下関市長選を終えて、自民党林派が大いばりをして町を歩いたり、安倍派がカリカリ怒っていたり、だれが勝利してだれが敗北したのか勘違いが横行している。
難攻不落の権力支配と見られていた安倍派は、市長、県議、市議の現職3人を犠牲にして林派市長をつくる結果になった。これがはじめからの安倍派のプログラムであったわけがない。林派にはそんな力はなく、別の力によって狂ったのである。
江島市長もやる気満満であったが、これもプログラムが狂って、あがいたあげくに見苦しい不出馬表明となった。林派も半年前にはまさか市長ポストをとれるなどとは思ってはいなかったことは、今のハシャギようが証明している。安倍派に頭が上がらぬ林派としては、これもプログラムが狂って林派市長となったのである。選挙は江島市長や安倍派の思い通りにならなかったが、林派も思いもかけぬ結果であった。
選挙戦の結果として証明されたのは、自民党県連とくに安倍派がメンツをかけて取り組むという格好をした友田氏について、実際にはメンツを捨てて安倍派自体が全力投入ではなかったことである。前回江島票から5000票余りが中尾票に流れており、3人の安倍派現職を人柱にして、中尾本命の勝ち馬乗りをしたのである。
林派が中尾選挙の前面に出て踊ったのは、市民票が中尾氏に集まってくるし、安倍派を弱体と見たからである。そして長周新聞なり市民の会の排除を執拗にやったのは、市民票はもらうが林派が主導権を握るため、林派市長として利権を私物化したいためである。
林家は元元近隣の農民を搾ることで大きくなった。農民が汗水流して畑を耕し、種をまき、苗を育てて、実がなると、その実だけとって逃げて大きくなってきた。今度の選挙もそれに似ている。安倍代理江島市政を打ち倒す市民の世論と運動が大きく育ってきたら、市長利権という実だけ自分たちがとって逃げようというのだ。こういう姿を人人は「さもしい」とか「小商人(こあきんど)商法」といってきた。林派が選挙の勝利者と思ったら勘違いもはなはだしい。
選挙戦は裏と表、虚と実が入り交じり、複雑な様相で展開してきた。だが安倍派や江島市長、林派の思惑やプログラムを狂わせ、最後は中尾氏を市長にした力は、疑う余地がなく市民運動の力である。林派は1つも江島市長を倒すことをやってはいない。それどころか林派市議こそ飼い猫議会の急先鋒をやってきた。安倍代理江島市政とたたかった市民の力が、あの強力な支配を崩したのだ。この市民の力は林派の力でははるかに及ばないものであり、はしゃいでいる林派は恥をさらしていることを知らなければならない。この選挙の真の勝利者はまぎれもなく市民である。
何年もかけて市民世論を喚起し、江島市政打倒の力を結集してきたのは、ごみ袋値下げ10万人署名から、満珠荘の再開を求める8万7000人の署名運動を軸にした、市民の会を中心とした市民運動である。長周新聞も、昨年秋からだけ見ても毎回3万部ほどの号外を7回、計20万部以上を旧市内と旧郡部に配布して市民世論を喚起してきた。この運動以上に安倍代理江島市政とたたかったところはない。この力が市民の力を結集し、あの権力支配の壁を突き破った力である。
中尾当選の原動力になってきた市民の会グループ・市民交流センターの運動を感謝するどころか敵視し排除してきたのは、市民票だけもらって市民を裏切り、林派利権でいくという姿勢を象徴している。自分が市長権限を握るのが目的であり、市民をペテンにかけ利用するだけというのでは市民は困るのだ。それ以上に、強力な権力であった安倍代理江島市長を倒した力は、それよりうんと貧弱な林派利権市政を許さないという現実を理解しなければならないということである。
中尾票は林派の票よりはるかに市民票が多い。市民の多くは、「だれにも入れるものがいない」といいながら、中尾氏の政策を支持しそれを実行することを要求して票を投じた。中尾氏はこの市民との約束を忠実に実行しなければならない。市民の側は、安倍代理江島市政を打ち負かした市民運動の力に確信を持つことが重要である。この運動をさらに大きなものにしていくことが、中尾市政を動かして下関を良くする力になることに確信を持つことができる。