自民党総裁の任期満了にともなって、9月12日告示、27日投開票で自民党総裁選がおこなわれようとしている。民主党野田政権の自爆解散ともいえる大政奉還によって自民党安倍政権が返り咲きを果たし、そこから長期にわたって私物化政治をくり広げた後、菅義偉、岸田文雄と政権のバトンをつないで12年。支持率低迷のもとで解散を打つこともできず、現役総理大臣が行き詰まって再出馬の道を断たれたもとで、一方では何を思ったのか「今がチャンス」「我も我も」と権勢欲をこらえきれない面々による後釜争いが勃発している有様である。岸田政権の立ち腐れ状態とともに、近年の日本の政治状況について記者たちで振り返ってみた。
ワンポイントリリーフ終了 米国の番頭役
A 盆休み最中の14日、岸田が唐突に記者会見で「自民党が変わることを示す最もわかりやすい最初の一歩は、私が身を引くことだ」と退任表明した。昨年から解散総選挙をいつ打つのかタイミングを伺っていた節はあって、全国的に選挙区再編地域などでは自民党候補者の公認を巡って大慌てで調整などもしていたが、結局のところ岸田政権の延命はならず、総裁任期3年を満了しての退任に追い込まれた。
岸田本人からすると、もっと総理大臣ポストに酔いしれたかっただろうし忸怩(じくじ)たるものがあるのだろうが、如何せん支持率が低すぎて、このまま突っ込んだときには次の総選挙で相当に反動をくらうであろうことは一目瞭然。自民党としては何とかトップの顔をすげ替えて、イメージ刷新で乗り切ろうということなのだろう。しかし、自称総裁候補とやらの11人もまたパッとするのがおらず、メディアが「脱派閥のはじめての総裁選!」とか煽ったところで、「誰がやっても一緒じゃないか…」と世間は冷めている。そんな空気感が支配的ではないか? しらけている。
B さながら「毒にも薬にもならない男」の退場といったところだろうか。「総裁任期3年のワンポイントリリーフが終わりました」とアナウンスされているような光景だ。「ワンポイントリリーフ」――まさにそれ以上でも以下でもない。つつがなく経団連や大企業、アメリカに忖度した政治をこなしてお役御免。そして、「次はボクに!」「次はわたしに!」と順番待ちのなりたがりたちがはしゃいでいるのだ。
総裁選に11人も色気を見せているというのは前代未聞で、本当にこれといったタマがいないことを感じさせるものでもある。誰でも彼でも感が漂っているというか、アメリカと経済界の使い走りくらい安倍晋三でも麻生太郎でもできたし、「ボク」や「わたし」でもできると思っているかのような光景だ。
この国の総理大臣は対米従属の鎖につながれた植民地の番頭にほかならないし、大企業に奉仕するのを生業とする。その際に多少の私物化をやっても、安倍晋三みたく無罪放免でなんら処罰されることもない。それは、この12年で露骨に見せられてきたことではないか。民主党の変節も含めてどの政党の誰が総理大臣になろうと、誰に尽くしているのか考えたら構造は変わってなどいないのだろう。
C 誰が総理大臣になっても実行される政治が同じなら、失礼な話が日本の総理大臣なんて猿がやっても同じなのではないかとすら思う。いたらない私物化をしない分、まだ害が少ない。最高意思決定機関である日米合同委員会で決められたことを官僚機構を通じて実行し、アメリカから突きつけられる年次改革要望書を粛々と実行することを常とし、その後もアーミテージ&ナイ・レポートだかで指示されるままの政策を実行するのが政府というなら、そのトップが誰であろうと大差ない。むしろ、何も深く考えずに突っ走る者の方が番頭役としては好まれるのだろう。安倍晋三が最長政権などともてはやされていたが、要するにそういうことだ。
D 岸田政権3年のみを振り返っても仕方ないように思うが、この3年で起こった出来事といえば、安倍晋三が統一教会に恨みを持つ信者二世に銃殺されて、そこから統一教会の政界汚染問題が明るみになったり、自民党清和会(安倍派)を中心とした裏金問題が暴露されたり、政治の腐り果てた実態をこれでもかと見せつけてきた。しかし、統一教会問題も裏金問題もなんのその。騙して誤魔化して、結局のところ何一つ清算もされぬまま首のすげ替えで次の総選挙に挑もうというのだ。
裏金議員たちもそのまま公認をもらうのだろう。統一教会に世話になっている壺議員たちもそのまま出てくるのだろう。国会議員の秘書として100人をこえる信者を送り込んでいるというが、まったく真相解明もされぬまま今日に至っている。すべてはうやむやだ。統一教会との関係にせよ、裏金問題にせよ、槍玉に挙がったのは主に安倍派・清和会ではあるが、自民党としてケジメをつけるわけでもなく、波風立てずにやり過ごす対応に終始した。
