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3月に迫るMCS閉鎖 若者の人生狂わせる残酷さ 家や車のローン抱え解雇

 下関市では三井金属(本社・東京)の子会社であるMCSの工場閉鎖が3月末に迫っている。派遣切りの直前まで、連日派遣社員を募集しており、最盛期には3000人近くの労働者を集めており、市内に残っている若者は一度はMCSで働いたことがあるといわれるほどだった。そこで解雇された労働者がどのような経験をし、その後どうしているのか、経済の疲弊が深刻化する下関では全市民にかかわることとして問題視されている。労働者や家族、地域の人人に実情を聞いた。
 
 関連会社も仕事がなくなる

 工場閉鎖が近づき、今MCSに残っているのは100人足らずの正社員ばかりだといわれる。年明けに配転先に行った人、家族ごと引っ越すことが決まった人もいる。下関に残ることを決め退職して職探しを始めている人もいる。小・中・高校でも新年度から転校が決まっている子どもがいたり、父親が単身赴任、母親もパートで働きながらの家庭が増えていることなど、子どもたちの生活に大きく影響していることを学校関係者も心配している。このなかで労働組合も、700人近くいた組合員が半分以下の人数になって維持できなくなり、事務の女性2人を3月いっぱいで解雇することになっている。関連会社も仕事がなくなり、敷地を売りに出しているが売れない。
 人が減っていく彦島では、年末年始もかつてなく静まり返っていたといわれ、地域の人人は「うちの近くにもMCSを首になった人が住んでいる。まさに“幼子を抱えて”。奥さんがパートに出ているが、子どもがまだ3歳なので毎日は仕事に行けないようだ。ご主人は失業保険が出るあいだに仕事を探すといっていた。家賃が6万円もするので、10万円そこらの給料では、家からも出て行かないといけない。頼れる実家がある人はまだいいが、実家のない人は本当に大変だ」「隣の家の人がMCSの正社員。最後まで残るといっていたが、この先どうするのか聞くに聞けない状態だ。三井金属の関連会社が中国にあるから、中国に行く人もいるという話も聞いた」など、心配されている。

 再就職先も見つからず 急激な貧困化進む 

 リーマンショック時の大量解雇から四年たったが、解雇された労働者のなかでは、再就職先が見つからず失業したままの人、見つかってもパートやアルバイトなどの非正規雇用ばかりで、生活の急激な貧困化が進んでいることが語られている。働く場のない下関では30代を超えるとさらに再就職は難しく、家や車のローンを抱えて家庭内がもめ離婚した人も多いといわれる。
 MCSで数年働いたという30代の男性は、「失業してしばらくは妻のパート代で食べていたが持たなくなり、家庭内もぐちゃぐちゃになって離婚した。今はアルバイトをしながら一人暮らしをしている」と話した。35歳になると職安に行っても、職種がものすごく狭まるのでぎりぎりの年齢。「自分と同世代は、同じような人が多い。自分ももともと工務店で働いていたが、当時MCSで働いていた友だちの話を聞いていると、工務店の給料がばかばかしくなってやめ、MCSに入った。とびついた自分も悪かったが、こんな状態になってあの数年間はなんだったのだろうかと思う」と話していた。
 主人が派遣社員として働いていた20代の夫婦は、最盛期は三交代で残業もあり、毎月25、6万円入っていた。妻は地元の零細企業でパートとして働き、二人の子どもを育てていた。しかしよかったのはわずかの期間。残業がなくなって給料は半減し、すぐに派遣切りが始まった。主人は最後まで残ったが、「このままいても、いつか首になる」と悩んだ末にやめた。土木関係の仕事についたが、そこを首になって以後やる気を失い、「探しても仕事がない」といって、職探しをしなくなったという。その間5、6万円の妻のパート代で生活していたが、家賃や光熱費、保育料などを払うと生活費が残らない。妻のパート先も遅配になることもある状態で、親も頼れず生活していくのに必死だった。一日中父親が家にいるため夫婦げんかも絶えず、子どもたちも不安定になって一時は離婚も考えたが、幸いやる気をとり戻して、再就職することができ、非正規雇用だが、今も共働きで生活している。
 派遣社員だった40代の婦人は、早くに両親を亡くして身よりもなく、一人でアパートを借りて生活していたが、失業後、家賃を滞納したため契約を切られ、帰る家がなくなって、今知人の家に住んでいるという。なかなか再就職先が見つからず、最近になってようやくパートの仕事につくことができた。しかし月月手取りが11万円前後。一人でアパートを借りて家賃を払うと生活することができないと、切実な思いを語っていた。
 他県から派遣社員として働きに来ていた50代の男性は、解雇後地元に帰った。地元で電機大手の下請会社に非正規雇用で再就職できたが、数年たった現在、そこも中国への進出で国内工場の仕事が減少している。「以前は残業もあったが、今は毎日定時上がり。先月の手取りは18万円だったから、今月はおそらく15万円程度だと思う。下請のうちの会社も親会社について中国に行くことになり、国内の方は三交代をやめて、常勤だけにするという話にもなっている。そうなると月月12万円程度になると思う」と話した。長く働いた下関に仕事があれば戻りたいと思っていたが、MCSの仲間だった人たちから下関も職がないという話を聞き帰れないという。「製造業はどこも同じようなことをしている。日本全体がどうなるのだろうか」と話していた。

