米副大統領のバイデンが、「日本国憲法は我々が書いたものだ」と発言して物議を醸している。元も子もないというより、そんなことくらい学術的証拠や生き証人たちの暴露がなくとも誰もがうっすらと感じていた話で、アメリカ支配層の本音を代弁したに過ぎない。異様なのはそれを受けた日本国内の右左の反応で、なんだか頓珍漢な空中戦に発展している。
目下、安倍政府がもくろんでいるのが改憲である。いわゆる右派陣営の側は自主憲法制定を叫び、GHQによる押しつけ憲法ではなく、自分たちの手によって憲法を制定するのだともっともらしいことをいい、武力行使を可能にして「普通の国」になるのだと主張してきた。対する護憲派は「憲法を守れ」「立憲主義を守れ」と訴え、なんなら現憲法は「幣原案なのだ」と主張していた。そこに「我々が書いたものだ」発言が飛び込んできて、右派陣営が「そら、見たことか!」と得意になって「ならば対米従属を断ち切るために左翼こそ改憲を主張しなければならない」と逆手に取ってやり込めるという珍妙な光景が広がっている。右左のイデオロギー対立というより、宙に浮いた屁理屈合戦がこじれ過ぎである。
GHQが占領した71年前当時、その軍門に降ることで国体護持すなわち天皇家や財閥、官僚機構は戦後の地位を勝ちとり、アメリカ側も「天皇は100万の軍隊に匹敵する」と戦後利用することで両者は野合した。アメリカに媚びを売り、その手下になることで日本の支配層は戦後出発したのだった。当時の日本の為政者とアメリカの力関係において、どちらが上に君臨していたかは論を待たない。憲法がそうした状況下で占領軍の絶対的な力の下でつくられたことは疑う余地などなく、天皇制軍国主義を抑えつけた「我々が書いたものだ」は占領者の正直な本音だろう。
問題は、現在もくろんでいる改憲が「自主憲法」制定とは名ばかりで、よりアメリカに尽くすものであり、朝鮮戦争を機に創設した自衛隊の武力行使を可能にするのも、米軍が最前線任務から距離を置き、下請け軍隊として投げ込んでいくためであって、アメリカによる対日支配からの脱却どころか、一層奴隷的な内容を伴っていることである。このなかで、親米派が右を装って売国をやり、アメリカの要求を丸呑みして改憲しようというのである。
誰が草案を書いたにせよ、戦争放棄や基本的人権の尊重といった積極部分が日本社会の国是として根付いた事実は変わりない。今になって誰のために戦争放棄を放棄するのか? が最大の問題である。
武蔵坊五郎