とくに安倍晋三の再登板以後に顕著だが、政治家の私物化とか腐敗、疑惑について、そのたびに世間を巻き込んで大騒ぎになるが、結局のところやり過ごしていくというのが常態化している。以前なら議員辞職に追い込まれてもおかしくない案件でも、黙って逃げ回って、そのうち世間は次の関心に飛びついていくというのを待っている。統一教会問題や裏金問題でも、自民党最大派閥だった清和会の影響力が削がれたというだけで、それ以上でも以下でもない。統一教会なんていまだに解散すらしていないではないか。もともとが水面下でこっそり手を握っていたわけで、「今後一切関係を断ち切りました」といったところで誰が信じるのかだ。信者でもあるまいし。
対中軍事包囲網強化に注力 国内では「防衛増税」
B 岸田自身は3年前の総裁選で、「所得倍増」とか「新しい資本主義」を叫び、「国民の声を聞き政策に反映」「聞く力」「岸田ノート」とかいって出てきたが、なんのことはない。資本主義は資本主義で、「新しい」も「古い」もない。そのままだ。そうして、歴代政権が否定してきた敵基地攻撃能力の保有や防衛増税を決定したり、原発についても次世代型原発への立て替えや運転期間60年超への延長を盛り込んだ「最大限活用」に舵を切ったり、マイナンバーカードへの誘導であるとか、粛々とアメリカ及び大企業の番頭として政策を実行してきたに過ぎない。
これは岸田政権の3年に限った話ではなく、安倍政権やそれ以前からの継続でもあるのだが、とりわけ軍事的には米中の覇権争いがたけなわになるなかで、中国包囲網の一翼としてアジアにおける鉄砲玉にされる体制が強まってきた。自衛隊は米軍の二軍として指揮下に入れられ、九州地方や西日本、南西諸島ではミサイル基地配備などが一気呵成で進められてきた。対中国で日本列島が不沈空母として鉄砲玉にされる体制だ。
基地問題を名護の辺野古だけに釘付けにしておきながら、岩国基地などは極東最大の米軍基地になったし、南西諸島や九州地方でも自衛隊配備や基地増強、弾薬庫配備などがあちこちで進められてきた。佐賀のオスプレイ配備でもそうだが、きわめて強権的に防衛省がごり押ししているところだ。東日本ではあまり実感がないかも知れないが、九州地方や西日本に暮らして、そうした軍事施設整備を目の当たりにしている者にとってはひしひしと実感するものがある。
A 安倍晋三のときの安保関連法案のごり押しからこの方、国是であった非戦の誓いを投げ捨てて「戦争のできる国」にして、その戦争とはアメリカの引き起こす戦争に巻き込まれるだけというバカみたいな構造でもあるわけだが、そのような体制作りが真顔で進められてきた。「日本人の生命と安全を守る」とは真逆の方向だ。安保すなわち安全保障といいながら、むしろ安全が保障されない方向に事態は突き進んでいる。台湾有事などというが、何かことあればウクライナ同様、緩衝国家としてアメリカの代理で中国と軍事衝突させられかねない危険性がある。米中の矛盾のなかに入り込んで、米国に与してミサイルを向けるということは、同時に標的としてミサイルを向けられることも意味するわけで、これのどこが安全保障なのかだ。物騒極まりない。
D そうした軍事的脅威をことのほか煽ったうえでの防衛増税であり軍備増強だ。防衛増税についても、要は米軍需産業から大量の武器を売りつけられる関係にほかならない。日本の国家財政がカモにされて、戦争をし続けないと経済が回らない国・アメリカ、軍産複合体に貢がされるのだ。ウクライナで大量の武器・弾薬を消費し、イスラエルによるパレスチナ攻撃でも大量の武器弾薬を使い、軍需産業は発狂乱舞している。バイデンも大統領退任後はブタ箱に放り込まれるのではないかという米政界の動きもあるが、傍らで小銭稼ぎをする政治家もいる。
こうして人々が血を流すことでドルを稼ぐ連中が、平和ではなく戦争を欲し、それがまたビジネスになっている。戦争でも今時は正規軍以上にブラック・ウォーターとかの民間傭兵企業の存在感が増しているほどだ。プロの戦闘員を擁するこうした軍事作戦請負企業がイラク戦争にせよウクライナにせよ乗り込んで、荒稼ぎする構造にもなっている。戦争や紛争がないと稼げないし、平和とか平穏であっては困る人たちというのがいる。「戦争狂い」と表現しても問題ないと思う。
