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劇団はぐるま座「動けば雷電の如く」下関公演  維新革命の英雄像現代に響く


 劇団はぐるま座公演『動けば雷電の如く――高杉晋作と明治維新革命』(原作/小田和生、改作/劇団はぐるま座創作集団)の全国初演となる下関公演が、21日午後2時からと午後6時30分からの2回公演としておこなわれ、昼800人、夜600人の合計1400人が海峡メッセ下関4階イベントホールに詰めかける大盛況となった。全県・全国からも参加があった。幕が上がると、俳優の熱演や目を見張る舞台背景の絵、斬新な音楽などが、現代社会の変革を求める観客の気持ちと響きあって、会場全体が一体となり明るく生命力ある舞台をつくり出した。徳川幕藩体制を打倒して民族の独立を守りぬいた英雄たち――百姓や町人と、それを指導した高杉を生き生きと描いた舞台に、幕が下りても多くの観客はロビーで感動を語りあい「明治維新を成し遂げた誇りある日本民族の歴史を全国に広げよう」「子どもたちや若い世代にぜひみせたい」「この芝居で日本が変えられる」と今後の全県・全国の公演への期待と確信を語りあった。
 下関公演は、1カ月前の5月21日に第1回実行委員会が立ち上げられた。全市内に2000枚以上のポスターが貼り出され、吉田・新地・長府の高杉ゆかりの地の人人をはじめ、市内各地の商店、企業や自治会、老人会、JA各支所、大学や保育園、小・中・高校、PTAや青少年スポーツ関係、また水産加工の工場やタクシー、病院・介護関係、県・市役所などの職場で、さまざまな形で呼びかけがおこなわれた。台本を読んで感動した人人を中心に数百人が「下関の誇りを取り戻そう」と合計3000枚以上のチケットを預かって周囲に熱意をもって呼びかけ、市内を回る宣伝カーに励まされてもっと奮斗するなど、わずか1カ月のあいだに全市的な市民自身の運動となった。
 当日、雨がひどくふきつける悪天候のなか、昼公演1時間前の午後1時をすぎると、会場には続続と市民が詰めかけ始めた。教師に引率されたたくさんの子どもたち、また誘いあっての年配者らが目立ち、会場はほぼ満杯となった。
 公演に先立ち実行委員会を代表して挨拶にたった海原三勇氏(元下関市中学校PTA連合会会長)は、「はぐるま座が25年間、全国で何百回となく公演してきた『高杉晋作と奇兵隊』の舞台が、多くの人の感想や意見、疑問点をもとに、今回全面的に改作された。今回の舞台は高杉晋作が農民たちとともに明治維新の改革を成し遂げたことがよく描かれており、子どもも大人も学び、楽しめる劇になっている」「明治維新といえば萩というイメージがある。高杉は萩に生まれたが、奇兵隊を結成したのは下関であり、決起をおこなったのも下関だ。これからこの舞台を下関から全国へ発信していく。より多くの方のご支援をいただきたい」とのべた。

 魂を揺さぶる総合芸術 迫力ある音楽や背景 
 迫力ある太鼓と「男なら」のメロディーをかなでるピアノから始まり、第1幕の幕が開くと当時の馬関の海峡風景が目の前に広がる。外国艦隊に破壊された前田砲台の台場跡で汗を流して働く百姓や町人。「わしらがこねぇ食えんようになったんは、徳川が開港してからぞ」と話しあうなか、「難儀しよるんはみんな同じなんじゃのう」「徳川を倒して世直しするんじゃったら命をかけるがのぅ」と政治意識を高めていく。そこにあらわれた高杉晋作。「男なら」を歌って踊り、百姓たちの手拍子と笑いに迎えられる姿に会場が沸いた。
 2場は高杉と下関の回船問屋・白石正一郎との出会いの場面。四民平等、独立開国という高杉の主張に、「馬関はもちろん、         白石正一郎末裔、東行庵兼務住職から花束が贈呈されたカーテンコール
上関までの商人は自由な商いができる世の中を願うております」「わたくしも高杉さんとともに国の夜明けを見る楽しみができました」と堅い握手をかわす白石。身上をなげうって維新革命に尽くした白石の存在感を、見る者に強く印象づけた。
 3場は遊撃軍陣屋前、奇兵隊隊士となった百姓や町人たちと、奇兵隊を解散させようと肩をいからせてきた毛利家譜代の臣・坪井椋之進のやりとり。若き甚平が「こっちゃ熊でも猪でも百発百中の鉄砲撃ちじゃ」と堂堂と銃を構え、坪井を退散させると、会場からはどよめきと拍手がわき起こった。
 続く4場は、陣屋内で、軍を率いて京へ攻め上ることを主張する筑前と来島又兵衛、それを阻止しようとする高杉。空理空論の尊攘派に対して、高杉の「当てにならぬ大名や天皇に幻想を持つのでなく、自分たち自身の力に頼ること、すなわち奇兵隊と諸隊の力に頼ることだ。そして民百姓と一緒に戦って初めて幕府の強大な権力をうち負かすことができる」という主張に、観客はかたずをのんで聞き入った。

