世界の多くの文化には、「人は神によってつくられた」という創世神話がある。ヨーロッパ中世の封建制はキリスト教が支えた。しかし、14世紀に始まるルネサンスによる科学の進歩と、それを応用した産業革命の進展は、人々の世界観を変え、自然現象は科学で説明されるようになった。ヒトの由来についても、1859年にダーウィンが進化論を発表し、神の存在を抜きにして人間の由来を自然科学として扱うことを宣言した。
その後、多くの化石人類学者が、人類進化の証拠を求めて地層の中を探索してきた。150年間の努力の結果、現在ではおよそ700万年に及ぶ人類進化の道筋が大まかに示されている。それによると、700万年前にチンパンジーの祖先と人類の祖先が分かれ、200万年前に完全な直立二足歩行や脳容積の急激な拡大を特徴とするホモ属の登場が見られる。
ところが10年前から、古人骨に残されたDNAを解読し、ゲノム(遺伝情報)を手がかりに人類の足跡を探る古代DNA研究が飛躍的に発展し、化石からは知ることができなかったホモ・サピエンス(現生人類)の誕生の状況や、アフリカから世界に広がった人類集団の動向について、驚くべき事実が明らかになっている。本書はその全体像の解説で、著者は、国立科学博物館館長。
新しくわかった事実
これまで人類進化の研究では、①原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシスとネアンデルタール人)→新人(ホモ・サピエンス)と段階的に発展してきた。②200万年前に原人の段階で世界各地に広がった人類が、それぞれの地域で独自に進化し、各地に住むホモ・サピエンスとなっていった――という考え方が支配的だった。しかし古代DNA研究で、新たに次の事実がわかった。
アフリカで20万年前に誕生したホモ・サピエンスが、6万年ほど前に「出アフリカ」を成し遂げて、旧大陸にいたネアンデルタール人やデニソワ人などホモ・サピエンス以外の人類と交雑しながら彼らを駆逐して(生殖や言語能力に関する遺伝子が優れていたことがわかっている)、世界に広がった。現在、世界にはホモ・サピエンスという一属一種の人類だけが生存しているわけだが、数万年前まではホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人という異なる人類が地球上に共存していた。
アフリカ(とくにサハラ以南のアフリカ)は人類誕生の地であり、人類史のなかでとりわけ重要な意味を持っている。ホモ・サピエンスは他のどの地域よりも長くアフリカ大陸で生活しているから、アフリカ人同士は、他の大陸の人々よりも大きな遺伝的変異を持っている。人間の持つ遺伝的な多様性のうち、実に85%まではアフリカ人が持っていると推定されている。また、アフリカには世界中に存在する言語の3分の1に当たる、およそ2000の言語が存在している。それだけ多様な集団が暮らしていたということだ。
アフリカでは、およそ4000年前にアフリカ西部のカメルーンやナイジェリアに当たる地域で農耕が始まり、それによって人口が飛躍的に増加し、そこからバンツー系農耕民の移動が始まり大陸各地に広がっていった。教科書では「アフリカでの人類の誕生」の次に「四大文明」が来るが、アフリカでも農耕や牧畜が盛んになり独自の文化が発展していた。
6万年前に「出アフリカ」を成し遂げた人類は、今のイスラエル方面を通ってユーラシア大陸へ、ヨーロッパやアジアへと広がり、アメリカ大陸に広がっていった。
アメリカでは、古代DNA研究が始まるまでは、「現代のアメリカ先住民が持つヨーロッパ人と共通の遺伝的要素は、コロンブスの新大陸発見以降の混血によってもたらされた」と考えられていたそうだ。
ところが2014年、ロシア・バイカル湖近辺の遺跡から出土した古人骨のゲノム解析から、そのゲノムが、現代の新大陸の先住民にも共有されていることがわかった。つまり、出アフリカの後にユーラシア大陸に展開した集団は、3万9000年ほど前に東西に向かう集団に分かれ、そのうち東ユーラシアに向けて展開した集団から、南回りで東アジアに向かう集団と、北回りでシベリアに向かう集団が生まれ、そのゲノムが現在のシベリアの先住民やアメリカの先住民に受け継がれたということだ。
日本についても、従来は「大陸由来の均一な縄文人がおり、そこに稲作文化を持った渡来系弥生人が北部九州にやってきて混血がおこなわれた」と見られていた。しかしDNA解析によって、縄文人は均一化しておらず地域によって多様性があったこと、そのうち本土の日本人については「主に朝鮮半島に起源を持つ集団が渡来することによって、日本列島の在地の集団を飲み込んで成立した、と考える方が事実を正確に表している」とのべている。
著者は以上の遺伝学研究の成果から、「世界中に展開したホモ・サピエンスは、実際には生物学的に一つの種であり、集団による違いは認められるものの、全体としては連続しており、区分することができない」「すべての文明は同じ起源から生まれたものであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経緯、そして人々の選択の結果である」という点を強調している。
そもそも「人種」という概念自体、欧米列強がアジアやアフリカ、ラテンアメリカの異なる集団に遭遇したとき、その肌の色など人間の持つ生物学的側面に注目してつくり出した恣意的なもので、科学的なものでもなんでもない。
欧米の為政者がおこなってきた植民地主義は、黒人など有色人種をサルなどにたとえて「人間よりも劣ったけだもの」だといって侵略と虐殺、富の略奪をくり返してきた。アメリカでは、20世紀に入って以降も進化論を教えることを禁止する運動があり、国民の半数近くが「人間は神によって創造された」と答えたという調査結果があるが、それもこの植民地主義と無縁ではないだろう。
(中公新書、294ページ、960円+税)