今年の東京都知事選から衆院選、兵庫県知事選まできて、SNS(インターネット交流サービス)上の大量の情報が投票の流れに影響を与えたことが騒ぎになっている。YouTubeやX(旧ツイッター)などを使って、断片を切りとったショート動画や事実無根の「フェイク(偽)ニュース」「陰謀論」が飛び交い、まことしやかに拡散され炎上する。特定候補を落とし込めるためにPR会社が背後で策略するその手法は、アメリカでは数年前から大っぴらにやられてきたことだ。
トランプが返り咲いた先のアメリカ大統領選でも、多くの国民の政治家やマスコミへの不信を逆手にとるように、SNSによる一方的な誇示やののしり合いが、最大の焦点となる貧困と戦争、荒廃をかき消すように展開された。それは2016年の大統領選以来の光景だが、今回はこれまでになく、フェイク動画、しかも生成AIで加工した偽の画像や動画(ディープフェイク)があふれたことが問題になった。
たとえば、トランプ陣営が投稿した、トランプが人気歌手テイラー・スウィフトや黒人有権者から支持されているかのようなフェイク画像や、投票所でトランプに投票された用紙を口汚い言葉とともに破り捨てる動画、1人で「複数の投票券を持つ」と主張する人物がハリスへの投票を呼びかける謀略じみた動画も拡散されて物議を醸した。
フェイクニュースや真偽不明のうわさ話はSNSで影響力を持つ「インフルエンサー」を狙って発信され、それを媒介にして瞬く間に拡散することができる。トランプがパーティーで黒人女性たちに腕を回して微笑んでいる偽画像をAIで作成し、Facebookに投稿したのはフロリダのラジオ番組で知られるマーク・ケイだが、100万人以上のフォロワーがいる。また、2億人近いフォロワーを抱えると豪語するイーロン・マスクが、みずからがオーナーであるXを使って「共産主義の赤い服を着たハリス」の偽画像など攪乱情報の拡散を続けたことも問題になった。
トランプがテレビ討論会での「ハイチ移民が犬や猫、住民のペットを食べている」と発言した背景には、Facebookに投稿され拡散炎上した「うわさ話」があった。ある民間調査会社の調査では、トランプの「移民が犬や猫を食べている」発言について、トランプに投票しようとしていた有権者の52%が「間違いなく真実」か「おそらく真実」と考えていたという。一方で、ハリスを支持する有権者ではそれが4%だったことからも、SNSによるいかがわしい宣伝でも特定の志向を持つ人々には有効に作用することがわかる。
2億2000万の有権者を分析
2016年のアメリカの大統領選でイギリスのPR会社ケンブリッジ・アナリティカ(後に廃業)がトランプ陣営の選挙コンサルタントの契約を勝ちとり、Facebookから最大8700万人分の個人情報を不正流用させて、有権者の個人データをもとに候補者の印象操作をおこなっていたことが、同社元幹部の自己暴露によって明らかとなった。それによると、相手候補ヒラリーへの憎悪を煽ったりフェイクニュースを発信し、そのイメージダウンを図るために「マイクロターゲティング」というAIによるマーケティング手法をとり入れていた。
ジャーナリストの福田直子氏が『デジタル・ポピュリズム――操作される世論と民主主義』(集英社新書、2018年)のなかで、その事情を詳しく紹介している。ケンブリッジ・アナリティカは「2億2000万人のアメリカ人有権者に関する情報を総合的なビッグデータで分析した」と豪語していた。
「マイクロターゲティング」とは、Google検索や広告、Amazonなどがネット販売で活用しているもので、ネット上に残るその人の閲覧履歴(その秒数なども)、ニュースや読書傾向や消費行動、病歴、SNSなどの投稿やメール、「いいね」のクリックなどの個人データにもとづいて、その心理を分析しそれに応じた広告(ターゲット広告)を送るというやり方だ。ネット業界ではそのような膨大な個人情報が集積され、それが抽出・加工され、高価な「ビッグデータ」として売買されている。
それに従事するのがデータサイエンシストで、利用者が気づかないうちにターゲットにされ、利用者がその広告によって買わされたのではなく自分の意思で購入したと思うように仕向けるよう研究し、技術を進化させている。
ケンブリッジ・アナリティカは、独自に開発したプログラムで有権者の心理を分析し、ワクチンや陰謀論などへの対応などからフェイクニュースを信じてすぐに飛びつく人、慎重だけど知っている人(ないしはSNS上でよく見かける人)の情報なら信じてしまう人、権威あるメディアがソースになっている場合にその情報を信じる人など、アメリカ人を32種類のパーソナリティに分け、SNSを中心にそれぞれのターゲットごとに細かく違ったニュアンスや広告のタイプを変えて情報(個別化されたプロパガンダ)を送っていた。
同社がとくに標的を定めたのは「パースウェイダブルズ」(説得可能な人)と名付けた、まだトランプに投票するかヒラリー(当時)に投票するかを決めかねている有権者――心理学的には確固たる信念がなく、他人の影響を受けやすい人たち――だった。そのような人々に対して、とくに4つの激戦州に絞って徹底的に攻撃したという。
ドイツのデータサイエンス研究の第一人者とされるミュンヘン工科大学政治学科のジモン・ヘゲリッヒ教授が2016年のアメリカ大統領選挙と翌年のドイツ連邦議会選挙に関するソーシャルメディアの動向を研究した結果、右翼がbot(自動的に実行するプログラム)による大量のツイート、書き込みを拡散し、「ある種の雰囲気」を作り上げていたことが判明したという。そして、Facebookでは発信されるコンテンツが感情的かつ偏った問題が多く、特定利用者にとって「見たいものばかりを見せている」とのべている。
著者の福田氏は「SNSでは、自分に届く情報はすべてアルゴリズムによって操作されている」ことを強調している。そして、「人をだますことはいとも簡単だが、だまされている人に“だまされている”と伝えても、すぐには信じない」ことをあげ、「ネットの世界は手品師の手さばきに似ている」とのべている。そして、民主主義の根幹にかかわる問題として、次のように続けている。
「ネットでは実生活とは違う次元で人々は“注目”を求める。広告、クリック数、誹謗中傷、偽ニュース……。権力者だけでなく、実社会では多数派になれなくてもネット上では自分の“声”をもてると思っている人々が仮想社会を通じて実社会に影響を与えようとする。ネットの仮想社会をすべて信じてはいけない」
「すべての“注目度を商う商人たち”や、単に注目を集めたい書き込みが一番恐れるのは、無視されることだ」