いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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下関市唐戸・赤間 9月末で10店近く閉店  市役所立派になる一方で

 下関市内で商店や飲食店の閉店があいついでいる。リーマン・ショックから4年が経過したなかで、この間は市民の消費購買力がガタ落ちして、客足が減っていく状況を耐え忍んできた店舗が少なくない。しかし、様相は悪化するばかりで、見切りをつける流れになっている。とりわけひどいのが、かつてもっともにぎわっていた中心市街地の唐戸・赤間地区といわれている。経済情勢の悪化を反映していると同時に、なぜ「地域再生」に行政がもっとも力を注いできたはずの唐戸地域がこれほどまでに寂れていくのか、という疑問が語られている。
 
 テナント料や税金が重荷に

 唐戸・赤間地区からは九月末をもって閉店・撤退する店舗が続出した。その数は当初6店舗といわれていたが、スナックや飲み屋も含めると10店舗近くにも及んでいることが話題になっている。通りに面した部分だけでなく、小規模な飲食店やスナックが入った雑居ビル、さらに狭い路地に面した飲食店など、日頃は目につきにくい場所からも人知れず店が消えてゆき、いつの間にか更地や駐車場に変貌していく。老朽化した建物を更新する余裕もなく、隣が更地になって余計に古さが目立ち始めた箇所も多い。
 ビルの一角に店を構えていた小料理屋の扉には、「33年間のご愛顧誠にありがとうございました。平成24年9月末をもって店を閉めることになりました」と店主が自筆でしたためた挨拶文が貼られていた。馴染みの客が少なからずいた店だった。
 中野書店がある通りからは、曲がり角で人気を博していた惣菜・弁当のブランチハウスが閉店。韓国雑貨を販売していた店舗も短期の閉店となった。さらに開発ビルのカラトコアからは、閉店した割烹料理・魯山亭の階下に入居していた東洋証券が撤退。10月に入ってからゴミ収集のダンプカーが横付けし、内部の荷物をまとめて運び出す作業に追われた。その様子を周囲の店主らが見守った。喫茶店「チャールストン」も閉店した。
 市もかかわって開発したカラトコアだったが、メイン店舗だったSOGOが事業が傾いて撤退し東洋証券はその後に入居していた。他のフロアも空きが目立ち、壁の至るところに「テナント募集」「貸店舗 大特価」「値下げ」といった貼り紙がされている。「再開発してからダメになった。マルショクがあった頃が花だった…」と関係者の一人は心境を口にしていた。
 このあたりは昔のメイン通りといってもおかしくなく、中野書店が軒を構えている通りには、子どもたちがあししげく通ったおもちゃ屋の「上野」や曲がり角の「セキバ電器」「山本靴店」「大林スポーツ」、お父さんたちの暇つぶしだったパチンコ店「湖月」、化粧品の「江良」など地元住民の馴染みの店がいくつもあった。一つ二つと消えていき、老舗の中野書店も経営者が市外の人に交代し、両隣の並びはシャッターが閉まったままの店舗が増えている。
 スナックが軒を連ねている国道沿いのスカイプラザも空き店舗が目立つようになった。国道沿いでは交差点前の「溶岩焼ダイニング廣井」も閉店。長州屋台村がある通りからは、曲がり角の寿司屋が閉店した後に海産物販売店が出店していたが、短期で見切りをつけた。ラーメン屋「一寸法師」の並びも「マキノ薬舗」や「もち吉」が随分前に店を閉めシャッターばかりが目立つ。閉店したゲームセンターの跡地に入っていた八百屋も移転し、店舗前はテレビやコンポなど家電製品のゴミ置き場と化している。東南アジアに売られていく中継地点のような集積場となり、「地デジ」特需のテレビ買い替え時期には、人づてに聞きつけた人人が車で乗り付け、次次に捨てていく光景が見られた。喫茶「関の杜」があった店舗には若手が10月からピザ屋を始めると話題になっているものの、動きが見られず「どうなったのだろうか…」と成り行きが見守られている。
 サンリブとの相乗効果がある銀天街も華やかさで目立っていた通りだが、シャッターが目に付く状況は同じで、「あそこに行けば手芸用品はなんでも揃う」といわれていた手芸用品専門店の「立田」が40年近い歴史に幕を下ろして早くに閉店。戦後の焼け野原から復興し、店を出していたのが誇りだった「岡村美術」も喫茶ギャラリーに転換した。通りに面した市議会議員所有のビル窓を見上げると「市民が自慢のできるまちづくり」の横断幕が目に入ってくるものの、寂れ切った地域の実情と照らし合わせたとき、宙に浮いた空文句のような印象を与えている。議員(地主)が競艇の舟券売り場にするといって閉店させたピザ屋(大人気だった)の後はいまだに入居がないままで、「せっかく活気があったのに、わざわざ芽をつぶしてしまった」と残念がる店主も少なくない。
 観光客でにぎわうカモンワーフでも、カステラ生地にアンコやカスタード、抹茶などをくるんだ“ふく饅頭”が売りだった「陣屋」が閉店した。一階エレベーター横の目立つ店舗が空いた。カラトピアの専門店街も空洞化が目立つ。
 「9月末閉店」予定だったものの、家賃交渉の末に従来よりもテナント料を下げてもらって存続できた店があることも話題になっている。店舗の広さによって価格は千差万別だが、このご時世に10万円近いテナント料を負担するのは少少ではない。閉店していった多くの店が貸店舗での営業だったのも特徴で、自己所有の店舗との違いもはっきりと出ているといわれている。
 食料を扱っている店主の一人は「1日の売上が数千円のこともザラ。原価計算したらもうけは僅かだ。それで10万円近いテナント料を稼ぐのは厳しい」と実情を語っていた。バブル期や客が多かった時期ならまだしも、これほど経済情勢が傾いてくるとテナント料が大きな重荷になってくるとだれもが口にしている。テナント料を稼ぐために働いているのか、税金を納めるために働いているのかわからなくなるほど、手元に残るお金が少ないという。
 九月末で閉店したある店舗の家主のところへは労基署があらわれ、実は賃金未払が問題になっていることもわかった。だれにも迷惑をかけずに撤退できれば御の字で、店を閉めた後も大変なのだといわれている。

