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はぐるま座『礒永秀雄の詩と童話』下関公演 

 下関に拠点をおく劇団はぐるま座の、『礒永秀雄の詩と童話』下関公演(主催/同実行委員会、後援/下関市、下関市教育委員会、下関市文化協会)が7日、昼と夜の2回公演として生涯学習プラザ海のホールでおこなわれた。会場には戦争体験世代をはじめ文化関係者、農漁業者、教師、労働者、小・中・高校生や親子連れなど550人が集まった。
 
 市民生活根ざす芸術活動期待

 公演のとりくみは、戦後70年たった日本で集団的自衛権行使の容認、安保法制など再び強まる戦争の足音に対して日本中で戦争反対の世論が噴き上がるなかで、文化の力で戦争反対、真実を伝える力を強くしていこうと論議されながら市内各地で宣伝が広がった。戦争の惨苦をなめた幾多の人人の側に立ち平和を願う民衆の魂をうたった詩人・礒永秀雄の詩や童話の世界を、朗読を基調に音楽や舞台美術などで総合的に描いた舞台は、人間の優しさ、強さ、まっとうな生き方を参加者の心に訴えかけ、世代をこえて共有する場となった。
 公演に先立ち公演実行委員長の海原三勇氏(元下関市PTA連合会副会長)が登壇し次のように挨拶した。「今回のとりくみのなかでは小学校17の児童クラブや老人会、敬老会、遺族会、PTA、子ども会、少年スポーツ団体、民生児童委員会やダンス練習場などで宣伝が活発に展開され、自治会でも回覧が広がるなど、多くの市民の力で本公演が準備されてきた。礒永秀雄は、まだ多くの人には知られていない。安保法制で日本全体が揺れるなか、若い人からお年寄りまで、これまでになく公演のテーマに関心が持たれ、戦争につながる安保法制を国民の力でストップさせなければならないという思いが全国的に高まるなか、公演の意義は計り知れないものがある」「このたびの公演が、子どもたちの教育にとってきわめて大きな意義を持つことは、その内容が、将来子どもたちがどのような人間になるかを考え、まっとうな生き方に自信を持たせてきた経験からはっきりいえる。去年、向洋中学校で『礒永秀雄の詩と童話』の全校鑑賞がおこなわれた。今から大人になっていく、人間形成にとって大事な年代の子どもたちが自分の生活を、人生を深く考える貴重な経験の場となった。文化関係者の間でも、劇団の活動のあり方が歓迎され、下関の文化活動をつなげる役割を果たしてほしいと要望が出されている」「これを機にあらためて、はぐるま座が下関を拠点に、発信の地にすることを期待する。そのためにも人民に奉仕する劇団として一層深く下関市民と結びつき、文化活動の発展と青少年の育成、そして地域の活性化に役立つ劇団として奮闘することを願っている」とのべた。

 感動呼ぶ礒永詩の世界

 演目の第1部は、礒永秀雄が東京帝国大学に在学中に学徒臨時徴集でハルマヘラ島に送られ、多くの戦友が海に呑み込まれたり飢えと病気で死んでいくなかで、残された命を詩人にかける激しい葛藤と決意を描いた詩劇「中也の詩による幻想曲―修羅街挽歌」から始まった。
 つづいて詩の朗読。「少数よりも多数の人人に役立つ詩を」という詩人としての立場を鮮明にし、戦後10年目に発表した「十年目の秋に」、「高度成長期」の浮ついた繁栄ムードを批判し、人間のまっとうなありようを励ました作品「ゲンシュク」、「安保」斗争の後、所得倍増、高度経済成長の波と合わさって、挫折ムードと裏切りの流れが押し寄せるなかで、それに抗して大衆の根底に流れる魂を励ます作品のなかから、「虎」「ただいま臨終!」の4編を朗読した。
 第2部は礒永秀雄の童話から「鬼の子の角のお話」の大型ペープサートから始まる。角の生えない鬼の子のために、動物たちがキバや角、体を差し出そうとする優しさやわが子を想う親の愛情を描いた情感あふれる内容に笑い声も起き、子どもはもちろん大人も見入った。1971年、礒永秀雄が文学者訪中団の一員として中国を訪問したさいに人民に奉仕する精神を称えた詩「一かつぎの水」に続いて、小川のせせらぎとカラスの泣き声が響く夕暮れ時の強い西日を背にした老農夫による方言詩の朗読「野良の弁」は、方言の温かさと味のある内容に会場から拍手が起きた。最後は童話「とけた青鬼」の朗読劇、詩「夜が明ける」の朗読で幕が下りた。
 カーテンコールでは劇団はぐるま座の代表が今公演に対する市民各層の協力に対して謝辞をのべ、「下関の劇団として市民のみなさん、文化、教育関係者のみなさんと深く結びつきながら、平和で豊かな心、維新の誇りを全国に発信していきたい」とあいさつすると会場から大きな拍手が起こった。

