(2025年1月8日付掲載)
はじめに
2015年6月にパルシステム生協連合会を退任して10年を迎える。同年7月に妻のいる種子島に移住した。そこで村の暮らしと南西諸島の軍事基地化と向き合うことになる。素晴らしい島の暮らしは、一方で高齢化と人口激減で衰退する地域社会があり、そこに他方で巨大な軍事基地建設の波が襲ってきている。これとどう向きなおり平和で素晴らしい地域社会をつくるか、ささやかな挑戦を続けている。島からのレポートを送る。
気候激変と食料危機
昨年、気温35℃を超える猛暑日が福岡での40日超えなど各地を襲った。福岡県糸島市の農家ではトマトもキウリも全滅する事態となった。まるで熱帯のような高温、旱魃、集中豪雨と農業は大打撃を受けている。鹿児島12月県議会で、米の生産量が7万3300㌧で県民消費量8万2400㌧となり、生産量が消費量の89%と逆転した事が報告されている。
農業の担い手も、農林水産省の2024年農業構造動態調査で個人農家や法人などの「農業経営体」の数は88万3300と激減している。200万を超えていた05年から半減以下である。個人の「基幹的農業従事者」数は60歳以上の割合が8割で高齢化が顕著だ。
つまり、食べ物生産の危機、食糧危機が現実の問題となっている。それだけではない。全国各地の村町で人口減少に加速がつき、3000ほどが消滅の危機にある。これは都市以外の田園地帯が荒廃地になってしまい、洪水、台風などで大きな被害が想定される事態となっている。
一方、世界ではウクライナ戦争、ガザ虐殺戦争と大規模な殺戮が続く。さらに、感染症は新型コロナ感染爆発以降もあらたな感染症が予想されている。こうした気候変動と食料危機、感染症爆発、戦争の危機の根本的な問題はなんだろうか。その要因と解決の糸口はどこにあるのかをいつも考え続けている。
ウクライナ戦争の要因
ウクライナ戦争をめぐる分析で面白いのが、シカゴ大学の国際政治・軍事学者ミアシャイマー教授である。大手マスコミやインターネットがウクライナ戦争でロシアを非難する中、これに対立してロシアの勝利を予測しアメリカの軍産複合体や対外政策を徹底批判した。その著書「リベラリズムという妄想」では、アメリカンエリートの「自由と人権」という理想による世界支配がいかに非人間的で偽善的で暴力的かが暴露されている。しかもリアリズムの立場で見ると完全に破綻すると喝破している。
さらに本格的にアメリカの問題と文明史的転換を予測しているのが、フランスの人類学者エマニュエル・トッド氏だ。昨年7月の著書「西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか―」は、ミアシャイマーを称賛しつつ、彼のアメリカ分析である「国民国家」観を批判し、アメリカは金融、情報、軍事などの世界支配で「帝国」になり、これに逆らう国家の破壊へと突き進むこと。その破綻がロシアとの戦争であることを見事に明らかにしている。そしてロシアとの戦争はそのアメリカ帝国を敗北と崩壊に導くという。
エマニュエル人類学では、イデオロギーや政治形態の基礎となる社会の分析において家族形態の類型分析を基本にしている。さらに出生率と死亡率などで分析し、アメリカ、イギリス、フランスにおいて自由民主主義という政治形態が生み出され衰退していく人類学的必然を解き明かす。核家族は進歩ではなくむしろ原始状態だというのだ。
さらに宗教の社会的存在の重要性を語る。マックス・ウェーバーを引用しつつ「プロテスタンティズムと資本主義の精神」が現代の資本主義の世界をリードしてきたという。そしてプロテスタンティズムの勃興と資本主義の拡大、これが歴史的に変貌し教会から人が離れ儀式のみとなる「宗教ゾンビ状態」になり、現在は「宗教ゼロ状態」になったという。結果として「虚無主義(ニヒリズム)」が蔓延し人間不信と破壊の衝動に包まれる。そして社会が崩壊すると予測しているのだ。
家族形態と宗教ゼロ
