アベノミクスと騒がれた3年で国民生活は貧困化が進み、そのなかで自殺や一家心中、親殺し子殺し、介護殺人等等の悲惨な事件があいついでいる。一昔前には考えられなかった簡単に肉親に手をかけるような事件のニュースが毎日のようにお茶の間に流れ、胸を痛める余裕もないほどの頻度で氾濫している。だが、一つ一つの事件の背景には急速度で進む貧困化が温床としてあり、もはや特殊といえるものではない。少ない年金しか頼るすべがなく、まともな介護が受けられない高齢者や、低賃金で必死に働きながら子育てをしなければならない若い親たちにとって「明日は我が身」という切実感をもって受け止められている。大企業や金融資本が350兆円もの内部留保を貯め込み、首相が外遊してバラマキ外交をやる一方で、国民は生きるか死ぬかの絶望的な生活苦を押しつけられていること、この売国的な貧困政策とのたたかいなしには社会的に解決できないことを浮き彫りにしている。
まともな生活守るたたかいを 社会的な解決が待ったなし
毎日のように起きる身内の殺人事件は、「借金が返せない」「病気になり将来を悲観した」という経済的困窮や、「子育てができない」「介護に疲れた」などの動機が多い。生まれたばかりの子どもを抱える若い親、高齢夫婦だけの世帯、介護が必要な高齢者を抱えた世帯で家庭内殺人が頻発している。実質賃金の低下や年金など生活の糧が先細り、食べていくことすら大変ななかで加わる育児や介護といった困難が生活から精神的余裕を失わせ、悲劇へと直結している。
とくに、生活苦から子育てに行き詰まり、親が子どもを巻き込んで無理心中する事件は数え上げれば切りがない。「計画性がない」とか「短絡的でこらえ性がない」など親の未熟さや個人の素性という問題で片付けられるものではなく、これほど多くの家庭を不幸な事件に追い込んでいく社会的な要因を見ないわけにはいかない。
1昨年9月、千葉県銚子市では、当時43歳の母親が自宅で中学2年生の娘(13歳)の首を絞めて殺害し、後を追って自死する前に逮捕される事件が起きた。母子2人家庭で県営住宅に暮らしていたが、月1万2800円の家賃が払えず、2年間にわたり滞納していたため、裁判所から部屋の明け渡しを求められており、事件当日は立ち退きの強制執行日だった。
母親は給食センターのパート勤務で、時給は850円。就労収入は月7万円ほどで児童扶養手当とあわせて月の収入は12、3万円程度だった。さらに離婚した元夫が抱えていた借金返済のために自分名義で借りた消費者金融や社会福祉協議会などからの多重債務や、国民健康保険料の滞納などで破産状態にあったが、相談に出向いた役所では保険料の督促をされたものの、県住の家賃減免措置や生活保護受給については「本人に意思なし」としてまともに説明すらされていなかった。「娘に心配かけたくない」「友だちから笑われるようなことがあってはならない」と娘の生活費を優先させていたことも明かしている。
母親は家賃滞納によって県から提訴され、裁判所からは期限までの「強制退去」を命令され、保険料の滞納で健康保険証が使えなかった。シングルマザーであるがゆえの困難に加えて、借金で経済的に追い詰められ、住居まで追い立てられるどん詰まりのなかで死を選択するしかなかった。事件当日、部屋の強制明け渡しのために裁判所の執行官が到着したときには、母親は4日前におこなわれたばかりの娘が映った体育祭のビデオを呆然とした表情で見ながら、殺してしまった娘の頬をさすっていたという。手元に残っていた所持金と預金残高はわずか4680円。一方で、22カ月分の家賃28万1600円と、強制執行の費用を含めた損害金を加えて約148万円が「滞納額」として計上された。殺人罪で起訴された母親は懲役7年の実刑判決となったが、母親が「短絡的で」「身勝手であった」で片付けられる問題ではなく、そこまで追い詰めた社会的な要因について思わずにはおれないものとなった。
母子家庭をめぐる事件は後を絶たない。その数はこの1、2年だけ見ても急速に増加しており特殊といえない社会問題となっている。
直近では、17日午後五時、大阪市天王寺区のJR天王寺駅で30代の母親が乳児を抱えて線路に飛び込み、快速電車と接触。母親は死亡し、乳児だけが軽傷で生き延びた。
13日にも、神奈川県厚木市の住宅で5歳と7歳の幼い姉弟の遺体が見つかり、その後、母親(39歳)が警察に自首。「子育てに行き詰まった」と吐露し、かろうじて生き残った長男(11歳)も含め母子4人で心中を図ったことを明かしている。8日には、広島県尾道市にかかる尾道大橋から37歳の母親が生後4カ月の娘を抱いて約35㍍下の海に飛び込み、母子ともに息絶えた。
