(2025年1月15日付掲載)
諫早湾干拓事業によって1997年に「ギロチン」と呼ばれる潮受け堤防が閉め切られて28年。年々深刻になっていく有明海の漁業被害は単に漁業者の問題にとどまらず、地域社会や日本の食料問題であり、有明海再生は国民的な課題であるとして、「有明海地域再生シンポジウム2025~漁業被害に私たちはどう向き合うか~」(主催/有明海地域再生シンポジウム2025実行委員会)が13日にメートプラザ佐賀で開催され、有明海沿岸四県の漁業者、市民など約200人が参加した。かつて「宝の海」とよばれた有明海は、諫早湾閉門など度重なる国策事業によって二枚貝の壊滅など漁業は危機的な状態となっている。生き残っていたノリ養殖も2022年以降は生産量が激減しており、事態は深刻だ。
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シンポジウムの第1部では東京大学大学院特任教授の鈴木宣弘氏が「沿岸漁業を守る~有明海の国民的価値」と題して講演をおこなった【詳報次号】。第2部のパネルディスカッションには有明海沿岸漁師として有明海訴訟をたたかった佐賀県太良町大浦の平方宣清氏(タイラギ漁)、長崎県島原市から吉田訓啓氏(クルマエビ漁など)、そして大浦で造船所を営んでいた大鋸豊久氏の妻、喜代子氏が登壇し、深刻な実情を訴えた。
減り続けている漁獲量 JCFU・中山氏
最初に、JCFU全国沿岸漁民連絡協議会の中山眞理子氏が有明海の漁獲量が減り続けている実態について次のように報告した。
有明海全体の漁獲量の推移について、ノリなどの養殖を除く魚類と貝類、そしてイカやタコ、海藻などをあわせた合計の3項目を1972年から50年間調べた【グラフ1】。1990年に大きく漁獲量が増えているのは熊本県のオゴノリが大きく増えたことによるもので、80年代から漁獲量の減少が続いており、亡くなられた長崎大学の東幹夫先生は、「すべて諫早湾干拓が原因というわけではないが、あいつぐ有明海の開発で潜在的だった変化が一気に顕在化し、その引き金を引いた開発こそが諫早湾の閉め切りだった」と指摘している。
次のグラフ【グラフ2】は、国が諫早湾近傍部で2013年を境にして漁獲量が増加傾向に転じたと主張するグラフだ。増えているのは大浦のエビ類(シバエビ)だけだ。これまでエビ類の統計にはクルマエビがかなりあったのだが、1999年頃からとれなくなりシバエビがほとんどになっている。しかし国はこれにより諫早湾近傍部の漁獲量が連続して増加している、漁場環境が改善ないしは資源が回復していると主張し、裁判所もこれを採用した。ちなみに主な魚種には、ビゼンクラゲの漁獲量急増も入っている。
ではなぜ2013年にシバエビが大浦で増えたのか。大浦は佐賀県太良町にあり、諫早湾のすぐ北側、長崎県との県境に位置しタイラギ漁が盛んだった。しかし2012年からタイラギ漁は休漁となった。佐賀県のタイラギ漁は12月頃から漁が始まるので、これまでシバエビの漁期は九月頃からタイラギ漁の前までであった。しかし冬の主力であるタイラギ漁がなくなったため、翌年の3月頃までシバエビをとりに出漁するようになった。ほかにとれるものがないためシバエビをとるしかないのだ。
シバエビの浜値はキロ300円くらい、安いときには200円のときもある。ビゼンクラゲはキロ120円だ。かつてクルマエビはキロ5000円、タイラギはキロ3000円していた。価格の安い魚種が少し増えても漁民が漁業で生活ができ、かつてのように漁業を中心に地域経済が回っていくことにはならない。国は有明海の漁獲量が増えていると強弁しているが、10年間で100億円という有明海再生加速化対策交付金の創設を打ち出さざるを得ないことからも、かつての宝の海とはほど遠い現状だということはわかっているはずだ。
日本のノリの生産枚数の約半分は有明海産だが近年は大不作となっている【図3】。日本全体のノリ生産量は2022年度48億4300万枚。23年度は49億3600万枚だ。最近スーパーなどで韓国産ノリが増え、コンビニでもノリを使わないおにぎりが増えている。有明海の漁業は豊かな資源を守り、地域経済を支える要であり、有明海のノリの危機は日本のノリ産業全体の崩壊の危機、日本の食文化の危機だ。有明海を魚や貝がとれ、質のよい有明産のノリがとれる本来の宝の海にどうとり戻していくのか、みなさんと一緒に考えていきたい。
