いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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原水禁8・6行動の教訓・展望 全広島・長崎を代表した運動に

今年の8月6日広島集会を頂点とする原水禁全国実行委員会の原水爆禁止運動は、長崎につづく広島「原爆と戦争展」、広島市内の宣伝活動、平和公園での街頭原爆展、小中高生平和の旅、広島と長崎、下関の被爆者交流会などがとりくまれ、全広島市民を代表してその声を全国、世界に発信するものとなった。本紙では、原水爆禁止全国実行委員会のメンバー、原爆展キャラバン隊のメンバー、本紙記者で座談会を開き、今年の到達と教訓、来年に向けた展望について論議した。

 海外からの訪問者も強い支持
 司会 まず取り組みの経過としてはどうだろうか。
  今年は、3月に第1回目の全国実行委員会を開いた。各地での原爆と戦争展の反響や、はぐるま座の『動けば雷電の如く』長崎公演のなかで、長崎における維新の歴史抹殺と、原爆の欺まんがつながって大衆的に覆されていき、岩国では愛宕山米軍住宅化反対の運動が急速に発展するなど全国的に政治意識が大転換していく趨勢にあることが論議された。
 また、オバマ政府が誕生して「核軍縮」を振りまいてきたが、実際には核独占を強め、日本を米軍再編の中心に置き、日本全土をアメリカ本土防衛の盾にする動きになっている。失業・首切り問題も、原爆によるアメリカの軍事支配が根源であり、原水爆禁止運動は労働運動の第1級の課題であること、目前の経済要求だけに流されるのではなく、日本の将来に関わる平和と独立を中心にすえた労働運動の重要性が語られた。
 6月に開いた全国実行委員会では、第5回目の長崎「原爆と戦争展」や各地の反響から、オバマの「核のない世界」演説を「日共」集団をはじめ、広島・長崎市長ももろ手をあげて賛美し、総ぐるみで北朝鮮攻撃を叫んで日本を核戦争の戦場にする陣形が強められていること、戦争体験者の切迫感が「いつ戦争が起きてもおかしくない」「まさかの開戦が現実的になっている」という激しいものになっており、若い世代が鋭く響いて行動をはじめている特徴を総括した。
 労働の規制緩和で意図的に労働者を食っていけないようにして若者を兵隊にする、教育でも自由・民主・人権を煽って、自分の興味関心だけで他人を攻撃する人間をつくることなど、全てが戦争準備と結びついて進んでおり、各分野で戦争を阻止する運動をどうつくるかが大きな課題とした。戦争政治とたたかう大きなところで労働者の論議を起こすことが重要だと論議され、それらの運動を8・6広島行動に結集させ、核戦争を阻止する国民的な運動を大結集することで一致した。
  原水禁実行委員会は、6月末から広島市内での宣伝行動を開始した。毎週土日の約10日間で、のべ112人のスタッフが市内に入り、「日本とアジアを核の戦場にするな」という8・6集会のビラと第8回広島「原爆と戦争展」のチラシを約2万4000セットで配布し、ポスター2000枚を掲示した。
 8月からは、「アメリカは核を持って帰れ!」と訴える宣伝カーを回しながら、広島駅、元安橋、八丁堀、新天地、横川駅、紙屋町、本通りなどで6日間の街頭宣伝をやった。宣伝カーの訴えを載せたビラも含めて1万5000セット、英文チラシも3000枚配った。宣伝カーの反応はよく、信号がかわると同時に市民がよってきて、「この通りだ。だれがアメリカを信用できるか。もっとやってくれ!」と声をかけていったり、「アメリカに原爆投下の謝罪を求める」署名に若い人たちが集団で応じていくのが特徴だった。
  はじめはオバマの「核廃絶論」をマスコミもいろんな平和団体も持ち上げ、右翼などもくるなかで緊張感をもっていたが、一皮剥いだら全く関係なかった。今年ほど「アメリカは核を持って帰れ!」のスローガンが受け入れられた年はないという実感だ。デモをやっても、沿道から拳を上げてきたり、手を振ったり、写真を撮ったり、笑顔で見ていたり、いろんな形で共感を表してきて、市民のより所になっていることを実感した。
 広島市内の宣伝行動では、デパート前で街頭宣伝をやっても、はじめは警備員がすごく警戒をしていたが、演説をはじめるとコロッと態度が変わって、ビラを一生懸命読んで、1時間半ほどやって帰るときには「もう終わりですか」「ご苦労様です」と頭を下げられた。「禁か協か」と心配していたようだが、訴える内容を聞いて心を開いていく。横川駅前でも、商店主がタバコを吸いながら演説をじっと聴いて「署名させてくれんか」と寄ってくる。市民との一体感をあちこちで感じる行動だった。