高知県いの町の住宅で母親(39歳)が障害を抱えた長女(10歳)を刃物で切りつけて殺し自殺(今月14日)、岐阜県高山市の林道で母親(36歳)と娘(10歳)が車の中で心中(同13日)宮城県松島市の堤防から「生活苦から将来を悲観した」という母親(22歳)が3歳の長男を抱いて飛び込み、子どもが死亡(昨年11月)、沖縄県読谷村で母子3人家庭の母親が、4歳の娘と生後10カ月の息子を両腕に抱いて海に入り、子ども2人が死亡(昨年10月)、神戸市の県住で母親(22歳)が3歳の娘とともに浴室で練炭自殺(昨年9月)、愛知県一宮市で母(35歳)、高校生から10歳までの娘3人、9歳の長男がともにバーベキューコンロで練炭を炊いて一家心中(昨年5月)、東京都目黒区南のマンションで母親が乳児を抱いて飛び降り死亡(同)など、親が子どもとともに命を絶つ痛ましい事件が頻繁に起きている。
ご飯食べられない子供 非正規の生活崩壊
老後の生活への失望や介護疲れから、将来を悲観した高齢者をめぐる無理心中も増加している。
1月9日には奈良市のマンションで暮らしていた72歳の夫が、同年齢の妻の首を絞めた後にベランダから飛び降り自殺した。同5日には、相模原市で65歳の母親と37歳の娘が親子で心中。昨年12月には、自宅で84歳の妻の介護をしていた85歳の男性が、自分が病気になったことから将来を悲観し、妻の首を絞め自分の手首を切る心中未遂で逮捕された。
昨年11月には、埼玉県熊谷市の利根川で74歳の夫と81歳の妻が水面に浮いているのが発見され、一緒に軽自動車に乗って川に突っ込んだ、47歳の娘も低体温症で病院に搬送された。
父親が首の手術を受けるため新聞配達の仕事を辞めなくてはならなくなり、事件の2日前には市役所に出向いて生活保護を申請していた。「生活が苦しく、認知症の母の介護に疲れた。父が“死にたい”というので3人で車に乗り、川に入った」と語っている。
昨年5月には、東京都大田区でタクシー運転手をしていた44歳の男性が「生活費が工面できない…」と同居する母親(74歳)に自殺を持ちかけ、自宅マンションでフライパンで木炭を燃やして心中をはかり、母親が死亡するという悲惨な事件も起きた。
事件にまで及ばずとも、病気やケガなどで収入が途絶え、子育てや介護を支えきれずに家庭崩壊に陥り、精神的に病んでさらなる貧困の泥沼に転落していくという悪循環はどこにでも存在しており、無関係といえる人などほとんどいない。
下関市内でも近年、蔓延するネグレクト(育児放棄)によって、「子どもにご飯を食べさせておらず、1日の食事が学校の給食だけ」「お金を与えられてコンビニのおにぎりやスナック菓子で済ませている」という子どもの増加や、「身なりが汚れ、保険証がなく医者にもかかれない」「なんでも100均で“ダイソーっ子”といじめられ、勉強どころではない」など、子どもの貧困問題の深刻さが語られる。
関係者の間では、「ネグレクトは母子家庭や父子家庭などの一人親世帯で、非正規社員など経済的に不安定な家庭が圧倒的に多く、企業の都合で簡単に首を切られ、親自身を支えるものがなくなっている。職を求めて流れ者のようにいろんな土地、土地を転転と渡り歩き、腰を落ち着けて一カ所に根づいた生活ができないため、精神的な安定を保つことが難しい。その親たち自身が崩れるような状態にあるのだから、それが子どもに反映する。もうけ主義の大企業をとりしまらず、好き勝手に首を切れる制度にしたことが親子関係の破壊にもつながっている。地域のボランティアが支援しているが、このような雇用制度を改めて社会的な支えをつくらないかぎり解決しない」と語られている。
片親世帯の貧困率55% アベノミクスで増加
現在、日本では、年収122万円未満の「貧困ライン」を下回る世帯が人口の16%をこえており、過去最高の2000万人が貧困状態に置かれている。子供がいる現役世帯全体では15・1%なのに対し、1人親世帯(9割が母子家庭)では約55%にまで跳ね上がる。年収200万円以下のワーキングプアは、アベノミクス前の2012年の1090万人から、14年には1139万2000人へと2年間で約50万人も増加。増加分の41万8000人は女性であり、働く世代の単身女性の3人に1人(約110万人)が年収114万円未満となっている。
安倍政府は、パート労働者が急増したことを「女性の活躍」「雇用機会が増えた」とアベノミクスの成果のように自賛し、「夫が50万円、妻がパートで月25万円稼ぐことができ、一家の収入は増えている」とのべてきたが、現実は著しい低賃金のために、やむにやまれず共稼ぎしているのが実際である。その足下を見るように女性の賃金はさらに低いものに設定され、パートで稼ごうにも収入が夫婦で一定額をこえると扶養控除が削られたり、税金が跳ね上がる「壁」が作られており、政府が掲げる「同一労働同一賃金」など信用するものなどいない。
