いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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国民の生命財産守るというペテンの国民拘束計画

 全国の市町村で国民保護計画が作られている。国と県の計画に従って作られたものである。下関江島市長は5月に、六連島における全島民避難を含む訓練を計画している。想定は外国の潜水艦が接近して、武装部隊が上陸し石油タンクを爆破する、というものである。この訓練は全国初というもので、官邸主導というべきであり、安倍総理が江島市長に指図して下関から実績を作ろうとしているものとみられる。日本本土を戦場とした戦争を想定して、現実に住民を動かして訓練をする。このようなことが戦後62年たった日本で大まじめな顔をしてやられるに至っている。


 日本に対する「武力攻撃事態」という想定がインチキであり、それに対応するという「国民保護訓練」がまた輪をかけたペテンである。


 安倍内閣が想定する国は北朝鮮や中国である。これらの国との関係は、圧倒的にアメリカの軍事力が攻撃態勢をとっており、日本はその尻尾について、下請戦争をやろうとする関係である。はっきりしていることは、アメリカと日本政府の側が攻撃態勢をやめるなら、戦争にはならないという現実である。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして今のアフガン、イラク戦争と、他国に攻め込んで侵略戦争を繰り返してきたのはアメリカである。


 そもそも日本を武力攻撃し、戦後62年も軍事占領して属国にし、いまではアメリカの国益のための戦争に日本を動員しようとしているのはアメリカである。あるかどうかわからない「武力攻撃事態」ではなく、現在に続く日本への「武力攻撃事態」を作り出しているのはアメリカである。これにどう対応するかが平和を願う民族の真理である。


 ところが安倍内閣は、防衛庁を防衛省に格上げして、自衛隊の海外派遣を本務に位置づけ、NATOにいって「日本は積極的に海外に派遣する」と約束する有様である。アメリカの下請軍隊として、アメリカの犯罪が暴露されているイラクでもアフガンでも派遣するというのである。そして戦争放棄や主権在民を規定した憲法を改定して、アメリカの戦争に下請で参加する道を開こうとしている。


 仮に武力攻撃があって国民の生命、財産を守るためには、国民動員をする前に、ほかにもっとやることがある。国民の避難といっても、この日本ではどこに避難しようもないようになっている。標的になる米軍基地が日本中にあり、日本中の海岸に原発があり、ガスや石油タンクなどの大爆発する施設が山ほどある。どこかが破れたら日本中がマヒするような高速道や新幹線、電気・通信網は張りめぐらされ、食糧は自給できない。こんな社会の状況で、日本本土で戦争するなどできるものではないのだ。こんな国にしておいて、日本本土を戦場にするなどという安倍政府は気違い沙汰といえる。国民を保護する第1条件は、国民の生命財産をないがしろにした売国政府がいなくなることである。


 「国民保護体制」というものは、「敵が攻めてくるぞ」と騒いで日本の側が戦争をはじめるときであり、国民を縛り付けて、文句を言えなくさせ、抑えつけることに最大の眼目がある。戦争をはじめるときは、国民が食っていけないようになり、不平不満がうっ積し、反抗が強まるような状況で、戦争を起こして国内を弾圧するというのが常である。安倍総理も江島市長も、市民から嫌われれば嫌われるほど戦争による問答無用で抑えつけたいという願望と思われる。日本を戦争に駆り立てるときは、さしずめアメリカの艦船などがこっそり日本の都市にミサイルを撃ち込んで、「北朝鮮が攻撃した」と騒いで戦争に突っ込ませるというようなシナリオすら考えられる。そのとき「国民保護計画」発動で、国民を縛り付け、戦争反対の行動ができなくさせるというのが、あり得るシナリオである。


 あの第2次世界大戦で、1000万人が徴用され、320万人が殺された。戦地に送られた兵士は、多くが餓死や病死で無惨に殺され、本土では原爆投下をはじめ、あらゆる都市への空襲で焼き殺された。戦争犯罪者として処罰されるべき天皇と独占資本集団は何の責任も問われずにアメリカの忠実な手下となって支配の地位をもらい、今ではあらゆる民族的な利益を売り飛ばして、今度はアメリカの国益のための戦争で日本を売り飛ばそうとしているのが現実の姿である。このような民族の悲劇を2度と繰り返すわけにはいかない。

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