A 20年くらい前は拉致問題とも絡めて「北朝鮮が攻めてくる!」みたいなことを真顔でメディアが煽って、「だから防衛費を上げなければ」とやっていたが、近年はもっぱら中国の脅威を煽っている。最近では北朝鮮がミサイルを発射しても慣れっこというか、「また撃ったんだね」的な反応が多いように感じるが、それよりもなによりも中国の脅威の方が強調されている。ただ、「台湾有事」といっても日本は当事者でもないし、それは中国の国内問題だ。これに武力参戦などしようものなら、国際的にもたいへんな問題になる。しかし、「台湾有事は日本有事」などと政治家が発言し、思考が「中国と闘って台湾を守る日本」になりきっている。あくまで台湾と中国の問題であって部外者なのにどうかしている。
そもそも冷静に考えてみて、中国と日本は隣国でありながら、なぜミサイルを向け合う関係にならなければいけないのか? だ。いまや経済的にも中国は輸出入ともに依存度が高く、日本経済にとってなくてはならない相手なはずだ。経済的にはアメリカ以上にアジア圏の依存度が高いし、近隣諸国との友好平和がなにより大切なものだ。それなのに、アメリカの尻馬に乗ってやたら中国に噛みつく。これは好き嫌いではなく、落ち着いて考えてみてバカげている。
戦争するというが、中国からの物流が止まったら食料はどうするのか? とか、細々考えてみたらいかに非現実的であるかは誰でも想像がつくことだ。コロナ禍一つ見てもわかるように、中国からの物流が止まればマスク一つ手に入らないのが日本社会の現実だ。中国からのコンテナ便を競うように奪い合っていたではないか。そのように相互依存の関係にあるわけで、常に友好平和な関係を築いて、何か問題が起これば外交によって解決するほかないのだ。
B 米中の覇権争奪が激化しているなかで、どのような立ち位置で関わるのかが日本社会の行方とも関わって重要な分岐点になっているのではないか。第二次大戦でスクラップ&ビルドをやったものの、資本主義の相対的安定期は早くに終わって、その後は新自由主義で無茶苦茶してきたが、G7をはじめとした資本主義体制が一周回った国々の没落が始まっている。アメリカにしても国内はガタガタで、いまや「世界の警察官」どころではない。いつになるかは不明としてもドル覇権すなわちパクスアメリカーナの終了が近づいている。そのもとでもがき苦しんでいる関係だ。
一方で、皮肉にも資本主義の次男坊ともいうべきかつての社会主義国・中国が共産党一党独裁のもとで資本主義を導入し、影響力を広げている。およそ15億人の人口を擁し、市場としてもきわめて大きい。新興国のインドも加えて、まだまだ資本主義の未開の地・フロンティアを秘めている地域を開発していく一帯一路が動き、「アジアの世紀」が到来しようとしている。必然的に世界覇権の座は移行していくし、そうなるほかない。資本主義の不均衡発展の法則とでもいうのか、このタイムラグはどうしようもないものだ。西側諸国としては、資本主義が没落・消滅に向かう過程で、次なる社会の展望が求められているところで、これはこれで問われている。
このなかで、没落するアメリカに抱きつき心中みたくひきずり込まれ、なんならアジアのなかのイスラエルみたく孤立していくのか、それとも独自外交を展開して近隣諸国と友好平和な関係を築き、豊かな未来をつかみとりにいくのかだ。武器を抱えて「武士は食わねど高楊枝」でにらみ合うよりも、「アジアの世紀」のなかに身を投じて役割を果たす方がはるかに日本の国益にかなっているはずだ。ミサイルを撃ち合って日本列島が焦土と化すなど日本の国益から考えてもあり得ないし、どこの売国奴がそんな道を選択するのかだ。
宙に浮く「安全保障」 未曾有の災害でも国動かず
A とはいえ、現実には自民党政権のもとで対米従属一辺倒の売国奴の選択をしている。安倍晋三からこの方、一環して進められてきたのはこういうことだ。アベノミクスなどといって異次元緩和をやりまくったが、社会全体には行き渡らず、金融市場で外資をはじめとした金融資本にテラ銭を供給したというだけだ。円キャリートレードで金利の低い円で資金を調達して、世界を股にかけてカネもうけできるのだから、投機資本からしたら安倍晋三様々なのだ。
しかし、これとて少し日銀・植田が利上げをほのめかしただけで株価は暴落するなど、いつまでもそのままなわけではない。市場最高値までいったが最後、いつ暴落してもおかしくないのが現実だ。何が新NISAかだ。リーマン・ショックと同じように「ミセス・ワタナベ」がカモにされるだけなのだ。