以前の有明海の姿なく 平方氏、吉田氏
中山氏の報告を受けて平方宣清氏、吉田訓啓氏が諫早湾沿岸漁業の現状を訴えた。
平方氏は1971年から父親の出す船の潜水士になり、それ以来タイラギをとり続けてきた。しかし潮受け堤防が閉め切られてからはタイラギがまったくとれなくなり、それ以外の漁業収入も20%近くまで落ち込んだという。タイラギ漁はピーク時の1979年には全体で3万㌧近くもの漁獲があったにもかかわらず、閉門以降は漁獲量減少の一途となり、2012年以降は13シーズン連続の休漁となっている。
平方氏は、「本来今の時期はタイラギ漁の最盛期だ。私がタイラギ漁をやっていた頃は10代~30代まで280名もの若い潜水士がいた。夏場はアサリがとれ、クルマエビもとれ、それにカニもたくさんとれて港は漁業者と観光客で盛り上がって賑やかだった。タイラギは海底に刺さるようにして生息しており、それを手鉤で引っかけて引っこ抜くようにしてとっていく。私が潜水士をしていたころは、先輩漁師から1分間に100個とらなければ一人前と認めないといわれ、頑張ってとっていた。それほどタイラギがとれていた。あれほど賑やかだった漁港は今、沖に出る船が全然いない」と話した。
コーディネーターの堀良一氏(有明海漁民・市民ネットワーク顧問)は、大浦でタイラギの潜水士をしていた別の漁師の裁判での証言を紹介した。
「かつて有明の潮流は大潮のときだと海底に足をついた瞬間、私を3~5㍍後ろへ押し流すほど早く、力強いものでした。私の体重が当時60㌔、鉛をつけた潜水服と鉛をつけた靴の合計は約50㌔ですから合わせて110㌔ほどになる。私は海底に両足の膝をつき、なるたけ体制を低くし、潮の流れに抵抗するためグッと踏ん張りながら前進する必要がありました。ところが今は海底に足をついても潮流で体が飛ばされるようなことはほとんどありません」
平方氏も「タイラギ漁をしていたころは大潮のときは海の底は真っ暗で、夜光虫がちらちらしていた。そういう状態で左手で貝を探り、右手の鈎で貝を抜いて貝をとっていた。それくらい濁った海だったのが、今では全然濁らなくなって透明度が上がってしまい、以前の有明海の姿はない」と嘆いた。
島原の吉田氏は、諫早湾閉め切り前はクツゾコ(シタビラメ)、ヒラメ、マナガツオ、クルマエビ、そしてワカメと昆布の養殖などさまざまな漁種をおこなっていたが、ほとんどの魚介類がとれなくなり、現在はワカメと昆布の養殖のみになったという。
吉田氏は「クルマエビは源式網漁という流し網の一種で漁をおこない、台風が過ぎてクルマエビが一挙に移動したときなどには1網で500匹も600匹もとれるほどだった。夕潮の4時間くらいの間に1時間に1回、一番多くとったときが4回で1000匹ほどだ。400匹で10㌔ほどになるから1日で40㌔だ。あの頃はキロが2500円ほどだった。多くとれればその分単価が下がるが、普通は3000~5000円、バブルのときはキロ1万円、2万円になることもあった」と話した。
そして「一昨年は10年くらいの間にしたらクルマエビがとれた方だったが、そのときは有明海の奥でシャットネラ赤潮が発生しなかった。それが去年は6月くらいから赤潮が発生して今までで一番悪いくらいとれなかった。以前長崎大学の滝川先生が、これまで有明海は諫早干潟と筑後干潟と干潟が2カ所あったため、筑後干潟が被害を受けても諫早干潟があるからそれなりにクルマエビが育っていた。しかし諫早干潟がなくなり、筑後干潟だけになってしまい、その筑後干潟が赤潮などで被害を受けたときは影響が出るといわれていたが、その通りになっている」と指摘した。
2000年に有明海異変と呼ばれる、大量のノリの色落ち被害が発生し、これにより国は2005年から有明海再生事業として海底耕耘や覆砂など調整池の水質浄化とあわせて1000億円近く費やしている。現在も再生事業として毎年17億5000万円が使われているが、今後さらに「諫早湾の非開門が前提の有明海再生加速化対策」として、10年で100億円が上乗せされることになる。これまでの再生事業のなかで変化はあったのだろうか。
