3年間に及んでいるロシアとウクライナの戦争について、米国大統領の座がバイデンからトランプに変わるやいなや、停戦に向けた動きが加速している。当事者のウクライナ・ゼレンスキーを「さしたる成功も収めていないコメディアン」上がりとして蚊帳の外に置いて、またNATOを構成する欧州各国を差し置いて、代理戦争を仕掛けていた張本人であるアメリカ側のトップが交替するやいなや大統領が直接身を乗り出し、ロシア・プーチンとの直接対話に向けて動いているのだから、見る人によっては何が何だかわからない展開でもあろう。トランプとそれに抗うゼレンスキーの批判の応酬に、主要メディアの困惑ぶりったらないのである。
この何年間か、欧米メディアを筆頭にウクライナ=「正義」、ロシア=「悪」という二元論で各国の世論を染め上げ、異論を挟むものは袋叩きにでもするような空気が支配的だった。日本国内でも共産党までが涙を流さんまでにゼレンスキーの国会演説にスタンディングオベーションをしている有様で、黄色と水色をあしらった洋服をコーディネートして「ウクライナ支持」を体現する政治家までいたほどである。まるでウクライナ国民になりきっているかのように感情移入して、悲憤慷慨(こうがい)している人までいた。こうして自民党から共産党に至るまでがロシア糾弾・制裁に喝采を送り、一色に染まるという異様な光景を私たちは目撃した。戦争に突入していこうかという極限状態のなかで、日頃から進歩派を標榜する政治勢力のなかですら「日和見主義が排外主義に転化する」のだと、かつての第一次大戦の経験を重ねて誰かが書物に書いていたが、その通りに「う」も 「す」もいわせずに持っていくファシズムの空気が、おそらくアレなのだろう。一気呵成(かせい)である。
ただ、ある日突然ロシアが領土的野心から武力侵攻したわけでもなく、もともとがそのような単純な矛盾関係ではない。ソ連崩壊後のNATOの東方拡大を巡る矛盾や、ドンバス地方におけるロシア系住民への迫害や武力攻撃・殺戮、2014年の政権転覆クーデター以後の経過など、アメリカ&NATO側とロシアのつばぜり合いがウクライナという緩衝国家のなかで繰り広げられており、これらの歴史的な経過や矛盾を紐解かなければウクライナで起こっている出来事は理解できるものではない。そして、その解決なしには停戦合意も和平もあり得ないのである。事態を収拾するなら、一方に与した勧善懲悪の二元論ではどうにもならず、ウクライナ、ロシア双方に落としどころを求めること、背後でそそのかしてきた勢力を排除することなしに事態打開などできないのである。
ウクライナに深く関与してきたバイデン親子及びそれに連なるアメリカ側の勢力が権力を失ったいま、トランプが見透かしたようにプーチンとの直接対話に乗り出し、今度は米国がウクライナの安全保障をすること(ロシア・プーチンと話をつけたうえで)の見返りにレアアースなどの鉱物資源を寄こせとディールを迫っている様は、合理主義そのものにも見える。これまたウクライナにとっては強盗みたいなものである。「勝てる見込みのない、始める必要もなかった戦争に、米国を説き伏せて53兆円もの費用を投じさせた」として、それらの軍事支援の代償として鉱物資源の権益を寄こせというのである。軍事支援や武器供与をおこなってきた張本人のアメリカが手を引くとは、すなわちゼレンスキーとしてはお手上げを意味しており、残された選択肢は限定的である。
ゼレンスキーはテレビドラマのプロパガンダによって、マイダン革命以後の混沌としたウクライナにおいて大統領にまでのし上がった「コメディアン上がり」であるが、これをいまになって「支持率4%」の「選挙をしていない独裁者」となじり、まるで小物扱いしているのが特徴である。トランプ&プーチンすなわちアメリカ&ロシアとしては和平合意を結ぶ相手はゼレンスキーではなく、次の大統領選で正規に選出された代表者であると見なしており、対話するに値する相手ではないという扱いでもある。緩衝国家として右に左に揺さぶられ、あるときは片側に都合よく利用され、局面が変われば切り捨てられる――。国土は戦禍に投げ込まれて国民は逃げ惑い、結局のところ自国の権益である鉱物資源を巻き上げられる――。そういう意味では、緩衝国家・ウクライナの苦難たるやないし、虚像の英雄「ゼレンスキー」を持ち上げてウクライナの民衆に塗炭の苦しみを強いた連中こそが悪として裁かれなければならない。
吉田充春