C 世界的にはウクライナ戦争やイスラエルによるパレスチナ攻撃などが起き、円安と物価高で国民生活の窮乏化はたいへんなことになっている。ガソリン代も高騰、電気代も高騰、食料も軒並み高騰、コメもスーパーの棚から消えて、見つけても5㌔㌘2500円とかの高値だ。そして税金も上がるばかり。世界のなかでも「貧しい日本」化が進み、安いからインバウンドで外国人が押し寄せるが、だからといって日本人の暮らしが上向くわけでもない。
そして能登半島がそうであるように、地震に見舞われたり、豪雨災害でひどい目にあっても棄民が平然とやられ、政府というのは「国民の生命と安全を守る」ために機能しなければならないという当たり前の営みが放棄されている。能登半島の実情については今週末から本紙も取材に入って、現地の実情を生々しく報道していくことにしているが、れいわ新選組の山本太郎が8月初旬に現地入りして発信している内容を見るだけでも、まるで放置されていることがわかる。なにが「安保」かだ。国民の安全を保障するなど、これっぽっちも考えていないことが災害対応一つとっても如実に浮き彫りになっている。
A 自民党総裁選で何かが変わるわけではなく、それは総選挙前のお色直しみたいなものだ。パッとしない11人のなかから、果たして誰が最終的に立候補して誰が総裁になるのかだが、「誰がなっても同じ」なのは変わらず、そのもとで総選挙を迎えることになる。ただパッとしないのは野党も同じで、立憲民主党の党首選で大政奉還の張本人である野田に出馬要請する動きなどを見ていると、ちょっと苦笑してしまう。いわゆる野党とか革新などと標榜する連中のなかにもまがい物やインチキがいて、これらが支配の枠のなかで支柱になっているという側面もある。総じて茶番なのだ。そうして、野党にも信頼が乏しいからこその自民党支配が続いてきた。
しかし、さすがにここまできて限界を迎えているというか、とくに直近の各種選挙で露呈しているのは、保守層こそが自民党離れを起こし始めていることで、何も相談したわけでもないのに共通現象となってそうした特徴があらわれている。それで「岸田ではもたない…」となっているのが新総裁、新総理大臣の誕生でもつのかだが、小泉劇場の如くメディアがプロパガンダを仕掛けるにしても超ウルトラC級の「自民党をぶっ壊す!」みたいなのはおらず、この没落を食い止めるのは無理なのだろう。
そこで誰がカネを出しているのか、維新とかの第二自民党勢力が補完勢力として用意され、目くらましをしつつ、なんとか連立で頭数だけはどうにかする体制になっているようにも見える。それも含めた自民党のお色直しが粛々と進行中といったところなのだろう。得体の知れない政党が唐突にSNSを利用しながら台頭したり、近年の選挙は「だれがカネを出しているのだろう?」と思うような勢力が降って湧いたり奇々怪々だ。
権力者にとってもっとも台頭して欲しくないのは山本太郎率いるれいわ新選組であることは疑いないが、次の総選挙を経て「国会議員20人」を目指すという挑戦がどこまで現実のものになるかは注目だ。地道に全国で街頭行脚を展開し、有権者と語り合って政治活動を展開しているが、政治不信がすさまじいなかで、選挙に行かない5割にリーチをかけることができるかが要になる。何度選挙しようがその課題は同じで、何度も何度も跳ね返されながら、しかし何かの拍子でドーンと爆発的に飛躍するというのはスポーツとかトレーニングでもままあることだ。「挑戦なき者に成功なし」というし、ジワジワと国会議員を増やしつつある今、飛躍の選挙になるのではないか。
B 政治は誰のために、何のために存在し、何をしなければならないのか。こうした矜持など持ち合わせていない政治家が溢れ、やれ反日カルトに物心両面で支援を受けていたり、裏金をせっせとポケットに入れていたり、どうしようもない腐敗堕落が眼前に広がっている。余計にでも政治不信を増大させて、選挙に行かない人を増やしているのかと思うほどだ。
こうして選挙に行かない5割が6割になり、残りの限られた人々のなかで組織票を固めて一等賞をとれば権力にありつけるというものだ。だからこそ、政治不信をぶち破る政党、政治家の台頭が切実に求められている。国民の暮らしのために粉骨砕身する政治家など一度として見たこともないが、そんな政治家なり政治勢力があらわれないことにはどうにもならないのではないか。政治的には先ほどから論議してきたように、対米従属一辺倒からの脱却がきわめて大きな現実的テーマになっている。
これ以上ないスカッとする記者座談会。
このような考えの人がひとりでも増えることがこの国を変える基礎となりそう。