 豊前田も桑原薬局閉店 戦前からの老舗 

 こうした状況は市内の他の商店街や飲食店でも同じで、豊前田商店街からは戦前からの老舗だった「桑原薬局」が9月末で閉店。商店街のなかで最古参といわれるほど長い歴史を持ち70~80代の老人たちが子どもだった頃から目にしていた店だ。飲食店では割烹関係の苦境が早くから顕在化していたが、前述の「魯山亭」に続いて近年は長府の「楽楽庵」も閉店。海峡沿いにあった「しずか」も経営主体がかわった。割烹に続いてグリーンモールなどの焼肉屋も不況の影響が顕在化し始めていると食肉関係者のなかで話題になり始めている。年に数回市民が足を運んだり、少しの贅沢を満たしていた飲食店の行き詰まりが、他よりも先行している。
 尋常でない消費の冷え込みが直接の引き金となっている。ところがそうした苦境に追い討ちをかけるように、消費税を滞納したら税務署が生命保険や財産を差押えに来たり、市民税を滞納したら市役所が差押えに来た、とかの話題が絶えない。商売どころか身ぐるみ剥がされるようなもので、経営難↓閉店の悪循環を促進している。閉店しても追いかけてくる。

 一方で買い物施設開発 イズミが代表格 

 市内全般で景気の良い話題よりも不景気な話題が増えている。ところが、既存の商店・飲食店の閉鎖とはまったく裏腹に、新規ショッピングモール、買い物施設開発にわいている部分もいる。川中・伊倉地区に巨大ショッピングモールをオープンさせたイズミが代表格で、今度は下関駅の一等地、JR西日本が地元商店を追い出した名店街に進出することや、新椋野の区画整理用地に「ゆめマート」を出店することも取り沙汰されている。スーパー・イズミというよりは不動産業者かと思うような状態だ。30万都市の商圏を揺るがす存在で、既存の商店街やショッピングモールの衰退に大きな影響を及ぼしていることは疑いない。
 そうした新規ショッピングモールに100円ショップの「ダイソー」や「ファッションセンターしまむら」「ユニクロ」といった全国どこにでもあるチェーン店が金太郎飴のように出店し、飲食関係も全国チェーンが席巻していく流れとなっている。

 活況は土日や祝日だけ 「再生」どころか衰退 

 前述の唐戸地区では、この10年なり20年近くを振り返ったときに、もともとあった住民の暮らしや商業の生業とはまったく状況が変化してしまったことが語られている。車社会の到来で郊外に客足を奪われた他にも、市役所がある中心市街地でありながら、後背地の少子高齢化が進行して現役世代が少なくなったことや、唐戸魚市場が観光市場に変質したこと、警察OBの天下り先を作ったおかげで駐禁取締りがやられ、客が追い散らされるようにもなったこと、シャッター街になるなかで全体の元気がなくなっていったことなど、さまざまに衰退の要因が語られている。そこに大不況が加わって、如何ともしがたい事態をうみだしていると店主たちは語っていた。
 カラトコア、カラトピア、カモンワーフと行政がかかわって開発はされてきた。ところが地域再生どころか衰退に歯止めがかからない。
 とくに近年は観光都市を目指す動きが強まり、カモンワーフの一角だけが土日・祝日ににぎわうスポットになった。街からは切り離れた存在で、海沿いだけに観光バスが止まり、飲食店が土日・祝日限定で活況を見せる。渡船に行けば客を奪い合ってけんかみたいなことまでやっている。ところが平日になると打って変わって閑散としている。イベント紹介のにぎやかな写真が観光パンフレットに掲載されても、それは唐戸なり下関の真実の姿ではない、というのもみなの共通の実感だ。
 「地域再生」に対して、よそよりも力を注がれてきたはずの唐戸地区が、なぜこれほど衰退するのか? という疑問を多くの市民が抱いている。人口分散を伴う市街地開発、観光化が巨額の費用を費やして進められる過程で、表面的には綺麗になり、瞬間的なにぎわいはもたらされるようになった。しかし、住民生活やその暮らしとの遊離が明らかに進行したといわれている。
 にぎわいや街作りは、そこに暮らしている人間にとってどうかが抜け落ちれば、上っ面だけの軽薄なものになってしまうことや、地方都市の現実とその衰退の本質から目をそらして、安易に都会や観光地の真似事に走るだけでは、ますます現実から乖離して空洞化が進んでいくと懸念されている。NHKの大河ドラマ、レトロ、B級グルメといった流行モノに振り回されるだけでは気付いたときには街そのものが本来持っていたコミュニティー、文化、人間そのものの資源が失われていた、ともなりかねない。
 駅だけ立派で周辺壊滅。市民の困窮した状態に脳天気で役所だけピカピカになって、周辺壊滅というのも、今の下関を象徴するものになっている。
 大不況ならなおさら、地に足をつけた地域再生が待ったなしである。地元資本の商店・飲食店閉鎖があいついでいるなかで、イズミのような県外資本の草刈り場を増やして、ますます客足を奪い、悪循環に拍車をかけるようなことは止めさせることが求められている。下関の商業衰退は決して自然淘汰というような代物ではなく、街作り全体の方向性とかかわったものであることが浮き彫りになっている。

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