2023年10月1日は、よく晴れた日曜日だった。お義父さんの三周忌があり、お供物のシャインマスカットやメロンをお義母さんがくれた。このところの物価高でスーパーに行っても果物に手が伸びることがなかったので、フルーツを食べるのは久しぶりだった。そして、私が昨年はじめてシャインマスカットを口にしたこの日、日本初となるインボイス制度がはじまった。
私はふだん、ライター・編集者をしているフリーランスの個人事業主で、21年10月にインボイスの登録がはじまった頃、同制度を知った。消費税の増税分を押し付け合う構造などに疑問を感じ、同年12月1日に「STOP!インボイス」を合言葉にしたオンライン署名を立ち上げた。それからの2年間、生活は「STOP!インボイス」一色になった。
私は、インボイスの活動をはじめるまで、デモや集会といったものに一度も参加したことがなかった。大人の“お気に入り”になって取り入ろうとする目ざとい子どもだったし、「親」「先生」「上司」といった目の前の権威にヘコヘコし、その中でうまくやっていければそれでいい、という感じだった。
大きな変化は、30歳で正社員からフリーランスになったことと、34歳で出産したこと。そして、35歳の時にがんになったことだ。企業の後ろ盾がない自分。1人ではトイレすらままならない子育て。己の世話すらできなくなった闘病中。齢を重ねるごとに、社会的に弱い立場になった。自分が見てきた景色は、恵まれた強者目線でトリミングされた世界だったことを思い知った。
そして、がんを機に保存した受精卵を使って、寛解後に2人目の子どもを作ろうと思っていた矢先、夫婦揃ってインボイス登録した際の納税額を知った(我が家は夫も同業のフリーランスだ)。その金額は、不安定なフリーランスに子どもを諦めさせるに十分な、過重な納税額だった。「こんなわけのわからん名前の制度で自分の思うように生きられなくなる?」そう思ったら、腹が立って仕方なかった。私は、湧き上がってくる怒りからオンライン署名などをはじめた。
ごく私的な怒りからはじまったアクションであったが、当会がインボイス制度開始1ヶ月を機に行った実態調査には、自分と同じように、制度開始によって子作りや育児がままならなくなるという声が10件以上、寄せられていた。
加えて、年商1000万円以下の免税事業者が疎まれる立場に置かれることも、納得がいかないことのひとつだった。以下は、同調査に届いた声のひとつである。
「インボイス未登録の外注が会社の方針で切られています。個人の外注の方は、技術者とコミュニケーターが同じ人の場合が多く、きめ細やかな仕上がりを求められる現場は大変助かっていました。技術力も高く、長年自社の商品を取り扱っていただいているので仕上がりも予測できて安心して出せます。他の業者を探してどうにかなることではないのです」
大企業では対応できないきめ細やかなサービスを、良心的な価格で提供してきたのが小規模事業者やフリーランスだ。もちろん、労働環境含め、各業界で改善すべき問題はあろう。しかし、その改善の努力に水を差し、互いに支え合ってきた仕事仲間に分断をもたらす税制が、インボイス制度なのである。
私の家族は代々、卸の青果業をしている。市場から仕入れた野菜を、お店の特色ごとに、サイズや熟し具合などを考慮して仕分けし、配達している。家族経営の小さな店なので、急な要望にも迅速に対応する。そういった繊細な対応が、我が家の「付加価値」なのだと思う。
諸外国では、消費税を「付加価値税」と呼ぶ。つまり、消費税とは、人の手が生み出す「付加価値」に税を課すものであり、税率を変更しない消費税の増税であるインボイス制度は、国がもっとも大切に育てなければいけない付加価値を損なうものなのだ。
さらに同調査には、「子どもの頃からの夢がこんなかたちで難しくなるとは思わなかった」という、役者の方のコメントもあった。また、死を意識するほどまでに追い詰められたコメントも10件以上、確認されている。子どもを諦めたり、仕事を切られたり、死を考えるほど人を追い込む税制は、異常としか言いようがない。これは、尊厳の問題だと思う。
シャインマスカットを口にする48時間前。私たちは岸田文雄国会事務所に、「STOP!インボイス」を訴えた54万筆のオンライン署名を手渡していた。オンライン署名は、東京五輪開催反対や森友問題といった国家的関心事を扱ったオンライン署名数を超え、国内最多となっていた。イデオロギーも立場も超えて、私たちはつながれる。それを、皆さんが証明してくれたように思う。
制度が開始されてしまい、活動のフェーズが変わったことは確かだ。それでも、どんなに疲れても、不条理な現実に慣れたくないと思う。果物、毎日食べたい。子どもを諦めたくない。好きな仕事をずっと続けたい。この活動は、そんな一人ひとりの声で成り立つものであることに変わりはない。
同時に、子どもを生んだこと、病気になったこと、フリーランスのライターになったことに、これほど意味を感じた2年間もなかった。私が、私の武器で、社会に声を上げる。私がいる意味が、私にしかできない何かが、ここにあったんだ。政治は、言葉だから。はじめまして、政治活動。今年も、よろしくやります。
(ライター・編集者)