全国的な注目を集めていた名護市長選が4日に投開票を迎え、大激戦の末に辺野古基地建設反対を唱えた現職の稲嶺進氏が敗れる結果に終わった。選挙は一地方の首長選でありながら、辺野古埋立や米軍基地建設を進めようとしている安倍政府及び自民党本部が総動員で締め付けや懐柔を試み、前回自主投票だった公明党が「平和の党」の看板をかなぐり捨てて自民党候補の推薦に転じるなどしていた。
開票の結果、当選した渡具知武豊氏が2万389票、稲嶺進氏が1万6931票となった。投票率は76・92%となり、前回選挙を0・21㌽上回った。期日前投票が全有権者の44・4%に及び、企業関係や組織関係では投票行動が徹底されていたことを伺わせた。
今回の選挙は辺野古への新基地建設が最大の争点になった。11月に予定されている沖縄県知事選の前哨戦としても注目され、沖縄県民のなかでは「稲嶺と渡具知の選挙ではなく、米軍基地に反対し平和を求める沖縄県民対安倍政府のたたかいだ」として注目を集めた。
普天間基地移設にともなう辺野古新基地建設の計画が浮上して以来の20年間、名護市では5回の市長選で辺野古新基地建設の是非を問う選挙がおこなわれてきた。最初の3回は基地建設推進派が勝っているが、2010年からは基地反対をかかげる稲嶺氏が2度勝利してきた。
稲嶺氏は「市民の命と暮らしを守り抜くために絶対に新基地はつくらせない」と改めて表明し、選挙期間中も辺野古区で「新しい基地ができたら危険性はすべて子どもや孫たちが引き受ける。こんなことになれば私たちは死んでも死にきれない」と強く訴えた。名護市民をはじめ、北部地域の住民がボランティアで街頭宣伝やチラシ配布をおこない、「基地をつくって再編交付金をもらった方が豊かになるというが、戦争になれば基地の町が一番最初に狙われる。そうなれば豊かさも何もかも吹っ飛んでしまう」と各地で訴えた。
自民党側は昨年夏まで推薦候補が二転三転し、候補者を立てることすら難航しているような状況で、当初は現職の圧勝とまでいわれていた。しかしその後、昨年末には菅官房長官が現地入りし、年明けの1月4日には二階幹事長が現地入りして地元の中小企業など自民党支持者を集めるなど官邸直直に締め付けをはかり、選挙戦が始まってからも小泉進次郎が現地で応援演説をするなど、金力や権力をフル動員して名護市長ポストの奪取に全力をあげた。そのなかで、名護市内で2000票を持っているとされる公明党が「普天間基地の県内移設反対」の建前を投げ捨てて渡具知氏への推薦を出し、大激戦は必至といわれていた。
選挙戦から浮かび上がることは、この選挙に地元の自民党は当初から勝てると思っていなかったことだ。立候補にギリギリまで二の足を踏んでいたのは、そのことを正直に反映していた。しかし、自民党本部が丸抱えするなかで公明党の組織票切り崩しだけでは説明のつかない票数の移動が起こり、まさかの稲嶺落選となった。地元に精通した自民党市議や政治勢力の実感として、「勝てない」と見られていたものが、SNSを通じたデマの拡散や誹謗中傷によるネガキャン、基地斗争へのあきらめや疲れを意図的に扇動する手口も含めて、背後勢力の謀略じみたテコ入れによってひっくり返った。
選挙の過程で、渡具知陣営すなわち自民党陣営は「辺野古のへの字もいわない」という方針をうち出し、「国と県の裁判を注視していく」と立場をあいまいにしたまま、できるかぎり争点を経済問題にすり替えようとはかった。しかし、世論調査の結果では、名護市長選でもっとも関心を持っている争点は「辺野古移設」が53・2%ともっとも高く、基地反対のたたかいをくぐってきた名護市民の目は依然として厳しいものがある。当選したら選挙で誤魔化した辺野古埋立や基地建設にGOサインを出していくというような人だましは許されない。ひき続き名護市民や沖縄県民が下から押し上げてきた基地撤去世論が包囲する関係だ。
4年前の名護市長選以来、沖縄県内では県知事選や衆議院選挙など何度も基地反対の世論を突きつけてきた。それに対して安倍政府は「国の専権事項であり、一地方自治体の選挙結果に左右されるものではない」として辺野古の埋立工事を強行し、沖縄県民のあきらめを狙ってきた。一地方自治体の選挙結果に左右されないのであれば、これほどしゃかりきになって名護市長選に身を乗り出す必要はない。それでもムキになるのは、名護市長なり沖縄県知事の有する許可等がいくつもあり、基地建設の障害になるからにほかならない。名護市という小さな地方自治体の首長選に政府を上げて現職引きずり下ろしに熱を上げ、米軍のために献身しているのである。
この市長選で推進勢力が「勝利」をもぎ取るために必要だったのは、稲嶺陣営の切り崩しと、それに伴う得票の上乗せであり、その際、全有権者にアタックする必要などなく、ピンポイントで「平和の党」の宗教票その他を切り崩すことだったのは疑いない。稲嶺陣営は前回選挙よりも3000票近くをごっそり持って行かれており、誰をどう切り崩されたのか、その要因はどこにあったのかは、年末に控えている県知事選を戦い抜くためにも具体的な分析と解明が求められている。
今回の名護市長選は不可解な得票移動によって基地反対派が「落選」する結果に終わった。しかし、だからといって拮抗した選挙戦を支えた名護市民の力が皆無になるような代物ではない。あるいはオール沖縄を下支えする島ぐるみの力がゼロになるものでもない。あきらめや敗北感を煽って分断していく戦略に乗せられるのではなく、長年の米軍支配を突き破って発展してきた県民の闘争をいっそう強固なものにして対峙することが迫られている。勝つこともあれば負けることもあるのが選挙で、一度の敗北ですべてを投げ出したり、否定する必要などない。敗因や弱点を分析解明して、次なる勝利につなげていくほかないのが現実だ。屈服しなければ負けなど確定しない。