知り合いが気晴らしに忘年会をやろうというので、地元でも大衆居酒屋として繁盛してきた某店に足を運んだ。久しぶりに店内に入って驚いたのは、明らかに外国人と思われる若い男の子や女の子が、ベテランの日本人スタッフたちに混じって働いていたことだった。聞くとスリランカから来たのだという。2~3カ月前に訪れたときには見なかった光景だ。緊張しているのか、こわばった表情で「ビールね!」といって注文の品を置くと、そそくさと定位置に戻って行くのだった。ニコリともせず、ただ黙黙と異国の地でホールスタッフとして注文をさばいている風だ。
気になったのは、刺身の盛りつけ方や包丁の入れ方がいかにも乱暴で、見よう見まねではないかと思わせたことだった。「ひょっとして、板さんまで外国人になったの?」と一同目を見合わせながら、最終的には30分近く待てど次の注文が運ばれず、ひたすら枝豆でしのいだ末に店を後にすることとなった。ホールが回っていないのではなく、奥の厨房が回っていないようなのだ。「予約まで入れていたのに…」「こんなことって、今までなかったよね…」と馴染みの店の変化に戸惑いながら、暗い夜のとばりのなかで仕切り直しの店を探すこととなった。
下関のような地方都市でも、最近は外国人研修生の存在が珍しいものではなくなった。水産加工の南風泊や企業団地の長府には、中国人研修生が溢れかえっている。彦島の西山地区になると、どこの国かと思うほど外国人比率が高まり、自治会が把握できないほど地域コミュニティーの変化が著しいのだという。中小企業に行くとベトナム人研修生を住み込みで受け入れているところも少なくない。漁船にはインドネシア人研修生が乗っている。出店競争に熱を上げているコンビニも、東南アジアから連れてきた若い子に依存している。そして、ゴーストタウン化が著しい駅周辺のビルやアパート群を語学学校が買い占め、日本語を学ぶ外国人研修生の予備軍をたくさん住まわせ、仲介業者は企業に売り込みをはかる。
自民党が「多民族国家」を唱え始めた10年前には想像もしていなかったような世界が、いまや当たり前のように浸透している。わずか3年の「研修」を終えて帰国していく彼らは、最低賃金の安い労働力ではあるものの、為替レートの違いによって本国では得難い収入を稼いでいく出稼ぎ労働者だ。人材不足、担い手不足を補うためには必要悪なのだという風潮のもとで、日本国内でも都会といわず地方といわず、その存在感を増している。そうして必然的に低賃金のアンカー(錨)として機能し、日本人労働者と低賃金競争をする相手となる。大企業のみならず、地方の零細な経営者までが依存を深めている関係だ。
労働力が再生産できないほど社会が衰退局面に向かっている。そして、不景気で企業や飲食店にとって利益が出ない構造のもとで、ますます低賃金依存に拍車がかかっている。ただ、「安かろう」で刺身までがゴシゴシと押したり引いたりした切り身のドーンでは悪循環だろう。そんな低賃金労働の「技能」を母国に持ち帰る若き研修生たちのことについて、雇う側は何をどう育てようとしているのか、しっかりと胸に手を当てて考えなければならないと思う。
乱暴に盛られた刺身を見て、以前より心なしか客の入りが少なかったのはそのためだろうか…と話しながら向かった次の店では、中学校を卒業したばかりかと思うほど、まだあどけない表情をした日本人の「少年」が、あくせくしながら客の注文をさばいていた。学業もあるだろうに、夜の居酒屋のアルバイトで稼いでいるのだった。武蔵坊五郎