お笑い芸人のダウンタウンが出演した年末番組『絶対に笑ってはいけない』の一場面で、芸人が顔面を真っ黒に塗って笑いをとろうとした行為がBBCや海外メディアに取り上げられ、人種差別を助長するブラックフェイス問題として、お騒がせな事態に発展している。芸人たちが仲間内で悪ふざけに興じているだけならまだしも、わざわざあんな低俗なものを大晦日の目玉番組にまでして全国のお茶の間に垂れ流すテレビ局もテレビ局である。
世界には様様な人種が存在する。地域によって文化や風習も異なる。肌の色も違えば目の色も違うし、髪の色も異なる。この違いによって一方を蔑む行為こそが国際的には侮蔑されてきた。それが建前やきれい事のように見なされ、実際にはまるで人種差別はなくなっていないとはいえ、肌や目の色で優位性を唱えたり、一方を劣ると見なすことは、あってはならないことになっている。
アフリカ大陸を起源にして人類が地球上にあらわれ、北へと移動する過程で暑さや寒さ、紫外線などの環境に順応する形でネグロイド(黒人)やコーカソイド(白人)、日本人を含むモンゴロイド(黄色人種)等に分化して今日に至るという。それは何万年という過程を経た人類発展史の産物だ。では、ダウンタウンやテレビ局関係者、あるいはあの番組を見てケラケラと笑った人人が黒人を侮蔑して「面白い」と思う感覚は、いったいどのような経緯を通じて育まれたのだろうか。欧米社会のように黒人奴隷を虐げてきた歴史はない。接点も乏しい。それなのに、いつから黒人を蔑んで面白がるようになったのか? という違和感がある。
これはどうも白人からイエロー・モンキーといって侮蔑されてきた側が、上見て暮らすな下見て暮らせを実践して、黒人を蔑んでいるようにしか思えないのである。欧米由来の受け売りで、歴史性のない差別意識を披露している浅薄さがそこには滲み出ている。同じアジアの諸民族を「チャンコロ」とか「チョン」などといって侮蔑してきたのと同じ感覚が、黒人にたいしても向けられているのである。
2020年には東京オリンピックが開催される。「すべての個人がいかなる差別も受けることのない」ことを謳い、五大陸の友情や連帯、団結や平和を憲章に掲げて開催してきたが、次期オリンピック開催国は肌の色の違いによって、白人を見たら劣等感を抱き、黒人を見たら蔑んで「お・も・て・な・し」をするというのだろうか。あるいは、朝鮮人や中国人を見つけたら日の丸を振り回してヘイト(ひどく嫌う)で「お・も・て・な・し」をするというのだろうか。そのような性根を披露するくらいなら、いっそのこと五輪開催など返上してしまえ!と、昨今の「美しい国・日本」を頂点にしたナルシシズムやレイシズム病を重ねながら思う。自分で自分のことを「美しい」と形容する者は、往往にして他を蔑んでいる「性格貧乏」ばかりで、ちっとも美しくないのである。
黒人奴隷がどのような歴史をたどってきたのかや、アメリカにおいて抑圧されながらも楽天的に未来を拓き、生命をかけて地位向上や公民権運動をたたかってきた歴史、しかし、今なお黒人というだけで警察官から発砲されて殺される現実に思いが至らない感覚で、芸名だけは“ダウンタウン”を名乗っている彼らについて「絶対に笑ってはいけない」と思う。 吉田充春