 公園で水汲み使う家も 水・電気止められ 

 多くの市民に問題視されているのは、20代、30代の若者に高額な給料を出し、それがいつまでも続くかのように思わせて家を建てさせていったことだ。会社は家賃手当を数年で打ち切るなどしてマイホームを建てるように仕向けて、そこに住宅メーカーが猛烈な営業をかけ、山口銀行などが「MCSの社員なら3500万円まで貸し出す」といって、ローンで家を建てることを奨励する。その結果、家を建てた人は、失業してローンが払えなくなり、家を売りに出しても売れず、売れても安くローンだけが残る。家のローンでもめて離婚した夫婦もあるといわれる。
 MCSの社員が多いといわれていた新興住宅地では、ローンが払えなくなって出て行ったり、離婚して一人では家を維持することができなくなって出て行ったりして、隣近所の知らないあいだに住人が入れ替わっている。また水道や電気を止められて、近隣の公園の水道から水を汲んで自宅へ運ぶ家、ろうそくを灯して生活している家があることなど、生活の実態が深刻になっていることに地域の人人も衝撃を受けており三井金属の残酷なやり方に憤りが語られている。

 若い労働者の現実象徴 全市共通の問題 

 地域住民の男性は、ちょうど最盛期で工場を拡張するころ、ある関係者が「まあここも10年、20年くらいだがな」とちらりといったので、どういうことか問い詰めると、言葉を濁してそれ以上いわなかったといい、「工場閉鎖まで来て、そういうことだったのかとわかった。特許が切れるまでのあいだもうけるだけもうけて、やめるつもりだった。そう考えると、建物も突貫工事でつくったものだった。冬、外が冷えると内側に結露して水が漏るような建物で、よくその水がかかって火災報知器が故障していた。数年前にも火災報知器が鳴って、火事かと思ったらただの故障だった。大企業のやることはこんなものなのかと、今回本当に思った」と三井金属と彦島の長い歴史をふり返りながらさめざめと語っていた。
 主人が正社員だったという婦人は、「転勤の話もあったが、下関に残ることにした。だが主人が失業したら、子どもも保育園をやめないといけない。また職が見つかれば慣れた今の保育園に行けたらいいが…。三井金属の上の方の考えでものすごく振り回されてきた。ここまで見てきて、従業員や家族、地域の生活のことなどあまりにも考えていないと思う。地元に残り、給料は少なくてもずっと続けられる仕事をと思う」と話していた。
 市内の商店主は、「息子が高卒でMCSに入り、何年間も非正規で頑張って、ようやく正社員になれたと思ったら工場閉鎖が決まった。他県の関連工場に行くことになり、昨年嫁と3歳の子どもと一緒に引っ越したが、嫁は“こんなはずじゃなかった”“別れたい”と実家で漏らしているという。MCSは“会社が赤字だから”というが、内部留保は相当あるのではないか。ああいう会社は短期で切り捨てて別のところに移っていく。下関が不景気なのも、こうしたことが関係している」と怒りを込めて語っていた。
 多くの若者の人生を狂わせていったMCSの投機的なやり方に対する深い怒りが語られると同時に、こうした若者が市内にたくさんいること、また全国でも大企業の工場閉鎖があいつぎ、同じような状況が日本全国に広がっていることが論議されている。「働く場をつくれ」の大運動が起こる機運は充満している。

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