第2ラウンドの活動飛躍へ
横野(安岡)沖洋上風力発電建設に反対する会は2日、下関市横野、安岡、福江の191号線沿いで、洋上風力発電建設反対のための住民アピール行動をおこなった。午前と午後に分けた2回の行動で合計224人が参加し、通行人やドライバーたちに向け、横断幕や幟、プラカードなどを手に洋上風力発電建設阻止の意志表示をおこなった。2014年から横野の会を中心に周辺住民らが毎月参加しておこなってきたこのとりくみは、今月3周年を迎えた。この過程で安岡地区の他の町内、福江、吉見など山陰の他の地域からの参加も増やしてきており、この日も他地域からも多数の参加があった。
午前9時、午後4時から1時間ずつ2回の行動をおこなったあと、横野公会堂で、同会主催の「慰労会」を開いた。慰労会では、3年間の活動を振り返り、地域住民みなの労をねぎらうと同時に、今後の風力反対活動をとりくむうえでの意見交換をおこなった。7月の経産大臣の容認勧告まで来て、これからの活動を「第2ラウンド」として、いっそう住民同士が一致団結し、さらに活動の輪を広めて、強力な市民の反対世論をつくっていく活動へと発展させていくことを誓った。
開会時間の5時30分には、町内放送でも参加を呼びかけ、夕方の沿道での反対アピール活動を終えた住民や、安岡地区の他の町内からも住民など約100人が公会堂につめかけた。食事やお酒も並び、婦人たちがつくった豚汁には横野でとれた安岡ネギが入り、農家で収穫し各自でゆでて持ち寄った枝豆や、安岡の漁師からもアンコウ鍋の差し入れがあり、終始和気あいあいとした雰囲気で会は進行した。
はじめに、会の役員が今回の行動で横野の会がおこなってきた沿道での活動が丸3年となり、合計73回、毎月継続して沿道に立ち続けてきたこと、参加者の延べ人数は8517人となったことを紹介した。
続いて横野の会の新井萬会長が挨拶に立ち「3年間とりくんできたこの活動は、いろいろな地域に広がっている。地域のみなが一生懸命継続してきたおかげだ。“絶対に建てさせてはならない”という強い意気込みが、多くの人人に理解されてきていると思う。これからは第2ラウンドとして、前田建設にも圧力をかけていきたい。1年、2年とかかろうとも、絶対に建てさせないという強い気持ちで広めていきたい」と呼びかけた。
横野の会の世話役である役員らが一人ずつ紹介されたあと、横野以外の西安岡自治会、安岡本町、安岡東町からも集団で参加した住民らが紹介され、地域の垣根をこえ、結束して活動を継続してきたことが強調された。
横野自治会の坂口伸一会長は、「横野の会が発足してから半年の時期に会長になり、それからは横野540世帯が一緒になった活動をとりくんできた。これからは第2ラウンドになる。安岡洋上風力以外に、県外でも風力反対の声は上がっている。この運動、日本の中心に横野がなるんだという気概をもってやっていきたい。これから綾羅木、吉見方面にも活動を広げていくためにも、ここに集まっている一人一人が中心とならないといけないし、これが実現しないと負ける」とのべ、今後一層の奮闘を熱を込めて住民に呼びかけた。
「第2ラウンド」としてこれまでの活動を継続しながら、さらに今後どう他の地域に広めていくか、風力建設計画をどう跳ね返していくかについても論議になった。
横野の会の村上彪副会長は、「3年間継続してきたということが、周囲の意識にも強く影響を与えている。北海道でも、横野で住民が毎月反対活動をおこなっていることを知っている人もいると伝え聞いた。地域の歯医者にいったときには、暑い日も寒い日も毎月継続して沿道に立っていることを感心され、“水も用意しているし、トイレも使ってくれ”といってもらった。表だっては一緒に活動していなくても、そういう気持ちで支持してくれる人は市内にもたくさんいるという確信を持って活動を続けていきたい」と話した。また、今後活動を広げていくうえで、「山陰方面の吉見、豊浦、豊北などでは多少広まっているが、安岡から南の方面ではまだまだ認知されているとはいえないと思う。これまでとは違う活動もとりくんでいきたい。長府トンネルのあたりまで出張して、横断幕や幟を使って活動したい。また、これまでは横断幕などでは“10㌔離せ”“低周波による健康被害”と訴えてきたが、“われわれをモルモットにするのか”“実験台にするな”など、もっと強い言葉を使って意志を示してもいいと思う」と提案すると、会場からは賛同の拍手が起こった。
また、「活動を広めるには安岡地区の同窓生や自治会の仲間の繋がりをもっと活用していくこともできるはずだ。安岡小学校は今、市内でもとくに在校生が増えている。私たちは先はそう長くないが、子どもや孫のために反対している。そういう人はかなり多いはずだし、この思いをもっと伝えていくべきだ」との意見も出た。
これから第2ラウンドをたたかっていくうえで、横野を中心に周辺地域との繋がりをさらに強め、風力反対の世論と行動をより強固なものにしていく出発点として画期的な会となり、最後は一本締めで散会した。