著者は小学生のとき、口が立つ子どもだった。教室でとっくみあいのケンカをしていると、先生が間に入って「暴力はダメ。話し合いで」と両者を分けて、「さあ、なにがあったのかちゃんと話してごらんなさい」という。そういうとき、著者は口が立つから、「こうこうこうで、相手が悪くて、自分が正しい」と、自分に非があるときでもうまいこといいくるめて主張していた。
一方、相手の子はもやもやした気持ちをうまく説明できなくて、「あの、その…」と要領をえない。それで先生は納得し、相手の子に謝らせようとし、相手の子も「ごめんなさい」と謝る。こうして自分がいつも勝ってばかりなことに、著者はずっと違和感を持ってきたという。
ところが著者は、大学3年のとき(20歳)、突然難病になり、行こうと思えばどこへでも行けた昨日から、ベッドの上で動けない今日に変わった。食事も厳しく制限され、薬の副作用で目まで病んでしまい、13年間闘病生活を続けた。
そのとき著者は、病状についてどう説明していいかわからないし、説明してもなかなかわかってもらえず、黙ってただしょんぼりとうなだれる日々を過ごした。その経験から、「言葉にできる思いなんて本当にわずかで、この人の中にはもっと言葉にできない思いがいっぱいあるはずだ、という気持ちで相手に接する必要がある」と考えるようになったという。
もちろん、自分の気持ちをきちんと表現して相手に伝えることは大事なことで、その能力が高いにこしたことはない。だが、「ちゃんと言葉にしてくれないとわからない」と相手にもどかしい思いを抱いたり、逆に「この気持ちはとても言葉にできない」という熱い思いを強く抱いたりすることは、日常的に起きていることではなかろうか。
そのことは、今の社会の風潮に対する次のような著者の意見にもつながってくる。
あるとき、「映画館で、映画の上映中にスマホをいじる人がいて迷惑」だとSNS上に投稿があり、話題になったことがある。スマホの光が気になって、映画に集中できず、「許せない!」と盛り上がった。ところがそのとき、聴覚障害のある人が「スマホで字幕ガイド/音声ガイドのアプリを使っているんです」と投稿した。著者は知らなかったので、そうなのかと初めて得心した、と書いている。
今の時代、四六時中SNSにつながり、即座の反応が求められるようだ。その反応というのが、匿名をいいことにやたら攻撃的なものがある。目の前に相手がおり、お互いを深く知りあう関係ならばけっして起こらないことだ。
また、著者が治療で宮古島に移住したときの次のようなエピソードにも目が止まった。都会では「人に迷惑をかけてはいけない」ということが変にエスカレートして、バスや電車に乳母車を押して乗ろうとすると白い目で見られたり、幼稚園をつくろうとすると「子どもの声がうるさい」と反対の声があがったりする。政府が公的な支援を切り捨て、自己責任社会にしてきたことが、人々の気持ちを窒息させているのだ。
ところが著者は、宮古島に行ってこれが変化するのを感じて驚いた。
「羽田で飛行機に乗るとき、荷物を上の棚に入れるのをもたもたしていると、通路をふさぐことになるので、ものすごく迷惑そうにされる。しかし、沖縄本島で宮古島行きの飛行機に乗り継ぐと、棚にゆっくりと荷物を入れていても、誰もイライラした様子を見せない」
「東京では郵便局などの窓口で、お年寄りが説明をなかなか理解できなくて、“待っている人がいるから”と追い返されるのをよく目にした。しかし宮古島では、お年寄りにじっくり説明する。窓口の人もお年寄りもあせらないから、ちゃんと理解できて、結果的にはむしろ早いくらいだった」
「宮古島の総合病院では、お年寄りが看護師さんになにか話しかけると、看護師さんは立ち止まり、そばに腰を下ろして、“さあ、じっくり聞きますよ”という態度で聞く。廊下でも病室でも。そんな姿は東京では見たことがない」
この章のタイトルは「迷惑をかける勇気」。逆にいえば、日頃コスパ(費用対効果)やタイパ(時間対効果)が重視され、いかに“早く早く”と急かされているか、である。
短期で成果を求めるという考え方は、3カ月ごとに成果を求められる株主利益至上主義が生みだしたもので、いかに最大限利益をあげ、いかにビジネスで勝ち抜くかが基準である。一方、子どもたちを育てる学校や医療・福祉の現場、また日常的な人間関係は、協力と相互扶助が基準でなければうまくいかない。「口が立つやつが勝つ」というのでは困るのだ。
ところがその学校現場に、グローバル化の時代なので「理路整然とプレゼンテーションできる能力が必要」とかいって、肝心要の子どもたちの身体と心を成長させる、人間を育てるという基本が見失われている現状がありはしないか。著者も自己の経験から、「他人に申し訳ないことをしたとき、自分の行動を素直に反省し、ごめんなさいがいえる子どもでありたい。でも反省したくなくて、かえって相手を非難し攻撃し始める子どもがいる」とのべている。
これまで著者が書いた「カフカの絶望名言集」などには、意外なことに、スポーツ選手やトレーナーたちの反響が大きかったという。オリンピックなどでも、金銀銅のメダルがとれる選手以外の圧倒的多数の選手は驚くほど注目されず、負ければたちまち忘れられてしまう。そのとき、つまり「あきらめなければ必ず夢はかなう」と励ましてきた選手が夢破れたとき、いったいどんな言葉をかければいいか、とても悩むそうだ。
考えてみれば「勝ち組」「負け組」というが、「勝ち組」などほんのひとにぎりに過ぎず、農漁業でも製造現場でも医療現場でもその他大勢の人間が黙々と働き、日本を支えている。そうした人たちがいなければ、この日本社会は成り立たない。そんなことも考えさせられた。
(青土社発行、四六判・270ページ、定価1800円+税)