エマニュエル・トッドの分析が家族形態や宗教を対象にしている意味は、認知科学の視点から見るとよくわかる。人間の認識は文字や論理の前に五感入力からである。自然の中で対象をまず認識し、それを言語に置き換えて言葉として話す。数も立体図形も言語表現の前に身体的認識がある。教育は学校教育の前に家族と環境によって言語化以前に子供たちは学ぶ。だから子供をどういう家族がどういう環境(人と自然)で育てるかで、その子の人間としての基本的価値観が決まっていく。これは言語、理論による教育以前のベースである。コンピューターでいうオペレーションシステム(OS)であり、その上にアプリケーション(知識、技術)が稼働していく。宗教はその集団的生き方の言語的表現となる。その社会を構成する基本軸といえる。この崩壊はすなわち社会の解体につながっていく。
ミアシャイマーのいう「良い生き方」とは何か、その社会の基本的価値観がただの富の集中「金銭強欲」に染まった時、社会は統合性を失い破壊と崩壊に転落していくのだ。「強いものが勝つ」「適応力あるものが生き残る」「頭のいい人が支配する」では人類の社会は持続性を失う。
村の生き方に学ぶこと
神社と小学校を守ること。
種子島の伊関という20軒ほどの小さな村に住んでいる。ここでは伊関大山祇神社を村人全員で大切にしている。二つのグループに分かれて毎月1日15日に早朝の境内掃除を分担しあう。正月、春祭り、お盆、秋祭り、正月、と季節ごとの祭事も村人全員で執り行う。別に教典があるわけじゃない。要は村人の協同作業なのだ。意見の異なる人も好き嫌いを超えて共に働く。村を守るのは神々じゃなく神社を守る村人なのである。古の人々は村というコミュニティを守るのに、訓話じゃなく祭事神事を通してイベントで一体感を作り出したと思う。神社と寺を守ることが、村の歴史と文化を守り継承することになる。特にその後の直会(なおらい)で飲み食いすることで親睦を図ることになる。会社や非営利団体のように目的制組織ではない。共に住むというコミュニティの原型である。実は多様性の共存だと思う。日本に村があるかぎり、自然と共生する基本的な協同体が存在し、社会の底辺で支えることになる。
そして小学校の重要性である。伊関小学校圏内で四つの集落による合同の自治会が設けられている。この役員にさせられてよく分かった。120軒380人程度の村人たちで主な行事は神社の祭事と小学校行事である。小学校と村の合同運動会、市体育祭、市内駅伝大会と子供達と練習し、選手を選考し共に運動する。学校周辺の草刈りと清掃に運動の準備と片付けなども担う。こうして村人同士だけでなく他人の子供達ともすっかり仲良くなるのである。授業にも招かれてサトウキビと黒糖作りも話して喜ばれた。小学校は目にみえる村の未来なのである。子供達は村の宝物との意識をみなが持っている。
馬毛島基地建設の問題
種子島はこの5、6年で激変した。馬毛島軍事基地建設である。島を二分する誘致派と反対派の緊張。一時は村の中で反対をいうと誘致派から「どこどこのスパイ」などとあらぬ噂を流され孤立しそうな険悪な空気が流れたこともあった。しかし村の行事などで仲良くなると、実はみんな本当は反対なのだと分かってくる。しかし基地建設工事と再編交付金の巨大な金のパワーは、工事関係者だけでなくても大きな魅力になる。問題は地元企業が苦境の末に誘致に回ることだ。背に腹は変えられないと。
日本の原発、軍事基地建設など巨大な迷惑施設の誘致は利権構造による公共事業である。その施設の目的や機能に賛成して地元が受け入れているのではない。本来のエネルギー政策、電力政策議論での誘致などない。地域社会の産業構造の破綻による経済的危機のあらわれだといえる。種子島に住んでいるとその事が嫌というほどわかる。「そりゃあ誰だって軍事基地は反対だよ、じゃこのまま村が消滅してもいいのか」これにどう答えるか、それも言葉だけじゃなく実際に村の復興をやってみせる事が問われている。
平和経済と多様性社会
まず有機栽培サトウキビ原料による伝統製法の黒糖作りへの挑戦である。
種子島に黒糖か、黒糖なら本場は沖縄だろうと思っていた。ところが沖ケ浜田集落に三段舟形平釜登窯の古い形式の砂糖小屋が残っていた。一味違う黒糖作りがあった。これは搾汁液の液温を繊細にコントロールし水分を抜いて凝固させる方式である。メイラード反応から黒糖のフレーバー、カラメル色は液温が120℃から125℃の間で出る。火力の強い薪だけで加温し、水分を飛ばしながら急速に変化する液をエブリで撹拌し上手にコントロールしないと失敗する。最低五人のベテランの共同作業が鍵となる。しかも原料は茎が完熟し一本一本選別された美味しいキビでないとダメなのである。
