支持率回復を狙った内閣改造も特効薬にはなり得ず、安倍政府は倒壊寸前まで追い込まれている。このなかで、野党の民進党もボロボロの状態で代表の蓮舫が辞任するなど、自民党と同じく混迷を深めている。そうして、いまや内閣支持率が低迷している最大の理由は「首相が信用できない」で、支持する理由は「ほかにいないから…」なのだという。情けないかな、これが今日の政治状況のすべてを物語っているように思う。
政党政治の劣化はかねてから指摘されてきた。その度に、ならばいつの時点が劣化していなかったのか? 誰の政治と比較してその人は劣化を嘆いているのか? 等等、細かい点についても気にかけてきた。ただ、今目の前にしているのは、劣化もなにも、二流にも及ばない三流、四流政治がドタバタと騒々しい音を立てながら崩壊し、以前ならとっくの昔に禅譲していただろうに、なおもポストを握りしめて離さない異様な光景である。これは恐らく、「千万人といえども吾行かん」(岸信介が座右の銘にしていた孟子の教え)の意味をはき違えているか、解釈変更しているのだろう。「自ら省みて直くんば」が抜け落ちているように思えてならない。
4年半前、民主党・野田政府の自爆ともいえる大政奉還(解散総選挙)によって、自民党は再び権力の座を手にした。その「勝因」は政策云々ではなく、受け皿がないことにあった。自民党自身もそれ以前の選挙より得票数を減らしたのに、同じ選挙で民主党がおよそ2000万票近く得票数を減らした。いわば他人が転けてくれたおかげで転がり込んだ1等賞だった。この政治不信と受け皿がない状況下で返り咲いたあだ花内閣が、その後自分たちの実力以上に自分たちを過信し、ことのほか思い上がって私物化に励んだうえで、退場を余儀なくされようとしている。「美しい国」「日本の伝統」等等、叫びたいだけ叫べばいい。ただ、潔く散っていかない彼らにサクラは似つかわしくない。
ずるいのが奥の院で、そろそろ番頭役の安倍晋三がボロボロになってきたので、次は目先を変えて小池百合子率いる「日本ファースト」にチェンジしようとしているのが見え見えである。細野豪志をはじめとした民進党脱出組と「ファースト」に投機する元自民党や日本会議出身者などが野合し、「受け皿」もどきで急場を凌ぐ布陣にも見える。みんなの党や維新の党に続く、自民党がダメになったときの宿り木確保、すなわち三番煎じである。それらが改憲を唱え、まるで安倍自民党を批判するような格好をして同じことをやるという欺瞞である。こうした目くらましに欺される訳にはいかない。
特定の政治家に限らず、政党や政治家というのが集団劣化している。官僚も忖度が大流行してしまい、大手メディアも権力の監視という任務を放棄して久しい。そして、独占資本は東芝筆頭にズタボロである。これらがみんなして忖度している相手は米国だ。にわかにトランプの真似事ファースト劇場が始まろうとしている。 吉田充春