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戦争の破壊で儲け復興で稼ぐ 瓦礫のガザで動く復興利権 米軍産複合体と政府一体の手口 イラク戦争の実例で検証

(2025年1月24日付掲載)

ガザ地区の住宅の約92%(43万6000戸)が破壊または損傷を受け、商業施設の80%が破壊された(ガザ北部)

 イスラエルによるガザ殺戮をめぐって、米国が主導して「停戦」を演出しているが、すさまじい爆撃を物語るようにガザは瓦礫の山であり、「復興」利権が動き始めることを思わせている。これまでも意図的に軍事緊張を煽って中東諸国や関係国に爆弾や兵器をせっせと売りつけ、戦争が勃発すれば嬉々としてミサイルや弾薬を大量に供給し、住民殺戮や居住地破壊の陰で、軍需景気を謳歌してきた筆頭格が米国の軍産複合体(軍需産業を中心にして政府・官僚機構・軍部・財界等が結びついた利害集団)だった。この軍産複合体が今度は米国の軍事支援を受けたイスラエル軍によって「がれきの山」と化したガザに乗り込み、さらなる「復興需要」のつかみどりをやろうとしている。こうした米国が主導する戦後復興とはなにか、かつてのイラク戦争の実例から考えてみたい。

 

◇        ◇

 

 米国による軍事支援を受けたイスラエル軍の絶え間ない爆撃によって破壊し尽くされたパレスチナ自治区ガザをめぐって22日、イスラエルのバルカト経済産業相はイスラム組織ハマスの復活は容認しないことを言明。同時に「彼らがドバイを作りたいのか、それとも以前のようなガザを再建したいのかが重要な問題だ」と強調。さらに「われわれの地域には、ガザではなくドバイのような状況が見られることを望む」と公言した。

 

 米トランプ大統領も昨年10月段階でガザについて「パレスチナ人は地中海に面する好立地を十分に活用してこなかった」と難癖をつけ、「適切に復興されれば世界最高の場所の一つになり得る」「モナコより良くなるかもしれない」とも主張した。ガザ復興をめぐる具体的な計画の全貌はまだ明らかになっていないが、すでにこれまで住んでいた住民を追い出して高級リゾート地へ変貌させるような言動が飛び交い始めた。

 

 これは米国の軍産複合体が戦争による破壊でもうけ、復興でももうけたイラク戦争の二の舞になりかねない様相を呈している。

 

いいがかりつけて開戦

 

 イラク戦争は米ブッシュ政府(共和党)のもとで、米英軍が2003年3月20日に開始した。

 

 2001年の9・11ニューヨーク同時多発テロ事件の翌月、米国がテロ事件の首謀者ビンラディンをかくまっているといいがかりを付けてアフガニスタンを爆撃して叩き潰した後、翌年1月に米国がいいなりにならない北朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と規定。次に叩き潰すターゲットをイラクに定めて「大量破壊兵器の査察」を掲げた締め付けに乗り出し、イラク側が反発を強めていた真只中だった。

 

 米国は「イラクが大量破壊兵器を保有している」「国連決議に違反している」と事実無根の情報(2004年10月に米政府調査団がイラクに大量破壊兵器はなかったと正式に発表している)を垂れ流し、イラク攻撃を正当化。米英軍は30万人もの兵士を投入し、2万3000発の精密誘導弾、750発のミサイルを用いてイラクの住民を無差別に殺戮した挙句、開戦からわずか20日後の4月9日に首都バグダッドを制圧した。住居も田畑も歴史的な文化遺産も破壊し尽くし、主権国家であるフセイン政府(当時)を武力で転覆し占領した横暴極まる強盗戦争だった。

 

 米国のイラク戦争と占領でイラクの国民約65万人が殺され、約220万人が難民となり海外へ逃れた。負傷したり、家を失い、一家離散に追い込まれた人は数知れない。さらに米軍兵士も4000人余りが死亡し、3万5000人が負傷。残虐な戦争の経験から心身を病んで自殺したり、殺人事件を引き起こす帰還兵も数多くいた。

 

