる意志も能力も持ち合わせていないことの証明だろう。三陸に暮らす人人の生活再建を第一に置かなければならないはずの復興が、ゼネコンが土転がしをしたり、住宅メーカーが荒稼ぎしていくための復興へと変質し、何十兆円注ぎ込んでも実にならない構造は、いまの日本社会の姿を象徴的にあらわしているように思えてならない。いつも国民の暮らしは二の次なのだ。
その後も国会では嘘がはびこり、手が付けられないほど統治機構は劣化している。行政府が立法府に改ざんした公文書を提示したり、そのような虚偽の公文書を真に受けて国会が運営されている等々、憲政の品位も何もあったものではない事態が明るみになろうとしている。この1年にわたる森友疑惑は「ずっと嘘だったんだぜ」がピッタリと当てはまるが、あの男には「ずっと嘘つきだったんだぜ」がより似合うと思う。
武蔵坊五郎