ついに大統領就任式まできて、アメリカでトランプ政権が始動した。なにがそれほど戦々恐々なのか、まるで予測がつかない暴れ者が権力を手中におさめたかのような調子でメディアは取り上げ、日本政府も距離感に苦慮しているような雰囲気である。GAFAをはじめとしたIT関連企業の大富豪たちが100万㌦ともいわれる寄付(就任式開催費用)にこぞって応じ、就任式でずらりと取り巻いている様子は、産業空洞化で国内をズタズタにしてきた一方で、IT・金融によって生き延びてきた米国の姿を象徴するかのような光景でもあった。成り上がった者たちがまとわりついているではないか。
トランプは「米国の黄金時代がいままさに始まる」と宣言した。識者曰く、その源流は1920年代の米国といわれ、第一次大戦後の未曾有の好景気に沸いたアメリカを重ねているのだという。第1次大戦で国土が戦場になることもなく、いわば一人勝ちだったアメリカでは「狂騒の20年代」とも「黄金の20年代」ともいわれる。この時期に自動車産業の発展や高速道路の敷設、上下水道や電力などの社会インフラが整備されて一般家庭にも及び、テレビやラジオが普及し、大量生産・大量消費の新しいライフスタイルが確立された。資本主義として伸び盛りだった頃である。いまや資本主義としては1周回って相当にくたびれた状態ではあるが、「あの栄光をもう一度」ということなのだろうか。
とはいえ、その後の歴史を振り返ってみると、狂騒の20年代も1929年のウォール街での大暴落(暗黒の木曜日)に端を発した世界恐慌で終焉を迎え、10年ともたなかったのが現実である。その後はルーズベルトがニューディール政策を実施するなどして恐慌からの脱却をはかるもどうにもならず、必然的に第二次大戦へとなだれ込んだ。大恐慌を第2次大戦とその軍事支出によってなんとか抑え込み、破壊と復興需要の創出(スクラップ&ビルド)によって、その後の資本主義の相対的安定期を作り出したにすぎなかった。
第2次大戦後は米ソ2極構造のもとで社会主義陣営と対峙しつつ、米国は世界の中心に君臨して軍事的にも経済的にも覇権を握り、「パクスアメリカーナ」ともいわれた。しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争などによるドル垂れ流しや、日本、西ドイツの戦後復興による資本主義の不均衡発展によって71年にはニクソン・ショック(金ドル交換停止)で金ドル本位制の崩壊に追い込まれ、政治的、経済的な権威はがた落ちとなった。その危機と衰退のなかで中国などの社会主義国を抱き込んで変質もさせ、転覆もさせながら、今度は同時に軍事力と金融・IT技術の優位性を武器にして新自由主義、グローバル化を唱え、市場原理主義戦略に転換することによって一極支配をはかってきたのだった。
しかし、その実態はどうだったか? 過剰生産危機という資本主義の不治の病が一方で進行し、生産に投資できない過剰資金が蓄積するなかで、金融やIT技術の優位性を生かして覇権を握るといっても、それは世界的なバブル経済とイカサマ金融、金融詐欺経済をつくって生き延びようというもので、リーマン・ショックまできてそうした強欲資本主義のデタラメなカラクリや反社会性はすっかり暴露された。実体経済である貿易額をはるかに上回る金融取引がおこなわれ、各国の通貨や株、証券、国債などを投機の具にして富める者は働かずして暴利を貪り、そこで得た巨万の富はタックスヘイブンに隠匿までする。一方で社会の基本である農漁業、製造業などの実体経済をさんざんに破壊した結果、貧富の格差は極端なものになったのだ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」――で社会を犠牲にしてはばからないのが新自由主義でもあった。
アメリカ国内を見ても社会インフラがズタズタであるばかりか、国内産業は空洞化して労働者は食べていけず路頭に放り出され、中間層が没落してラストベルトといわれるような置き去りにされた地帯も生み出された。こうしたアメリカ社会の混沌とした状態をどうにかしろという世論が鬱積しており、この社会矛盾にトランプとて縛られている。国内回帰せざるを得ないほどアメリカ国内の社会矛盾が激化しており、「世界のリーダー」どころではない――のが本音なのだろう。没落しゆくアメリカでトランプがなにをどうしようとしているのか、世界はどのように動いていくのか、注意深く見ていく必要がある。
吉田充春