全国にある86の国立大学が来年度から六年間の中期目標の素案を文部科学省に提出し、うち33の大学が文学部や経済学部など人文社会科学系の学部や研究科の再編を計画していることが明らかになった。昨年8月に文科省が「教員養成系、人文社会科学系学部の廃止や転換」を通達したのに対して、日本学術会議などは「教育における人文社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねない」と強く批判してきた。批判世論に慌てた文科省は通達について「誤解だ」と誤魔化してきたが、国立大学の運営費交付金(決定権は文科省が握る)とも関わる中期目標が出てみると、なんと四割近くの国立大学が文科省通達に順応して動いていた。
人文系とは、日本文学や外国文学、外国語、史学や地理学、考古学、民俗学、哲学、宗教学、倫理学、心理学、文化・教養、人間科学、芸術学など多岐にわたり、人間の行動や言語、歴史やその思想などを専門的に探求する学問とされてきた。世界とつながろうと思えば、英語やスペイン語といった言語だけでなく、それが仮に少数民族のものであったとしても、各国の言語に通じたプロフェッショナルな人材を抱えていることは国力にもつながる。同じように人類社会の発展過程や歴史、そのなかで育まれてきた文学や芸術、宗教の成り立ちや哲学について、日本のみならず世界に目を広げて専門性をもって研究している人材もまた、社会にとって必要不可欠な構成員である。多様性に富んだその研究が時に現代社会に警鐘を鳴らしたり、未来への道筋を提示することにつながるからだ。成熟した社会であるからこそ多様な学問が存在し、それぞれ専門性を持って人類社会の営みに貢献することができるのである。
こうした人文社会科学系の果たしてきた役割を否定して、産業競争力会議や文科省の「有識者」会議では、大学を「職業訓練大学に変えろ!」と主張する愚か者が大きな顔をしている。そして、運営費交付金で首根っこを押さえつけながら目指している方向は、グローバル経済に最適化した即戦力を吐き出させる専門学校化で、学問探究を否定して、如何に市場原理経済に適応した人材をつくるか、財界が求める使用人をつくり出すかしかない。
旧帝大をはじめとする国立大学は、もともと国家の将来を担いうるエリートを育てることを目的につくられた。そこでは文化芸術や政治経済、語学にせよ幅広く人類社会の英知を吸収し、人文系の教養を身につけることが求められた。そうした教養あるエリートづくりを放棄し、財界の使用人づくり機関に大学を貶めることがいかに愚かなことかは論をまたない。反知性主義者が自分レベルにまで日本の学術レベルを引き下げ、安倍晋三クラスで社会に跋扈し劣化するのではたまらない。知性主義者たちの徹底的な反撃が求められている。吉田充春