 この米国によるイラク戦争の戦費は公表された額でも約6000億㌦(当時の相場である1㌦=120円で換算すると72兆円規模)に達した。だがコロンビア大学のスティグリッツ教授(2001年にノーベル経済学賞受賞)の試算によれば約3兆㌦(1㌦=120円換算にすると360兆円規模)で、実際のイラク戦争戦費は公式発表よりはるかに多い。米国内では本来、国民生活に回される国家予算が戦費に回された結果、国家財政がその後毎年4000億㌦前後の赤字に転落。「赤字解消のため」と称して、大企業への減税、医療・福祉など民生予算の切り捨てが横行し、米国内でも貧困層が激増する事態となった。

 

戦争で爆弾の在庫一掃

 

米軍の爆撃で破壊された街にたたずむイラクの少女

 だが破壊しつくされたイラク国内や貧困にあえぐ米国内の窮状の陰で、米国の軍需産業は兵器やミサイルを大量に売りさばき巨額の利益を手にしていた。2005年の世界兵器産業「トップ100社」に米国企業は、1位=ボーイング、2位=ノースロップグラマン、3位=ロッキード・マーチンをはじめ40社がランクイン。100社の兵器総売上2901億㌦中、その6割超に相当する1830億㌦が米国の軍需産業に流れこんでいた。

 

 このうちロッキード・マーチンは、イラク戦争に投入したステルス爆撃機やセンサーで標的を狙う新型爆弾を製造。イラク戦争直前に米軍から212基のPAC-3パトリオット・ミサイルの発注を受け、その販売額は約1億㌦に達した。

 

 ボーイングはイラク戦争で精密爆弾を投下したB52爆撃機や戦車を輸送するC-17輸送機を製造。ボーイング社のスポークスマンはアフガン戦争やイラク戦争の期間に米国防総省との契約で10億㌦をこす収益を上げたと公言している。

 

 1基60万㌦(約7200万円)といわれるトマホーク・ミサイルを製造するレイセオンは、戦争突入で巨利を得た。開戦前はミサイルを一度配備すればそれ以上の需要はほとんどない。しかしイラク戦争では700発をこすミサイルが実戦に使われ、供給量が拡大した。さらにレイセオンは米国の戦闘機が搭載するレーダー、監視、標的システムや地中貫通爆弾「バンカーバスター」も製造しており、実戦使用を踏まえて兵器性能の更新もすすめた。

 

 こうした軍需産業の動向はこれまで配備していた旧式のミサイル、爆弾、砲弾の在庫を戦争によって一掃し、新たに開発中の兵器性能を実戦で試すというものだ。それはイラク全土を古い兵器の処分場にしたうえ、さらに強力な殺戮兵器を生み出すための実験場にもするというものだった。

 

戦後復興は仏独を排除

 

 こうして旧式ミサイルの在庫一掃でイラク国内を破壊しつくした米ブッシュ政府は、2003年末にイラク復興事業の受注先をめぐって、米国のイラク戦争に協力しなかったフランス、ドイツ、ロシアなどの国を排除する方針を明らかにした。対象となる復興事業は186億㌦(約2兆円)に上る電気、水道、交通など26件。すでに米軍需産業大手はイラク攻撃時の武器販売と武器の実戦使用で巨額の利益を手にしていたが、その後の復興事業でも米国が利権を独り占めするという宣言だった。同時にそれは米国のイラク戦争の目的が世界第2位の埋蔵量を誇るイラクの豊富な石油資源を強奪し、軍事力で市場を開放させる泥棒戦争でしかなかったことも暴露した。

 

 そもそも米英が強行したイラク侵略戦争は「大量破壊兵器保有」が理由ではなかった。

 

 イラクのフセイン政府は1991年の湾岸戦争を前後して反米姿勢を強め、イラク内の油田と取引していた米英系石油メジャー(国際石油資本)を排除し、フランスやロシア、中国などの石油資本に切り換え始めた。油田は国営であるため米民間企業は参入できない。さらに2000年代に入るとドルでの決済をユーロに切り換えはじめ、イラクの石油権益は欧州に流れるようになった。そのなかで米国自体の財政赤字が拡大し、経済危機に陥った。イラク戦争はその打開のためにフセイン政府を倒し、イラクの石油利権を米英系メジャーが独占する体制をつくることが狙いだった。そのため米軍はフセイン政府の石油省だけは無傷で残していた。

