加計学園の獣医学部新設をめぐる問題がようやくメディアに浮上し始めた。
「第二の森友学園疑惑」などといわれてきたが、こちらは首相と昵懇の仲である学校経営者に対して、森友をはるかにしのぐ規模の公金が注がれており、瑞穂の國記念小学院が可愛く思えるほどだ。文科省が長年にわたって首を縦に振らなかった獣医学部設置について、「総理のご意向」で認可が下り、37億円の土地代と九六億円の建設費を行政機関に出してもらえるというのである。首相夫人がフェイスブックに「男たちの悪巧み」と記してアップした首相と理事長お揃いの写真は、もはや笑って見過ごすことなどできない。
隣国では友だちとのつながりで大統領が職権乱用、収賄などの容疑で逮捕された。それと比較して、この国では捜査機関が微動だにして動かず、この期に及んで忖度している。それどころか、犯罪を取り締まるはずの警察も負けず劣らずで、署の金庫から8500万円を盗む者がいたり、捜査で得た情報をもとに民家に侵入して現金を奪ったり、盗撮などの破廉恥に夢中な者が後を断たない。放って置いても盗撮や盗みをくり返しているのに、こんなものが共謀罪で国民を監視する権限を与えられ、今度は合法化されたもとで他人の私生活の覗き見を始めるというのだから、とんでもない社会になることは疑いない。
いまや統治機構が腐敗しきって体を為していない。近代国家と呼べるような代物ではなく、法治主義とか立憲主義の在り方をまともに論議する以前の問題がある。首相の友だちがこぞって国家財産に寄生し、タダ同然の国有地払い下げや、「総理のご意向」に基づいた公金による大学設置などに勤しんで、「悪巧み」がまかり通るのである。これは腐敗撲滅に力を入れている中国や、大統領を逮捕する韓国と比べてみても、いかに前近代的であるかをあらわしている。
役人は建前の上では全体の奉仕者であって特定の個人や企業、友だちの奉仕者ではない。政府というのも自国民の命や財産を守るのが役割とされてきた。そのような当たり前の理屈が吹き飛んで、もっぱら近しい者だけが国民の共有財産を私有財産として懐に入れ、利権を分かち合うという行為は私物化である。この振る舞いを肯定するなら、日本社会は安倍晋三やその友だちの私物であるのか否かを全国民に問わなければならない。そして、なぜ国民は安倍晋三界隈のために納税の義務を負わなければならないのかも含めて、全面的に考えなければならない。
「法治国家」とか「法の支配」を標榜してきたが、いまや人治主義の国に成り下がった。憲法論議も何も、日本社会は為政者の恣意によって治める社会なのだと世界に発信しているようなものだ。法は万人に対して平等に適用されるのではなく、「悪巧み」をしている安倍晋三界隈には及ばないというのであれば、よその独裁国家にケチをつけている場合ではない。
国会では共謀罪が審議されている。まずは国民を監視する仕組み以上に権力を監視する仕組みが必要であることを示している。 吉田充春