1967年の夏、権力や社会に対する黒人たちの不満が爆発したデトロイト暴動は、アメリカ史上最大級の暴動となり、43人の命が失われ、負傷者は1100人以上を数える大惨事となった。デトロイトは自動車メーカーが本拠を構え、多くの黒人が働いていた。この映画はその暴動の最中に実際に起こった「アルジェ・モーテル殺人事件」の真相に迫り、現在の黒人差別問題をアメリカ社会に問うものだ。
1967年7月、黒人のベトナム帰還兵を祝うパーティー会場に、無許可営業の酒場という理由で警察が押し入った。デトロイト市警の横暴な取り締まりに反発した地元住民との間で小競り合いが生じ、その騒乱は大規模な略奪や砲火へと発展した。市の警察だけでは事態を収拾できなくなったミシガン州当局は、州警察と軍隊を投入した。無数の兵士と戦車が行き交いデトロイトの街は戦場と化していった。
そして暴動発生から3日目の夜。若い黒人客たちで賑わうアルジェ・モーテルに、銃声を聞いたとの警報を受けた大勢の警官と州兵が殺到した。それは宿泊客の一人の黒人の若者がオモチャの銃を鳴らした悪戯だったが、警察や軍が“狙撃者による発砲”と決めつけた。この事件の被害者となったのは地元デトロイトの黒人ボーカルグループ「ザ・ドラマティックス」のシンガー、ラリー・リードを含む男女9人(黒人男性7人、白人女性2人)で、ほとんどが10代の若者だった。そのうち1人の黒人青年を白人警官が射殺し、死体の手元にナイフを置いて正当防衛を偽装する。その後、実際には存在しない“狙撃犯”を割り出そうとする白人警察3人は、残る8人に対して強制的な尋問をおこなう。1人ずつ別室に連れて行き拷問し、証言しない場合は殺人をもほのめかす。まだ若い小心者の警察官らが、黒人と見れば犯罪者と見なし権力を傘に着て狂暴化していく様は、黒人の暴動を恐れて軍隊まで動員し、銃や戦車で威圧する権力者の弱さをあらわす制作者の意図が伝わってくる場面でもある。この事件では3人の黒人青年が警察によって殺されており、映画は生存者の証言をもとに当時の様子を徹底的に再現している。
権力の欺瞞暴く制作の姿勢
監督がこの映画制作を思い立ったのは、2015年から全米で続いている白人警官による黒人殺害事件と、それに抗議する「ブラック・ライヴス・マター(黒人の命も大切だ)」デモの報道を観ていた時だという。2016年に全米で警官に殺された黒人は300人以上、2017年も秋には既に200人をこえた。殺された黒人が銃やナイフを持っていた割合は3割である。それ以外は丸腰で、射殺される理由はなかった。にもかかわらず、警官が有罪になった率はわずか1%にすぎない。事件から50年が経過した今でも黒人に対する差別の現実はまったく変わっていない。
実際に50年前のこの事件の裁判でも、警察の犯罪は無罪放免となった。当時、この事件の裁判が白人だけの陪審で裁かれることが決まると、デトロイトでは裁判を信用できない住民たちが人民裁判を開いて、自らの意見を強く表明した。映画は現在の黒人差別の現実を痛烈に批判し、権力側の問題をアメリカ社会に問うている。ビグロー監督は「芸術の目的が変化を求めて闘うことなら、そして人人がこの国の人種問題に声を上げる用意があるなら、私たちは映画を作る者として、喜んでそれに応えていく」と語っている。アメリカ社会の変革を求め、映画を通して権力の欺瞞を暴き出す製作者の姿勢は、日本の芸術家がアメリカに従属した日本の現実をどのように捉え描くのかを考えさせる。
映画制作にあたって事件の被害者3人から証言を得ている。当初、真実を語ることを躊躇していた関係者は、「歴史の闇に葬られてほしくない。私たちが経験したことは、2度と起きてはならない」といって50年前の経験について口を開き始めたという。その告白に心を突き動かされ、制作者が映画化に踏み切った。当時、事件現場に居合わせ証言者の1人となった歌手のラリー・リードは、もともとソウル・ミュージックの世界で成功を夢見ていたが、事件で一緒にいた友人が殺された。事件後に「白人のために歌わない」といってグループをやめている。事件から半世紀、リードは聖歌隊の指揮者として人生を捧げている。映画音楽として随所に流れる黒人のゴスペルは、何百年ものあいだ差別と闘い続けてきた黒人の地の底からの叫びのようで頭から離れない。
60年代に全米で広がった黒人の闘いについて、単なる「暴動」としてではなく、歴史的にも正統な評価が必要ではないだろうか。