吉田氏は「ほとんど変化は見えず、年々悪くなっている。短期開門の方が効果があったように思う」とのべ、平方氏も「有明海から赤潮をなくさない限りは、どんな再生事業をやってもうまくいかないと思う。毎年漁獲量、収入が減っており、効果は全然認められない」と話した。大浦地区では、最後までノリ養殖の5経営体が残っていたが、近年の不作によってとうとう経営体がゼロになってしまったという。
栄養塩なくノリ育たず 閉門で潮流が変化
会場からも、ノリ養殖漁師の発言がおこなわれた。
太良町でノリ養殖をおこなっている男性は「本当にノリがとれない。一昨年とその前年をあわせて100万円くらいの収入しかなかった。佐賀県東部の方は2年間で1億円の収入だ。しかしかかる経費はほとんど変わらない。これまではなんとか経費分がゼロになるくらいの共済金をもらっていたが、ノリがとれない年が続くため年々共済金の限度額(過去5年の漁獲金額のうち最高と最低の年を除いた3年平均を基準に算定)も下がり、今年はほぼ出ないというような状況になっている。でもやっぱりノリが好きだからやめられない。だからなんとかしてノリをとるために、今は死にかけている有明海を昔のような宝の海にしたいと思い、そのために他の人たちとも手を繋いで少しでも海が良くなるようなプロジェクトを立ち上げているところだ」と窮状を訴えた。
有明海の栄養塩や赤潮の発生状況について日々発信を続けている有明海漁民・市民ネットワークの矢嶋悟氏は「特に佐賀の西南部、今は東部や福岡にも栄養塩がなくてノリが育たない、色落ちがするという状況が広がっている。栄養塩不足は雨が少ないことが原因とよくいわれる。確かに今年も去年も雨が少なかった。しかし雨が少なければ赤潮も出にくいというのがこれまでの常識であるにもかかわらず、有明海は雨が降らなくても赤潮が出続けている」と指摘した。
そしてその原因について、「諫早湾の閉め切りによって有明海の奥部の潮流が変わってしまい、海水交換が進んでいないといわれている。奥部で海水がたまっており、だから赤潮がずっとそこにとどまるし、プランクトンが外海に排出されないからそこに赤潮が発生する。たしかに少雨や気温の上昇などの影響もあるが、根本的にノリの不作を変えようと思ったら潮流をなんとかしなければならない。そのためにはやはり諫早湾の開門ではないか」とのべた。
造船等関連産業も打撃 有明海全体で高齢化
基幹産業であった漁業が壊滅状態となることで沿岸地域社会に与えた影響についても論議がおこなわれた。佐賀大学の樫澤秀木教授は、諫早湾の閉め切りにともない有明海沿岸漁業が衰退し、後継者減少と高齢化が進行していることを指摘した。
漁業サンセスによると年代別漁業者の全国平均は2018年は65歳以上が37・8%、39歳以下は18・8%となっている。これをもとに有明海沿岸部自治体を見ると、島原市では2003年に65歳以上が33・40%だったものが2018年には59・68%まで増えており、39歳以下は7・46%から5・08%まで減少している。太良町は2018年時点で65歳以上が44・27%、39歳以下が12・24%。鹿島は若年層の方が多かったにもかかわらず、2018年には65歳以上が30・69%、39歳以下が17・99%と逆転している。
唯一若年層の方が多いのは佐賀市だけで、65歳以上は15・7%、39歳以下が28・24%だ。樫澤教授は、「有明海沿岸地域全体に高齢化・不活性化が進んでおり、有明海地域全体の問題として考えていかなければならない」と訴えた。
そして漁業衰退によって関連産業がどのように打撃を受けたのか、大浦地区で長年造船業を営んでいた大鋸豊久氏が2007年に有明裁判でおこなった証言が紹介された。1997年の潮受け堤防閉め切り前は地元のタイラギ漁師からの注文が7割を占め、93年から99年までの年間売上は6000万~8000万円ほどあった。年平均4隻の新造船建造実績があったが、堤防が閉め切られたあとからは、2001年以降(2007年まで)3隻の注文しかなく、売上も5分の1になったという。