 観客と一体になる舞台 かけ声や拍手も 
 風雲急を告げ、緊迫感が増す第2幕。長州藩が朝敵となり萩の藩政府が俗論派に占められるなか、高杉は、上辺の潮の流れでなく底の本流を確信して「国のため、民族のために立たねばならぬ」と萩を脱出する。高杉が「親を捨て子を捨つるまたなんぞ悲しまん」と吟ずると、観客はみずからの生き方を重ねて胸を熱くした。
 遊撃隊陣所では、「幕府の大軍に取り囲まれて勝ち目はない」とちゅうちょする奇兵隊軍監・山県と、これに対して「長州征伐にきている各藩の足元では一揆さえ起きかけとる」「日本中で百姓が頑張っとるんじゃ」と対峙する奇兵隊士。高杉は「話して動かぬなら行動で動かす」と功山寺で決起する。弥市が決意を込めて「凛冽寒風面まさに裂けんとす」と詩を吟ずると、会場からはかけ声や拍手が一斉に起こった。
 高杉たちの行動は奇兵隊・諸隊を動かし、50万領民を立ち上がらせた。「のけのけ、邪魔だ、邪魔だ」と威勢のよい声と一緒に、農民のお常とお芳たちが差し入れの米俵を積んだ荷車を引いて舞台に登場すると、会場は「おぉー」とわいた。「これが証文じゃ。戦がおわったら必ず返しますけぇ」という弥市、「なにを水くさいこというちょるかッ」というお常。「いいや! 百姓衆がどねぇな苦労をしてこれだけの米を集めたか、わしらにわからんとでも思うちょるんかッ」と真吉がいい、お常が「そうか。それでこそ、高杉さまの奇兵隊じゃ!」と応える。この場面では広い会場のあちこちで涙をぬぐう人が見られた。
 それからは場面が転換するたびに拍手が起こり、高杉が俗論政府を打倒し藩論統一を成し遂げ「これは死ぬことも恐れずよく戦った諸君らの奮斗と、なによりも50万領民の力だ」と礼をのべる場面、また満27歳8カ月で死亡した高杉辞世の句「面白きこともなき世を面白くすみなすものは心なりけり」が読まれる場面では、拍手は最高潮に高まった。終幕では「よくやった」「ありがとう」とかけ声をかける人、舞台でお礼をのべる俳優陣に手を振る人など盛り上がった。公演終了後、観客は興奮した面持ちでしばし立ち去りがたく、会場やロビーでさめやらぬ感動を語りあい、俳優と握手し肩をたたき、「これだけよく集まった」と喜びあった。
 午後6時30分からの夜公演には、仕事を終えた労働者や商店主などの現役世代、親子連れや中高生のグループなど、若い層の参加がめだった。夜公演のカーテンコールでは、下関公演実行委員会を代表して白石正一郎末裔の白石資朗、東行庵兼務住職の松野實應の両氏から、劇団はぐるま座に初演の大成功を祝賀する花束が贈呈された。
 2回公演で451枚集まったアンケートには、史実に迫る台本のすばらしさとともに、舞台で演じる1人1人の劇団員の輝く瞳や、感動をもって演じる俳優の演技に胸を熱くしたことが多く記された。それとともに、場面の転換のたびに目の前に広がる本物とみまがう背景――遊撃軍陣屋の内外風景や嵐のあとの星空などの美しさ、そして俳優の演技と響きあって気持ちを盛り上げた音楽についても多くの感想が寄せられた。それらがアンサンブルをかなで、総合芸術として観客の魂を揺さぶったことが感動的に記されている。