昔から続く黒糖作りに参加し、2019年には種子島沖ケ浜田黒糖生産協同組合として法人化し、「ゆめのたねプロジェクト」を移住者の若者とスタートさせて有機栽培限定の「黒糖ゆめのたね」を通常の数倍の価格で販売している。
藤野武彦九州大学名誉教授によって福岡県に展開する医療チェーン「BOOCsクリニック」は、黒糖こそ「脳疲労理論」での最良の薬だと患者にお勧めしてくれている。
若者たちと始めたプロジェクトは畑から工場作業、消費者パック、そして販売までトータルに関わる。当初数年は大赤字となった。それが救われたのはグリーンコープ生協連合会のおかげである。黒糖の価値を紙面で伝えてファンがつき、買い続けてくれた。
結局、消費者がその食べ物の本来の価値を理解して適正な価格で安定して買い続けてくれることが生産を助ける。このフードシステムを協同連携することが、農の再生につながっていくと実感したのである。
畑から食卓までの協同
農業がなぜ衰退し若者がしないのか。魅力がなく収入が低いからである。畑から台所までのフードシステムで一人勝ちしているのはコンビニなどである。価格破壊は農業と中小食品産業を滅ぼし、外国へ依存する構造を作った。これを農と中小食品産業、物流企業、小売、消費の循環を共に育て合う協同関係に転換することがテーマである。
そのために消費者の組織化としての生協がある。本来の生協は低価格で売るのではなく、生産と加工と流通をつなぎ、食品添加物で化粧された偽装の味ではない食べ物を供給することである。豊かな土壌から生まれる本物の農産物とその価値を消費者に伝えて供給することが使命なのである。価値伝達のフードシステムのコーディネーターなのである。
生産現場から学ばずただ価格を叩くだけの流通と消費は、結局産業を破壊し外国へ外部化していく。結果、国内産業は衰退して働き場も賃金も低下し産業は滅びることになる。
これに対抗していく重要なポイントは、暮らしと健康である。生命の不思議は地球の岩石と海と生命の体液がミネラル成分で相似形になっていること。人は星のカケラからできているのだ。そのミネラル循環こそが生体の健康の基礎になる。人体は大地と生命圏の豊かさに支えられている。
生命圏は情報圏であり、すべての生命は同一のDNA情報によって連携し多様な世界を構築していく。生命体の交信は電流のオンオフだけでない。電磁波(光)、振動(音)、化学物質(匂い)、熱(温度)などの五感による。こうした解明をする生命科学がすごいスピードで進化している。植物が単体ではなく、岩石とバクテリアと水による循環によって緊密に連携していることが分かってきている。これが分かってくると、有機栽培の意味が理解できる。
有機栽培とオーガニック食品は必ず世界の主流になっていく。日本では多くの自治体がオーガニック学校給食に舵を切った。農協系統も有力な農協は有機農業への取り組みを開始してきている。健康の原点は食にある。平和産業の鍵は農業にある。
株式資本主義を脱して
資本主義の元祖であるイギリスからは、もう一つの金と労働の仕組みが誕生した。それが協同組合である。もちろんその以前から日本でも二宮尊徳の報徳社、大原幽学の先祖株組合などもある。要は、農業、工業から物流、情報システムなど様々な産業を人々の協同の力で産みなおしていくのだ。
おりしも国連は世界の危機に、2025年を国際協同組合年とし世界に協同組合発展を呼びかけている。日本は分野ごとの協同組合は巨大で強いが、残念ながら地域社会への貢献は弱い。分野別事業を超え相互連携し大きな社会的課題に大胆に挑戦すべき時にきている。この場合、企業会計から逸脱し未来投資や人の助け合いを評価する仕組みも含めた新たな段階へと踏み出していく必要がある。そういう意味で全国のワーカーズコープ(労働者協同組合)こそ大きな変革の中心を担うのではないかと思っている。
日本協同組合の父である賀川豊彦は民主主義について、経済の民主主義、社会の民主主義、政治の民主主義をうたった。そして「愛と協同」を提起した。「愛」という情動の持つパワーに期待したのである。人類の深い根底にある人間の本質に呼びかけている。帝国の崩壊過程に直面しつつ、新たな世界の協同の素晴らしい社会モデルを発信していこうと思う。
(パルシステム生協連合会元理事長)