下関市立大学の大学院修士論文・特定課題研究成果研究発表会が10日、同大学で開かれた。発表会では学位取得に熱を上げてきた中尾友昭・下関市長(大学院生)の「下関市における地域内分権への挑戦」と題する「研究論文」が注目されていた。ところが、修士号が与えられるにふさわしい内容だったのかというと、市長みずからの「業績」の羅列、人生哲学の披露など自慢話が大半を占め、大学院での研究発表といえるレベルなのかどうか大きな疑問を残した。設置者である行政の長が学位欲しさに大学に籍を置き、その指導担当には学長選に敗れた前学長を付け、しかも学長を追われた後に理事長ポストを市長から与えられて学位を与え返すという、学問冒涜もはなはだしい行為がくり広げられている。世間では、早稲田大学がSTAP騒動の女性研究者から学位をとり消したばかりだが、下関では学位など権力でいくらでもとれることを市長みずからが実践して波紋を広げている。
下関市立大学の悲惨な実態
発表会は4人の院生がそれぞれの発表をおこない、教員らの質問に真摯にこたえ、今後の課題も含めて研究成果を発展させる意欲を高めあう場となった。しかし、最後に発表の場を与えられた中尾市長が20人ほどの市役所の幹部をひきつれて教室に登場すると、空気は一変した。中尾市長が出席者に配付した資料には、下関市が作成した催し案内などの宣伝チラシ二枚が挟まれ、さながら中尾市政報告会、幹部研修会と化した。
中尾市長は冒頭「6年間、地域内分権をとりくんできた。その経過と成果を検証するとともに、市長の役割を明らかにすることを研究の課題にした」とのべ、市議会での質疑応答、自分の講話をはじめ数多くの公文書資料を収めた「500ページをこえる研究論文」を自慢した。その一方で、これは「純然たる修士論文ではなく、プロジェクト研究論文だ」と断り、「だからこそ、論文に補章をもうけるなど、私にしか書けない論文にした」とのべた。
論文の序章では、みずからの人生の目的が、日本航空名誉会長・稲盛和夫がとなえる「心を高めること、魂を磨くこと」にあることを明確にしたこと、また補章「人生の転機」をもうけて「おちこぼれの高校生」であった僕が税理士試験に執念を燃やしたという「私の履歴書」をとり入れ、「ふくの下関」「“下関のふく”五つのなぜ」などの項目や簿記の歴史にふれたことを強調した。
さらに、「政治家の資質・役割、市長の仕事」についての研究を「政治の精神、企業経営者、社長の仕事」という視点から導き出した結論として、「市長の出処進退については、10年前後が適切だ。政治家の出処進退はみずからが決めることが大切」などとした。
中尾市長はまた、「論文では、デンマークの先進事例をとりあげ、歴史的には明治以降の地方制度の変遷をまとめた」というものの、「研究論文をより実践的なプロジェクト研究に仕上げる」ために、中尾市政六年の実績を羅列することの報告に終始した。「行政内分権、旧4町の総合支所、支所長の権限強化を実現し、住民自治による地域分権の本格的な段階に入った」「とくに市長の不退転の決意とリーダーシップが局面を前進させた」と結論付けた。さらに、現在進めている「まちづくり推進条例」「まちづくり推進計画の検討・協議」が「地域内分権の顕著な進展」としてあること、その実現に向けての決意を論文で明らかにしたと胸を張り、「いよいよ中尾市政が次の段階に移る。今後ともよろしく」と3期目への意欲をみなぎらせて協力を訴えた。
中尾市長の発表後、同大教授から「たとえば、デンマークの事例研究との比較などを通して、地域内分権についてのとりくみ方や考え方に変化があったか」など、理論的な研究がどう役立てられているのかについての質問があったが、市長はそれに答えるのではなく、やはり業績の宣伝にすりかえていた。直前まで論文タイトルは「下関市における地域内分権への挑戦」だったが、司会段階で「下関市における地域内分権の実証的取り組み」に変化した。「挑戦」だとあまりに言葉として貧困だったのか、「実証的取り組み」に変更した。
満たされぬ自己顕示 自分で自分褒める異常
ところで、大人たちが揃いも揃って、難しい顔をして聞く内容だったのだろうか? 要するに自画自賛で、いかにすごい市長であるか、自分で自分を褒めちぎっているのである。世間一般では「大人気ない…」といわれ、恥ずかしいと見なされる振舞が、市立大学、あるいは市役所ではまかり通っていることを露呈した。市職員になると熱心にメモする素振りまでして、「あれだから余計に本人が舞い上がるじゃないか…」と心配する声も少なくなかった。