 

国営企業民営化し支配

 

 同時進行でブッシュ米大統領は2003年5月1日に「戦闘終結宣言」をおこない、その月末に「大統領命令1303」を布告。そこではイラクの石油資源から生ずる利益問題について「いかなる差し押さえ令状、判例、布告、先取特権、執行、債権差し押さえ通知、その他訴訟手続きは無効」と明記した。それは今から石油採掘や取引にかかわる米国企業に対し、環境を破壊したり、労働者の権利を踏みにじるといった行為も含めて、どんなことをしても法律の枠外に置き、免責するという内容だった。したがって米国企業がタンカーからの原油流出や油田火災などの事故を発生させても、今後誕生するイラク新政府は訴訟も起こせなくなった。さらにイラク戦争前にロシア企業やフランス企業が得ていた石油採掘権は一切認めず、米国企業が問答無用で奪うことまで容認する規定も盛りこんだ。

 

 さらに米国が主導する連合国暫定当局(CPA)は9月になると、「フセイン時代は外資をしめ出して国営企業が支配していた。それを180度転換して“自由化”を進める」と主張し、新外国投資法を発表した。それは「国営企業約200社をすべて民営化し外国企業の100%所有を認める」といった内容に加え、「利益は無制限、非課税で送金できる」とも規定しイラク国内で得た利益を国外に流出することを「自由化」。同時に所得税と法人税は最高15%にとどめたうえ、輸入関税を5%と中東地域では際だって低く設定し、「2006年1月1日までに関税を廃止する」ことも盛りこんだ。そのほか「今後五年間に外国銀行6行の業務を認める」という内容も規定し、イラクを外資の草刈り場に変えようとした。

 

 そしてイラクの石油企業の「民営化」を米国が主導。バグダッドが陥落した4月9日、チェイニー米副大統領は「イラク石油省はイラク人によって構成されるが、顧問団として国際アドバイザーたちも一定の地位を占める」と公言。イラク石油省の政策助言機関として石油諮問委員会を創設し、そのトップにフィリップ・キャロル氏を配置した。同氏は90年代にロイヤル・ダッチ・シェル米国法人の最高経営責任者であり、イラクの豊富な石油資源を米独占企業が奪いとり好き勝手に支配するための配置だった。

 

 また「官僚機構のスリム化」も強行し、イラク商業省では3万5000人の職員を500人に削減。約40万人いた旧イラク軍も解体し、失業者はあふれた。イラクではほとんどが国営工場や事業所の労働者であるため「民営化」で失業者が増加せざるをえない。自衛隊派兵地とされたサマワの失業率は60~80%にのぼり、失業者の抗議デモが頻発する事態になった。そのなかでイラク商工会議所のバルダウィ会長(当時)は「復興を口実に資源や富を奪おうとしている国がある」と強く反発し、経済専門家で組織する「イラク・エコノミスト協会」も「イラクを略奪の対象にしている」と非難。イラク国内では米国による「復興」をめぐって「盗賊(アリババ)行為だ」との怒りが噴出した。

 

 こうした動きに加えて米国は、イラク国内にとどまらず、国連や欧州各国が押さえていた資金も横どりする体制を作った。10年以上にわたる経済制裁のもとでは石油収入が国連管理で米国の好き勝手にできない。そのため「イラク国民の利益のため」と主張し、制裁解除を要求。そして「イラク開発基金」に石油収入をくり入れ、米国が主導するイラク復興の原資にすることを認めさせた。

 

 さらにイラクの対外債務は約1250億㌦に達し、主要債権国会議で確定したイラク向け公的債権は日本が41億㌦、ロシア34億㌦、フランス29億㌦、米国21億㌦となっていた。ところが米国は「フセイン体制を肥やすだけだった」(ブッシュ大統領)、「独裁者(フセイン大統領)に貸した金は、武器を買ったり、大統領宮を作ったり、イラク国民を抑圧するのに使われた。新たに誕生するイラク政権が莫大な借金の負担から脱するように債権全額または一部をあきらめる方法を考慮しなければならない」(ウルフォビッツ米国防副長官)といって帳消しを要求。米国は占領後のイラク傀儡政府が返済しなければならなかった多額の借金帳消しを強要し、他国への借金返済を免れた分まで米国が横どりしてしまった。

