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『袴田事件:神になるしかなかった男の58年』 著・青柳雄介

 今から半世紀以上前の1966年6月30日、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)にあった味噌製造会社の専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の焼死体が発見された。4人の遺体には合計40カ所以上の刺し傷があった。そして、強盗殺人と放火などの容疑で、同社従業員の袴田巖氏(当時30歳)が逮捕された。

 

 しかし証拠はなにもなく、袴田氏はほぼ一貫して容疑を否認したが、警察と検察による自白の強要、証拠のでっち上げ、でたらめな調書によって、逮捕から14年後の1980年に死刑が確定した。

 

 これに対して本人や姉、支える人々によって再審請求が出され、弁護側の求めと裁判所の勧告によって、それまで検察側が独占していた未提出の証拠が2013年頃から開示され始めた。

 

 とくに、それまで検察が「ない」といってきた「五点の衣類」のカラーネガ93点と取り調べの録音テープ46時間分が発見され、それによって違法捜査の全体像がしだいに明らかにされていった。

 

 2014年3月、静岡地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがあり、その捏造証拠による死刑判決によって長期間、死の恐怖の下で身柄を拘束されてきた」「拘置をこれ以上継続することは、耐えがたいほど正義に反する」とし、再審の開始と死刑および拘置の執行停止を決定した。ところがこれで終わらなかった。メンツを潰された検察は異議を唱えて即時抗告し、昨年3月に東京高裁が再審開始を決定するまで、さらに9年の歳月を要している。

 

執拗な取り調べと拷問で自白を強要

 

 この本は、袴田事件を18年追い続け、関係者にインタビューをくり返してきたフリーのジャーナリストが、この冤罪事件の全貌と袴田氏の思いをまとめたものだ。

 

 まず第一の特徴は、具体的な証拠がないなかでの、長時間の執拗な取り調べと拷問による自白の強要である。自白以外の客観的な証拠がないまま逮捕したことは、当時静岡県警が作成した「捜査記録」からも明らかだ。

 

 警察は事件から4日後、袴田氏を参考人として事情聴取したが、この時点でほぼ犯人だと断定していた。8月18日に逮捕すると、炎天下の警察署で、連日12~16時間以上の取り調べを20日間、休みなく続けた。本人は明確に容疑を否認しているのに、「犯人はお前だ。早く自白して楽になれ」と、二人一組や三人一組の警察官が交替で罵声を浴びせ、殴ったり蹴ったりしたことがわかっている。

 

 ついに勾留期限の3日前、1966年9月6日に、袴田氏は意識が朦朧(もうろう)とするなかで「自供」させられ、警察と検察に合計45通の自白調書をとられている。このときどういう状態だったかは、2015年に開示された録音テープで明らかになった。

 

 取り調べを担当した警部補は、「(袴田が)本当に今まで長い間、お手数をかけて申し訳ない」と謝罪し、涙を流しながら動機や犯行内容、奪った金の処理、凶器の購入経緯を具体的に語ったと法廷で証言した。ところがテープには涙や謝罪の場面はなかった。さらに検察が提出した調書も、作成順を並べ替えて、いかにも真犯人の調書らしく偽装していたことが明らかになった。そのうえ4人の取調官がその口裏合わせを組織的におこない、公判で偽証していたことも暴露された。

 

 もう一つは、重要証拠として持ち出された、袴田氏が犯行時に着ていたとされるパジャマだ。事件直後から大手メディアは「血染めのパジャマ」と大々的に報じたが、これは警察のマスコミへのリークによるもので、実際には血は肉眼では確認できないほどわずかなものだった。

 

 ところが、事件から1年2カ月後の第一審の公判中、味噌工場のタンクの底から、鮮やかな赤色の血痕のついたズボンなど5点の衣類が発見された。タンクの中は事件直後に徹底的に捜索され、何も発見できなかったのにである。警察・検察は、それまでパジャマを犯行着衣だと袴田氏に自白させていたのに、それでは証拠能力があまりにも低いため、公判中にもかかわらず重要証拠を「5点の衣類」に改めたと見られる。

 

 だがその後、そのズボンを袴田氏ははけるかどうかの実験が何度もおこなわれたが、ズボンは太腿までしか入らず、チャックも閉められなかった。また、実験結果からは、1年2カ月も味噌に漬かると衣類についた血液は黒色化することがわかった。さらに血痕をDNA鑑定すると、袴田氏のものと一致しなかった。

 

 弁護団は「事件直後でなく、発見直前に捜査機関が仕込んだ捏造証拠だ」と指摘し、これが認められて再審決定になっていく。袴田氏を真犯人にしようとする警察・検察側の証拠が、逆に無実を証明する証拠になったわけだ。

 

根深い警察・検察の癒着と腐敗

 

 著者は、杜撰(ずさん)な捜査で確固たる証拠がないまま、拷問で自白を強要して真犯人をでっち上げる一方、捜査側に不利な証拠は隠蔽・破棄するという強引な手法が、静岡県警に伝統として受け継がれていたとのべている。

 

 敗戦後の一時期、難事件を次々に解決し「名刑事」と謳われた紅林麻雄という警部補がいた。幸浦事件、二俣事件、小島事件、島田事件など、静岡県下で死刑や無期懲役が下された多くの事件を紅林は以上のような手法で「解決」したが、後にすべて逆転無罪が確定しているそうだ。

 

 この本のなかでは、1967年の静岡地裁死刑判決を下した裁判官の一人が、約40年にわたる沈黙を破って、「自分は無罪を主張したが、裁判官3人の合議に1対2で敗れ、意に反して死刑判決を書かざるを得なかった」「袴田氏を獄中から救出し、直接謝りたい」と訴えたことにも触れている。この元裁判官に対する著者のインタビューは、彼の号泣で何度も中断したそうだ。守秘義務に抵触することも恐れないこの勇気ある訴えは、逆に、警察・検察・裁判所という権力機構内部の癒着がいかに根深いかを浮き彫りにしている。

 

 安倍政権の「モリ・カケ・桜」に警察・検察は動かず、今回の裏金問題もしかり。自分の出世のために、権力者を忖度し巨悪を野放しにする連中が、一般庶民に対しては権力を笠に着て襲いかかり、その人生を奪ってはばからない。「法の支配」とはいいながら、統治のモラルが失われ、損得や忖度で「白」が「黒」になることがあるのだ。それは戦後の一時期に限って起きたことでも、静岡県だけの話でもないことは、最近の大川原化工機事件を見ても明らかだろう。今年も鹿児島県警が「再審や国家賠償請求訴訟などで捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはない」と、捜査書類の廃棄を内部文書で促したことが明らかになったばかりだ。

 

 袴田事件は事件発生から58年経ち、再審公判も15回の審理を終えて、9月26日に判決が下る。

 

 (文春新書、286ページ、定価1100円+税)

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