 全国で“大旋風を” 俳優を囲み感想交流会・深い感動と期待
 『動けば雷電の如く』の昼と夜の公演が終わると、会場のロビーで感想交流会がおこなわれた。昼も夜も劇をみた感動のさめやらぬ人たちが、俳優を何重にも取り囲み、ひきもきらず感想や意見を出しあった。
 下関市長府の退職教師は「幕が開き、太鼓とピアノで奏でられた音楽がまずよかった。バックの絵の色彩感覚がすばらしく、舞台全体が明るかった。そして若い俳優の人たちが、劇を演じることに生きがいを感じていることが伝わってきた。高杉が詩を吟ずる場面があったが、日本の歌がこれほど表に出た舞台はこれまでにないのではないか。そして台本は歴史の流れのポイントがおさえられてわかりやすく、セリフは洗練されている。全体としてたいへんよかった」とのべた。
 市内の綾羅木から来た自営業の婦人は「ピアノが舞台をひっぱっていた。ドキドキして見入ってしまった。高杉晋作が百姓の笑いのなかから登場したのがさわやかだった。バックの絵がすばらしく、子どもまで感激していた。セリフもこれまでにみた劇団のなかで1番すばらしく、目の表情や瞬き1つにまで魂がこもっていた。詩吟もどこのミュージカルにも負けない。脱帽だ」と感動の面持ちで語った。
 市内新地地区の会社員は「改作されて非常によくなった。下関を舞台にして高杉晋作が農民中心にどのように奇兵隊をつくっていったのかがよくわかった。あっという間に終わったという感じだ」とのべた。下関市民の会の会員も「非常に感銘を受けた。大八車に米を積んで農民と百姓が手を結んだ場面では涙が出た」とのべた。市内の高校生たちは「高杉がたくさんの農民たちとともに明治維新をやったことがよくわかった」「身近にある歴史をもっと知っていきたい」と発言した。
 下関公演には、全県・全国からも「維新の発祥地で初演をみたい」と参加者があったのが特徴。鹿児島県から参加した農民は「この劇の基本に流れているのが百姓の苦しみと立ち上がっていく姿であり、うれしく思った。高杉の“攘夷して開国”という思想にひかれる。今、日本の農家は減反と米の輸入枠が押しつけられて、米をつくりたくてもつくれない。不平等条約をまず破棄して、その後に対等な関係を結ぶべきだ。舞台をみて胸がいっぱいになった」と語った。
 岩国市や周辺市町から参加した年配者は「これから旧玖珂郡5会場でこの舞台をやってもらうが、今日の公演に元気づけられた。私のところでも会場を満杯にしたい」とのべ、福岡県田川市からきた参加者も「今日は会場が満員で、実行委員会の力を見せていただいた。私のところでも公演をやり、子どもたちに見せて人材育成につなげるため、今後PTAのとりくみなどに力を入れていきたい」とのべた。
 愛知県から来た戦争体験者は「戦後、テレビや映画で高杉晋作をまともにやったことは1度もない」と問題を提起。「今まで62年間、いろんな演劇をみてきたが、今日のような舞台は初めてだ。この劇を歌舞伎座の回り舞台でやったら、東京あたりの人間はびっくりするのではないか。このような舞台があるとは思っていないだろう」と強調した。これに応えて広島県からの参加者も「高杉がとりあげられないのはいまだに俗論がはびこっているからだ。山口県でもそうではないか」と発言。他の参加者からも「今の日本にも俗論が多い。統一をしないといけない」「政府もそうだ。四民平等がない」「どうやったら日本を変えられるか。行動を起こさないといけない」「この劇はまさに現代を呼び起こしている。今がチャンスであり、全国で大旋風を巻き起こして欲しい」「今日の出会いをこれで終わりにせず、今後も連携をとりあっていきたい」などと次次と期待が語られた。
 これに応えてはぐるま座の俳優からも「今日は維新発祥の地の下関で初演をやることができた。劇の内容は実際にあったことであり、歴史の真実を描くことで、その誇りが現代に響いていると思う。見送りで多くの方に熱烈な言葉をかけていただいたが、そのなかに“人民安堵の旗を掲げて今の世の中を変えないといけない”という意見があった。劇団員もますます精進し、みなさんのエネルギーになっていけるよう頑張っていきたい」と、お礼と決意が語られた。

 参加者の感想
 若者達にぜひ伝えたい歴史  広島・被爆者 新枝洋子
 第1には、舞台装置のすばらしさです。夕日から夕闇へ、そして1番星がまたたく美しい情景にひきこまれ、室内場面では舞台いっぱいに描かれた天井だけで舞台と客席がつながっているようで見応え十分でした。
 また、高杉晋作が、奇兵隊に対して、農民の畑を荒らしてはならない、仕事のじゃまをしてはならないなどの隊則を定められたことが、たくさんの人を引きつけた根拠ではないかと思いました。いまの政治家には、すこしもその優しさがなく、自分の地位や私腹を肥やすことばかり考えて、民衆には苦しみを押しつけるのが当たり前というものばかりです。あのような優しい心をもった政治家はいまこそ必要だと思いました。
 たいていのお芝居は途中で必ず眠たくなるものですが、このお芝居は最後まで前のめりで見てしまい、胸の高鳴りを感じました。タレントがでるような派手な舞台とは違い、人の心をつかむ舞台でした。
 亡くなった主人は特攻隊の生き残りで、信念を捨てて不正を働くことが嫌いで、残された命を戦死した戦友に恥じない生き方をしなければいけないといつもいっていました。とくに、戦前は国のためにと信念をもって生きてきたのに、戦後は180度考え方を変えて金儲けに走っていくことをいつも腹を立てていました。「信じることを命がけでやれば、できないことはない」「愚痴ばかりいっているのではなく、“おもしろきこともなき世をおもしろく…”といえる人生をおくらなければいけない」と口ぐせのようにいっていたし、子どもたちにも「高杉晋作のような男になれ」といって育てました。この劇をみてその訳が納得でき、主人にも近づけたような気がしました。
 士農工商を変革するという大変な事業を、あの若さでやりとげられる気迫に満ちた青年がいまいるだろうか。殺人をしたり、自殺をしたり、たった1つしかない命を粗末にする若者たちにぜひ伝えていかないといけない歴史だと思います。私たちは、子どもたちのためにもますます気合いをいれて戦争反対をやらなければいけないし、このまま死んではなにもならないと思います。