 

戦争前に復興計画立案

 

 また米国がイラク戦争前に周到に侵攻作戦を具体化していたことも明らかになっている。米国はイラク戦争開始前にイラクの石油資源に関する調査を実施し、イラクの油田、パイプライン、製油所、石油ターミナルの地図を作成。この地図に基づき米国際開発庁(USAID)が、米国の6企業にイラクのインフラ復興のための入札(総額9億㌦)を依頼していた。米軍がイラクの都市を破壊し尽くすとすぐにベクテル社(シュルツ元国務長官が社長・当時)やハリバートン(チェイニー副大統領が最高経営責任者・当時)が「復興」で乗りこんだが、それは最初から筋書通りだった。

 

 ちなみにイラク戦争を強行したブッシュ政府の主な顔ぶれ(役職は当時)は以下の通り。

 

右上から時計回りに、チェイニー、パウエル、ラムズフェルド、ライス、ブッシュ

▼ブッシュ大統領=元ブッシュ探査(石油)エナジー・インダストリーCEO(エネルギー)
チェイニー副大統領=ハリバートン最高経営責任者
ライス国家安全保障担当補佐官=シェブロン(石油大手)役員
パウエル国務長官=元ゼネラル・ダイナミクス(軍需大手)株主、エアロスペース (軍用機)取締役
アーミテージ国務副長官=元レイセオン(軍需大手)役員
ウルフォビッツ国防副長官=グラマンやBPアモコの相談役
ラムズフェルド国防長官=エアロスペース取締役

 

 軍需大手や石油大手の重役が米国政府内に入りこみ、まさに戦争で破壊すればするほどもうかる軍需産業の利益を代表する体制になっていた。

 

 こうした軍需産業の傀儡ともいえる政府が主導した戦争で破壊し尽くしたイラクに、「復興」と称してまぶりついたのが米国の軍産複合体だった。米国政府によるイラク戦争関連の復興事業は、油田消火・修復作業をケロッグ・ブラウン・アンド・ルート(ハリバートン子会社)が70億㌦で受注し、道路・学校はベクテル等が受注(受注額6億㌦)した。この復興事業で莫大な利益をあげたのが倒産寸前だったハリバートンだった。

 

 米国防省とハリバートンとのイラク戦後復興をめぐる交渉は、イラク戦争前の2002年10月から始まった。当時ハリバートンは数十億㌦ものアスベストの責任負担を科されて株価が急落。5億㌦規模の赤字を抱え、破産寸前の危機に陥っていた。ところが米軍が破壊したイラクの油田再建や米軍基地建設、兵站物資供給、戦争捕虜収容キャンプ建設、戦車の燃料補給といった仕事を数多く請け負うことで一気に盛り返し、2500万㌦以上の黒字企業になった。ベクテルも電力、上下水道インフラなどの復旧や、空港の再建、ウンム・カスル港の復興などを請け負った。

 

 こうして軍産複合体の幹部と政府高官が一体となった構造の下で、平時には執拗に軍事緊張を煽って武器を売りさばいてもうけ、戦争が始まると爆弾やミサイルといった攻撃兵器を大量に売って破壊することでもうけ、その後は「復興」でさらにもうけていく典型的な「マッチポンプ」が実行された。イラク戦争でベクテルやハリバートンが国際的な批判を浴びた教訓から、米国政府は現在、イラク戦争当時ほどあからさまな政治家起用はしていない。しかし戦争で破壊し、復興でもうけるというマッチポンプ型の「スクラップ&ビルド」で延命を図る基本構造は今も変わっておらず、またもガザで実行に移そうとしている。戦争をひき起こして兵器の生産と販売を増やし、その復興需要で利益をむさぼる軍産複合体は、人間の無差別殺戮と破壊を利潤獲得の根拠とする資本主義末期の産物であり、その存在自体が反社会的であることを浮き彫りにしている。

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