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下関では受け入れられない一坂太郎氏  「和のまつり」での基調講演中止せよの声

下関の長府庭園で10月10、11の両日「第4回和のまつり長府庭園」が開催されるが、その基調講演に、元東行記念館学芸員で同館所蔵の高杉晋作資料を萩市へ持ち去った一坂太郎氏が予定されていることが、下関市民の憤激を買っている。一坂氏はこれまで、功山寺決起や彦島講和談判の史実を否定し、高杉晋作の業績を萩の俗論党の側から冒涜するなど、明治維新をねじ曲げてきたこともよく知られている。このような人物が、下関で受け入れられるはずがなく、講演そのものを中止すべきだという声が上がっている。
 「和のまつり長府庭園」は、現在の浮ついた風潮に抗して、日本の文化を見直そうと同実行委員会(実行委員長=和仁皓明・東亜大学大学院教授)が主催して3年まえに発足した。第4回目となる今年の基調講演は「松陰と晋作」をテーマに一坂氏が「作家」の肩書きで講演することになっている。
 このことを知った市民のあいだで、「下関に泥を塗って逃げるように出ていったものが、よくのこのこ来られるものだ。だれが連れてきたのか」などと怒りをもって語られ、論議が広がっている。
 市内のある商店主は、「例年どおり、和のまつりのポスターを掲示するよう協力を求められて預かったが、一坂氏が講演することを知って腹が立ってはるのをやめた。一坂氏は、東行庵に寄贈された資料をふくめて、勝手に萩に持っていった泥棒だ。なぜこんなことになったのか、一坂氏も恥も外聞もなく下関によく来れるものだ」と怒りの声を上げている。
 また、「和のまつり」にとりくんでいる出演者や実行委員、協力者のあいだでも、「一坂氏の講演についての批判が強く、これまでのようにチケットを売ることがむつかしい状況がある」と話されている。
 下関の文化人のあいだでは、一坂氏がまつりの講師に決まったのは七月半ば、和仁実行委員長がソレントでの捕鯨委員会に出て不在のとき、実行委員会の顧問である御手洗美代子氏(下関市議)が持ちこんだと見られている。
 これにたいして御手洗氏は、「わたしが直接話を持ちこんだことはない。しかし、まつりを手がけ裏方として仕切っている立場から批判は受けて立つ」という態度で、「一坂さんを呼ぶことを批判する人は心が小さいといいたい。排斥するのではなく、もっと大きな心と愛を持って、受け入れることがたいせつだ。歴史の見方の違いについてはおたがいに認めあうことだ。一坂さんは、こちらの要請にたいして、なんの問題もなく二つ返事でひき受けられた」と、真向勝負の姿勢。
 高杉晋作の活動の真骨頂である奇兵隊創設と功山寺決起の地であり、高杉終焉の地でその骨を埋める下関の東行記念館から、高杉史料を萩に持ち出す策動は、山口県の意向で野村萩市長、江島下関市長と一坂氏が組んでやったものであることは、多くの県民の知るところである。
 それは一坂氏が、欧米列強の植民地化を拒み、民族独立と腐敗した幕藩体制を打倒して近代日本を切り開く明治維新革命をたたかった父祖たちを誇る山口県民を冒涜する史観をふりまいて、真実とは無縁な卑俗な商業主義の世界に転がりこんだことと軌を一にしたものであった。そこには、大きくいって日本近代の歴史をその出発点からねじ曲げることで、今日の社会現実に肉薄し、積極的に変革する姿勢を萎(な)えさせようとする力が働いてきたといえる。
 東行記念館の学芸員の時期から一坂氏の言動に批判的であった文化人は、「一坂氏は多くの市民の協力で保管していた資料を勝手に持ち出したのに、県や野村・萩市長らにかかえられて、新しい博物館(特別学芸員)に収まった。マスコミも朝日、読売、西日本などが一坂氏を持ち上げ、大きくあつかっている。一坂氏は天狗になっているのではないか。恥を知るべきで、講演そのものができないようにすべきだ」と語っている。

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