秀逸の歴史ドラマ創り出す 作家 古川 薫 
 高杉晋作と白石正一郎出会いの場面はやはり印象的だったが、欲をいえばもう少し衝撃度を加味して貰いたいと思った。
 しかし後半部の盛り上がりは素晴らしく晋作の気迫、それに従う民衆の高揚感そしてはぐるま座座員の情熱的な演技が一体となって秀逸の歴史ドラマを創り出した。
 舞台美術の素晴らしさも特筆しておきたい。

 自分の人生考えさせた舞台 広島市・大学院生 宮里幸
 私は、先日の公開稽古も見せてもらったが、今回の本公演は一層の感動だった。周囲からはすすり泣くような音も聞こえた。特に、戦場に農民が米を持ってくるシーンで「お金をいらない」というシーンが印象に残り多くの民衆の気持ちを奇兵隊がよくわかっていることが伝わってきた。
 やはり高杉晋作が魅力的で、自分も同世代としてこのままでいいのかという気にさせられた。なぜ、高杉がいろいろな人に支持されたのかと考えてみると、それは農民たちのことをよく理解し、その気持ちをよくわかっていたからだと思った。見た目や身分の違いで人を差別することなく、貧しい人から白石正一郎のような豪商まで、分け隔てなく奇兵隊に受け入れて、その志や意志をもっとも尊重していた。それが高杉晋作の人間としてのスケールの大きさだし、人を引きつけたのではないかと思う。
 高杉は、親や兄弟が処刑されるかもしれないという時代にあって、それを覚悟のうえでも自分の理想に向かって動き続けた。それは、自分のため、家のためという個人的な考えからではなく、国のため、民族のためという全体のことを考えたからこそできた決断だったのだと思う。27歳8カ月という若さで亡くなったことを思うと、同世代の人間としてその器の大きさに圧倒されている。
 最近は、社会が悪いといって、自分の好き勝手、やりたいように生きている人が多く、自分も含めてそこから抜け出さなければあのような生き方はできないと感じた。なにごとも自分の興味だけでものごとを見ていたら、見えないものがあると思う。自分のためではなく、人の気持ちを理解し、より多くの人のために行動できるかどうかの違いだと思った。具体的にどうすればよいのかはまだ答えはでていないが、自分の人生を考えるには十分だった。
 この劇を見ていなかったら、こんなすごい人がいたことには気づかないまま過ごしていたと思う。このような劇を見ることができたことに感謝したいと思う。

 革命の母体描いた力強い劇 美術グループあらくさ 桑原嗣子 
 大河ドラマや時代物に高杉晋作が主役として登場しない理由は、彼らが、奇兵隊の理念に心底怯えているからでしょう。
 「動けば雷電の如く」は、「民衆を描くことによって浮き彫りとなる高杉像」であり、民衆こそが維新革命の母体であったということを描いた、力強い劇でした。舞台ののっけから、働く民衆が登場し、彼らの目線からその時代の世情がいきいきと語られる。この劇は、昔なつかしの歴史物語ではないという思いがこめられています。
 以前の舞台を観たのは、もう大分前のことなので、細部のことは覚えていませんが、今回の改作と比べると、やはり“英雄史観”が強かったように感じます。民衆が刀に脅されて驚くところなども、ずいぶん表現が変わったと感じます。白石邸での高杉晋作と白石正一郎の2人の対面場面も、変わったなあという印象を強く持ちました。
 音楽の旋律は、舞台の内容の革新性と大変マッチしており、また舞台美術も、道具幕という方法らしいのですが、幕にリアルに様様な背景を描いており、時間をおかずに、幕を引くだけで場面が変わり、劇のテンポと効果に大きな役割をはたしたと思います。
 心血を注いだ全面改作の意図が力強く伝わってきました。はぐるま座のみなさんと実行委員会のみなさんに、「民衆」の子孫の1人として、心よりお礼申しあげます。

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