AI(人工知能)技術の急速な進歩を前に、「ロボットに仕事が奪われ、大量失業の時代がやってくる」「人間は労働なくしては生きて行けないから、技術革新の先には破滅が待っている」「働かなくても収入を保証するベーシックインカムのような制度が必要だ」といった論議が盛んになっている。しかし、アメリカの経済学者(経済史・社会理論)である著者は、それらは現実からかけ離れた論議だと批判する。
なによりも、労働現場はAI・ロボットの軍勢に制圧されるといった気配はない。コロナ禍においても、医療、介護、保育、教育・福祉、清掃、交通・運輸などのエッセンシャルワーカーの仕事がこの社会を支えているという、いわば当たり前のことが浮き彫りになったが、それらの現場でロボットが仕事をおこなうことはほとんどなかった。
しかも、労働者はロボットが自分たちにとって変わることを恐れてはおらず、世界中でストライキのうねりを広げている。スマホから命令を受け、アルゴリズムに束縛されるアマゾンやウーバーの労働者は「われわれはロボットではない」と、「労働の尊厳」をとり戻すたたかいを発展させている。
著者は「今日の経済的不平等や半失業の増大の責任はテクノロジーにあるのではない」と強調し、次のようにのべている。過去数十年にわたって労働需要が低下を続けてきたが、それは「技術革新の前代未聞の飛躍」によるものではなく、これまで通りの技術の変化が経済停滞が深刻化するなかで起きたものだ。「技術革新のペースは加速するどころか減速している」と。
グローバル化のもとで世界の労働者は、非正規・派遣労働など、殺人的な労働環境に追いやられてきた。そのもとで、高度経済成長期のような短期の大量失業ではなく、長期にわたる慢性的な不完全雇用(半失業状態)を強いられてきた。この事実は、経済成長の減速によって雇用の創出そのものが減り、「悪条件の雇用」から「好条件の雇用」へと移動することができなくなっていることを示している。オートメーション技術によって転職の機会が狭められてきたのではなく、生きるためには、どんな仕事でもやらなければならないように追い込まれてきたのだ。
この間、製造業からサービス産業への労働者の移動、いわゆる「脱工業化」が急速に進んだ。著者はこれもオートメーション技術による圧力ではなく、生産能力・技術力の過剰によるものであることを――今や中国がそうした状況に立ち至っていることなども交えて――「資本蓄積の一般法則」として論じている。労働者が貧困化して市場が狭まり「過剰」生産から不況に陥り、それを新しい市場を奪い合う戦争で乗り切ろうとする資本の論理が顕在化している今、押さえておくべき提起だといえる。
著者はそこから、AIなどの技術革新(イノベーション)そのものが人類の脅威だとする見方を否定する。そして、企業経営の側が労働者から効率的に支配・搾取するため、また労働者を不安定な地位にとどめるためにその技術を使う資本主義の生産システムにメスを入れている。イノベーションがウーバーを必然的に登場させたのではなく、ウーバーがこれらのテクノロジーを利用して、「不安定な立場で細切れの仕事を求める人々を食い物にしている」のだ。
大企業は多くのデジタルツールを使用し、プラットフォーム技術で労働者を雇ったり訓練したりしている。そこでは、アルゴリズムは労働者や消費者のデータを収集して監視し、他社と競争し市場を奪うための道具となっている。AI搭載の自律兵器(キラーロボット)が問題になっているが、本書からそれも含めて、人類が直面している主な障害は、本質的には技術的ではなく社会的なものであることの理解を深めることができる。
市場原理でなく人類の為に 未来の展望とは
コンピューターは、統計分析はできるが因果関係を理解することはできない。この機械をだれがどのように使うのかが決定的な問題なのだ。著者はこうした技術観に立って、新しいテクノロジーを資本からとり返し市場原理ではなく人類全体の利益のために使うことの意義、その未来の展望に多くのスペースを割いている。
それは、希少性を追求し最大限利潤を求める競争過程で労働者を苦しめ自然を破壊するのではなく、潤沢な世界で生を営むうえで必要なあらゆるものへのアクセスが万人に保証される社会、「人類の歴史上初めて多くの人々が、次の食事はどこからくるのかという恐れに束縛されることなく、自由に探求し、熟考し、創造し、学習し、教育することができる」社会である。
著者は、人類はすでにそのような社会を実現することが可能なまでに生産力を高めており、この目標に近づくために利用できるテクノロジーをかつてないほど持っていることを強調している。人々に必要な財やサービスの大部分を無償で提供すること、家事労働や私的なケア労働のように公式の経済活動とされていない無賃労働も含め、すべての労働を再分配し、労働量を減らすことができる条件は整っているという。
同時に、それは市場経済を温存したもとでの技術革新の道筋で自然にそうなることはありえないこと、いい換えれば現在の巨大な格差を生み出す資源の配分や生産システムを抜本的に再組織することによってのみ実現できることを明確にしている。株価の最大化ではなく人々の実際のニーズを満たすことを基本に、経済的な意志決定の方法を徹底的に民主化しなければならないのだ。
著者は冒頭の論議の素材となっているベーシックインカムについても、それが自動的に行政に採用されることにはならず、たたかいの途上でたとえ導入されても巨大な格差社会を支える可能性の方が高いと見ている。そのことも含めて本書は、人々がその必要と能力に応じて働き自由に活動する社会の実現は社会の基本構造を変革することを目ざす労働者・市民社会による新たな大規模な社会運動によってこそ可能であることを深く理解する一助となるだろう。
(堀之内出版発行、B6判・280ページ、2200円+税)