 誇り持ち生きる心育む

 昼・夜公演の終幕後に開かれた感想交流会では次のような意見が出された。「礒永さんの詩は迫力があると感じた。学徒出陣で戦争を経験されて九死に一生を得て帰られたという強さを感じた。現代に私たちがどう学んでいくかが課題だ。今の世の中は何が本当で何が間違っているのかわからない時代だ。自分自身が強く生きなければいけないと感じ学ばされた」。
 「安保斗争から50年だが、そのときの礒永さんの作品が現代にまったく通用する。今がまったくそのとおりだと思った」「普段私たちが触れている芸術は毒にも薬にもならないようなものが占めているなかで、明日につながる、またつなげなければいけない内容を持っているような気がした。戦争を押しとどめて平和を広げていく力の源になるし、それを育てていかなければならない」。
 「朗読劇に初めて触れた。作品自体に大人も子どもも楽しめるものがある。難しいことをいわなくても人に対する思いやりや、優しさを肌で感じた」など発言があいついだ。
 大分から小学生の子どもを連れて参加した母親は、「『修羅街挽歌』のなかで、恋人が“あなたが亡くなったとは信じられない”というところで涙が出た。『十年目の秋に』は天皇に対して本心を書くことがどれだけの勇気がいるのかと思うと涙があふれた。『一かつぎの水』は、今国家間はいろいろあるが、馬新さんの心のように民族間の交流がつながれば戦争はなくなるということを感じ涙が出た。実行委員長のあいさつにもあったが美しい日本語を意識しながら聞いた。『野良の弁』は方言の美しさ、温かさが伝わっていた。方言を大事にするのは自分のふるさとを大事にすることだ。産まれ育った土地で育まれた方言はやはりすばらしいなと思った。子どもたちにも伝えたい。来てよかった」と語った。
 今回の『礒永秀雄の詩と童話』下関公演は、52氏の実行委員会を中心にとりくみが進み、「若い世代に戦争体験を語り継いでいく契機にしていこう」「美しい日本語や民族の豊かな情感を次世代に繋げよう」という思いが論議され、市内の戦争体験者や遺族、老人会、教師、母親、PTA関係者、農業者など全市民的な運動として広がった。「殺伐とした社会のなかで心豊かな子どもを育てたい」という親や教師の願いを後押しし、児童クラブで礒永童話の紙芝居を見た子どもたちの真剣な反応について「本物の文化に響く子どもの姿」が、現在の文科省教育との対比で教師のなかで論議となった。またPTA関係者や読み聞かせの母親グループからは、今後学校公演やコミュニティスクールなどの行事での公演要望が出され、劇団はぐるま座が恒常的に下関の教育の向上に寄与してほしいという強い期待が寄せられている。
 また文化関係者は、はぐるま座が下関に根を張って芸術文化運動の活性化に貢献してほしいと期待を寄せた。
 今回のとりくみは、全市民的な基盤のうえに、感動的な論議が各地で交わされ、各分野の運動を発展させる新たな出発点となった。

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