今回の論文は「500ページにもなる!」というのが一つの自慢になっている。ただ、多くの人間は論文そのものを見ていない。また500ページの中身についても、市役所の職員たちが動員されて、頭をひねったり、ゴーストライターを担ってきたことはみなが知っている。一つ一つの政策についても、手柄が市長に奪われるとはいえ、細部にわたって考えるのはいつも職員である。みんなでつくったのなら、通常は研究者が連名で発表するのに、今回は中尾友昭個人の研究発表という扱いで、学位も市長の独り占めになるようだ。「現代のベートーベン」こと佐村河内守も顔負けの独占欲であることが話題にされている。
問題は、なぜただの自慢話に学位が与えられるのか? という点で、下関市立大学は権力と金力を持っている人間には、学位を安売りするという評価が定着しかねないことだ。同大学では中尾市長になってから、社会人が特定の課題を研究すれば学位がとれる制度を導入した。よその大学でも学生を集めるために用いる手法で、修士論文より厳格な審査なしにとれるのが売りだ。それを早速実践したのが中尾市長で、指導教官はみずからが窮地(学長選敗北)から救い出して任命した理事長であった。本来、自慢話なら自分史を書いて自費出版すれば良いだけなのに、「そんなものは論文ではありませんよ!」と忠告する人間が一人もいない。また、同大学で真面目に修士論文を書いてきた学生たちがどんな気持ちになるのか、まるで配慮がないのも特徴となっている。
全市民に論文公開を 評価は他人に委ねよう
下関市立大学を巡っては、独立行政法人化して以後、市役所の退職幹部が理事長ポスト(年間報酬1600万円)や事務局長ポスト(同1200万円)に天下って私物化してきたことが問題視されてきた。江島元市長が所有しているアパートを大学が学生寮として借り上げたり、江島元市長の支援企業として知られるJR西日本から旧社員寮を借り上げたり、市長のブレーンである企業経営者が大学評価委員に名前を連ね、大学の工事を官製談合で受注していたり、外部から入り込んだ元役人や政治家、銀行関係者らによっておぞましい利権あさりの場にされ、真理真実を尊ぶ学問の場がじゅうりんされてきた。それは、独法化がいかなるものかを典型的に暴露するものとなった。
以前は市から運営交付金など一銭も入らなかったのに、独立行政法人化への移行後は年間1億~2億円も支給されるようになり、公金が市立大学を迂回して特定の利害関係者に供与されていく仕組みになった。数年前に発生したトイレ改修事件では、大学評価委員の経営する企業が受注した挙げ句に破産し、代金は一部回収されず今日まできている。中尾市政も事実関係を隠蔽し続け、議会の場でも真相解明されぬままである。
大学運営を巡っては、非正規雇用が蔓延して大学業務が滞る問題など、体制的な問題もさまざま抱えている。また授業料を値上げしたために志願者が激減するなど、目先の経営者の視点で欲を張った結果が、災いとなって跳ね返ってきているのも特徴である。もっとも大きな問題は、そうした大学の異様なる体質について正常化を求めてきた教員たちを天下り役人たちが弾圧する構造で、嫌気がさしてやめていった教員も少なくない。「そして誰もいなくなった…」が真顔で進行しつつ、残されたのは学長を否定されたはずの理事長であったり、天下り役人たちで、学んでいるのも市長、聴講するのは市職員という笑えない構造となっている。学生なり教員が主人公なのではなく、むしろ否定していることが、大学が大学でない最大の要因となっている。
ところで、自慢話の学位云云は置いておいて、その市政によって下関はどうなったのか、発展したのかどうかの結果が厳密に検証されなければ、いかなる論文や学位にも権威はない。ただの自己陶酔である。自分に酔っている市長を市役所や市立大学をあげておべんちゃらしていると見なされても仕方がなく、よその大学から失笑されることがまず心配されている。真面目で有能な研究者もいるのに、みなが理事長及び市長と同列で笑いものにされ、かつて「西の下関市立大学」といわれていた権威が失墜しかねないものにもなっている。
自慢話が堪えきれないのが政治風土なのか、はたまた親分である安倍晋三の影響なのか、市長に君臨しただけで思い上がりが青天井となり、満たされない自己顕示の世界を他人にひけらかさなければ気が済まない。人が褒めてくれないから、自分はもっとすごいのだとその学歴やコンプレックスに火が付いて、自分で自分を褒め称えるのが癖になっている。
500ページの論文がいったいどれほどすごい論文なのか、また学位が与えられるにふさわしいものなのか、役所や総合支所で閲覧できるようにするなり、自費出版するなりして、多くの人間に点検を受けることが求められている。すごいかどうかは、他人が評価することである。