共働きといっても、夫婦が家を空けて働くことができる保証もほとんどなく、高齢の親を抱えていれば面倒を見なければならない。乳幼児を安心して預けられる幼稚園も託児施設もなく、あってもパート代が吹き飛ぶような値段をとられる。結婚した若い夫婦にとって、本来めでたいはずの子どもの出産が素直に喜べないほど、直に生活を圧迫する問題となっている。
広島市内で福祉事業に関わる婦人は、「パートで働いても食べていけず、飲食に介護、水商売まで二足三足のわらじで職場を掛け持ちするのが当たり前になっている。親自体に精神的な余裕がなく、育児放棄や家庭内暴力など小さな事件は数限りない。犯罪に至る人たちは、必死になって働いてもお金は右から左へ消えていき、まともな思考ができないほど精神的に追い詰められているケースが多い。でも役所は“早く税金を払え”としかいわず、保護を必要としている人には“相談にこい”といいながらたらい回しだ。申請手続きも煩雑でわかりにくく、役所が寄り添って相談に乗る体質ではないことも行き場を失う要因になっている」と指摘する。
また、「母子家庭になれば、若い人は手っ取り早く稼ぐために水商売を始めるが、近くに親がいなければ、高い保育料がかかる夜間保育所に預けるか、小学生くらいになれば家に放置せざるをえない。留守の間にケガでもすれば駆けつけなければならず、精神的にはいつも切羽詰まっているし、一度病気でもして失職し、サイクルが狂ったらたちまち抜け出せない貧困に転落していく。介護も同じで、働きながら在宅で介護できる余裕はない。政府は“福祉に使う”といって消費税率の引き上げを飲ませたが、現実には介護保険料を年金から天引きし、天下り団体やバラマキのために使い果たしてきた。年金まで勝手に株に投資しているが、その一方で安心して働ける環境が崩されている」と怒りを込めて語った。
人の困難を儲けの具に 貧困ビジネスの横行
そして、その貧困や介護という社会問題がもうけのためのビジネスとなっている。
老人福祉に関わる婦人は、「川崎の老人ホームで若い介護職員が“疲れた”といって高齢者を転落死させていたが、介護が介護でなくビジネス化していることに要因がある。公共の特養は極端に足りず、ゼネコンやマンション業者まで補助金にたかるように介護に進出し、高額な利用料をとって老人を囲い込む。単身で生活している高齢者は、年とともに自分で考えて行動することができなくなり、自分はなんのために生きているのか意味を見失ってしまう。贅沢はいわず、生きている意味を確認しながら、人に感謝して人生を穏やかに終えたいと願っているのに、今の介護システムは、“食事3食で1500円”“風呂に入れたら何円”“掃除をすれば一回何百円”“車いすを押してもらったら○○円”ですが“どうしますか?”というもので、高齢者をモノとしか見なさない体質になっている施設も多い。介護職員さんがやりたくても制度上やれないとか、責任をもって介護できるものになっていない。あげくには“あなたはここしか行き場がないんですよ”といって、貯金通帳すらとりあげられてしまう施設もあり、そのなかでまともに介護職を志してもジレンマに陥る人も多いのではないか」と話した。
若い世代が進学するための「援助」であるはずの奨学金制度も高額な利子が上乗せされ、学生たちは大学を卒業したとたんに数百万円もの奨学金地獄が待ち受けている。昨年は北九州で40歳の男性が奨学金で破産して物議を醸した。
下関市の20代の男性は、親から「自分で奨学金を借りて行くなら行っていい」といわれたため、年間約100万円の授業料と生活費のために無利子と有利子の2種類の奨学金を借りて福岡の大学に進学したが、「高校の奨学金の返済と合わせて、毎月3万円ずつ、50歳くらいまで返済しないといけない。総額1000万円をこえる。大手の建築会社に就職したがケガで辞めることになり、再就職先の企業は、正社員といわれていたのに入ってみれば派遣社員の扱いで年金や雇用保険にも入れてくれず、支払いでほとんど手元に残らない。通勤は毎日自転車で、車を買うどころか食べていくことも大変。将来が見通せず退職し、次の仕事を探している」と語り、多額の奨学金に追われる現実を語っていた。
こうした社会の構造的問題が、将来の生活を考えあぐねた結果、絶望して死を選んだり、身内に手をかけて心中するという悲劇を生んでいる。アベノミクスによって労働者には低賃金を押しつけ、商売人や生産者の営みからも絞り上げることでもたらした絶対的貧困化の産物にほかならない。額に汗することもない金融商売がのさばり、果てしもなく肥え太った一握りの大資本の利益と、それを保証する「競争原理」の資本主義制度を守るために、勤労者のまともな生活、労働環境や育児環境を奪いとり、社会基盤すら崩壊させてもうけの具にしていくこととたたかうことなしに解決しない問題になっている。