「当時の大浦地区の産業構造は、タイラギ漁の漁業が圧倒的に中心を占めていて、その周辺に僕らみたいに船を作る業種があって、エンジンを主体とする鉄工所があって、それから水揚げをさばく仲買の商人がいて、カニ料理を専門とする旅館とかホテルなどがあった。自分の造船業については、漁船をつくることはやりがいがありました。時化の海でも安心して乗れる船、仕事がしやすい船、それにできれば美しい船、安い船というか漁師さんが求めるような船、そういう船を造って、漁師さんに喜んでもらえることに大きな誇りを感じていました」と、諫早湾閉め切りによって、漁師だけでなく、その周辺にいる人たちの仕事の喜びや誇りも根こそぎ奪っていった実情を訴えている。
妻である大鋸喜代子氏は「私が嫁に来たのが昭和51年だが、そのときはちょうど漁船が木船からプラスチックの船に変わる時期だったので、月に2杯は新船がおりていた」と語った。息子が3人おり、だれか1人を後継ぎにしたいと思っていたが、諫早湾の閉め切りになり今後は見込みがないため3人とも就職し、新船は平成16年の4月におりたのが最後だという。タイラギがとれなくなってしまったことによって、大浦地区の漁師たちは、港湾工事や瀬戸内海の漁業や陸の仕事などに出稼ぎに行くようになった。
役に立たぬ「再生事業」 本当の開門調査を
佐賀県西南部でノリの不作が深刻になっている鹿島のノリ養殖漁師は「再生事業にはあまり期待していない。今まで何年も再生事業がおこなわれているが、良くなったという気がしない。ノリはこの3年間ずっと色落ちが続いている。本来今が一番忙しい時期であるにもかかわらず、ここに来られるということは今年も悪いということだ。例年なら冷凍網の張り込みの時期なのだが、海の栄養塩が回復しないため今は見合わせ中だ。去年も一昨年も同じような状態で、一昨年は見切り発車で正月明けからすぐに冷凍網を張り込んだのだが、それが良くなくて、去年は1カ月待って2月の初めに張り込んだ。しかしそれもあまり芳しくなかった。今年もどうしようかと様子を見ているところだ。時期をずらすなどしてなんとかノリ養殖をやっていっているが、タイラギなど底物がとれるようにならなければ海の再生は難しいと思う」とのべた。
別のノリ養殖漁師も「沖の漁場は色落ちをして、茶色くなっている。今は値段が高いからなんとかなっている。あきらめているわけではないが、有明海再生にあたって漁民である自分たちがどうやって動いていけばいいのかがわからない。漁民が今具体的に感じているのは潮流だ。潮流がないために赤潮が発生しているということを自分たちも感じている。それをどう訴えて開門に繋げるのか、そのためには漁民がどう動けばいいのだろうか」と切実な思いを訴えた。
参加者からは、再生事業が覆砂や海底耕耘などいわゆる土建屋の仕事になって有明海の再生には繋がっていないことが指摘された。2002(平成14)年に短期開門調査を一度やったさいには、直後の2、3年はタイラギも少しではあるがとれていたことから、短期開門調査ではなく本当の開門調査をやるべきであり、そのために漁業者だけでなく住民みんなが力を合わせてやっていこうと声が上がった。
東京大学の鈴木教授は「事態の深刻さをひしひしと実感できた。再生事業に金をかけても全然役に立っていない。しかも補填も不十分だ。開門調査をできるだけ早くやるとともに漁家のみなさんが今後も漁業を継続できるようにその間のきちんとしたセーフティネットをおこなうべきだ。本当の意味での再生ができるようにみんなで開門を求めていかなければいけない。農業の方では、島根県の農家がトラクター20台でデモをおこなったのが全国的に話題になっている。3月には全国の農家が国会を取り囲む行動が計画されている。農業ではそういう動きも出ており、連携してやっていきたい」とのべた。
コーディネーターの堀氏が「漁民の方がなにをしたらいいのかがわからないといわれたが、これは漁民だけの問題ではなくみんなの問題だ。文化であり、社会であり、産業の問題だ。漁民の人たちがなにをしたらいいかわからないというのであればみんなで考えていこう。今日だけに終わらずにみんなで行動していこう」と訴え、最後に「政府・自治体・議会などに対して真の有明海再生を実現するよう強く行動していくことを、ここに宣言する」と宣言文が読み上げられた。