 市民との一体感深まる
  広島集会には、市内や全国から飛び入りで参加する人が目立った。広島市内の被爆2世の男性は、叔父が修道中学の建物疎開で被爆死しており、母親に代わって慰霊祭に来て集会に飛び入り参加した。「原爆を落としたアメリカが岩国でも横須賀でも、三沢でも基地を置いて、日本中をわがもの顔で使っているのが許せん。親たちの被爆体験を自分が継がないといけない」といってデモにも元気よく参加した。
 長周新聞のホームページを読んで、東広島から仕事を休んで集会にきた男性も「アメリカは謝罪もしないで、なにがオバマか。このアピールの通りだ」と集会の内容に共感していた。兵庫県とか九州などからも参加者があり、「オバマ賛美には納得できなかった。この集会に出れてよかった」と喜んでいた。
  全国キャラバン隊は、7月の毎週土日と、8月1日から6日まで毎日平和公園で「原爆と戦争展」をやった。特に外国人が多くてすごく共感していく。「無差別爆撃をしてなにが悪いか」というルメイ少将の発言や峠三吉の「なぜ原爆が投下されたか」「原爆投下は戦争終結のためには必要なかった」というトルーマンやマッカーサーのパネルの前に、何人も固まって食い入るように見ていた。
  また、若い人が多かったのも特徴だ。いままさに貧乏になって戦争になるという情勢のなかで、どのようにそれを阻止するのかというとき、あの占領軍をものともしなかった50年8・6当時のたたかいにすごく共感する。自分たちが学校やメディアで見る戦争は、なにが真実かわからないが、戦争体験者の中にこそ真実があり、戦争反対の力があるし、その願いを若い自分たちが学ばないといけないという。「自分たちのことばかり考えていてもダメだ。社会をどうするか考えないといけない」と協力を申し出る若い人や、「広島にきてなにか学んで帰ろう」と仕事を休んでくる労働者もいた。
  大阪からきた教師たちも、「パネルの表題を見るだけで第2次大戦の全体像がすごくわかるし、学生にみせたいので文化祭で展示したい」と積極的に申し出てきた。毎年やっているからリピーターも多く、市民が朝早くから来て、掃除や公園管理の人たちも旧知の仲という感じで、昼にはジュースなどを差し入れてくれたり、最後まで片づけを一緒にやってくれた。
 そこに、宣伝カーが平和公園にくると、すごい共感だった。慰霊をしに来た市民も秋葉市長やオバマに対する反発はすごく、「もっとやれ」「英語でも流せ」と断固支持する。この市民との一体感は、去年、一昨年と比べてもすごく深まっている。

 現代を重ねた大論議に
  袋町の原爆と戦争展でも、「核を持って帰れ」という縦断幕がすごく評判よく、被爆者からも「これがまさに私たちの気持ちだ」と喜ばれた。
 パーマ屋さんに紹介されてきた人が展示をみて「協力したい」といってきたり、市内の旅館やホテルから紹介されて集団でくる人、家族や友人同士で連れ立ってくる人が目立った。北海道の人が「広島にいくなら原爆展にいけといわれたからきた」とか、10年間継続していくなかで全国からみても広島のメイン行事になっている。広島市民の体験に根ざし、アメリカに媚びを売る勢力とは一線を画して、原爆投下の犯罪を正面から暴いてきたことが、ここまできて圧倒的な基盤を広げてきた。
 青年、学生に加えて、労働者の参加も目立った。原爆展の撤収を手伝ってくれた建設労働者は、「貧乏になって戦争になっていくというのが強烈だった。戦前の娘の身売りなど信じられないことを、しかも政府公認でやっていたのは許せない。戦争で320万人も殺して天皇がのうのうと生きているのはおかしい」といい「米軍基地に仕事にもいくが、米兵はヤクザよりも横柄だ。ここでは被爆者のじいちゃん、ばあちゃんが一生懸命やっているので胸が熱くなった。自分は体力はあるから力になりたい」といっていた。私心なく、大衆の要求を代表してやっていく活動の雰囲気に引きつけられるという感じだ。
  下関から参加した男性は、長崎の発展に感動していた。「たったの5年で市民の力を集めて原爆展をやり、隠されていた2万体の遺骨も明らかにして、今から会を結成してがんばっていくという迫力に感動した。これで広島と長崎と全国が力を合わせたら、日本中が変わっていくんじゃないか」といっていた。はじめて参加した派遣労働者の奥さんも、8・6集会に参加して「主人も連れて参加するべきだった」といっていた。
  長崎の被爆者の発言は、広島が原点であり、そこに学んで長崎も団結するという実感を込めた発言だった。60年も分断されてきた2つの被爆地が、原点に立って団結している。これは世界に打って出る条件ができたと感じた。
  はじめて参加した広島の女子学生も、「すごく熱意のこもった集会だった」とか、「各界各層いろんな人の意見が聞けてよかった」といっていた。ある被爆婦人は、労働者の発言を喜んでいた。「自分は元公務員で組合にも入っていたが、賃上げ斗争ばかりするので嫌気がさしてやめた。組合は権利ばかり主張して、幹部は当局と一緒になって売名行為をやっている。とくに公務員は奉仕者であるべきで、目先の経済的な要求だけではなく、国をどうするかで運動していくのが本筋じゃないか」と感想をいっていた。
  原爆によってアメリカの支配構図がつくられ、そこから日本がデタラメになったという戦後総括が深いところで進んでいる。総選挙もあり、原爆投下とアメリカの支配という問題が、「なぜこんなひどい国になったのか」という現代の関心と結びついて大論議になった。

 堂堂と市民の要求表に
 編集部 今年の原水禁8・6斗争は、相当な威力を発揮した。米軍再編だ、ミサイル配備だ、自衛隊の海外派遣だという真っ最中に「核を持って帰れ!」とやり、秋葉市長からマスコミ、原水禁、原水協までが「オバマ、オバマ」という中で「なにがオバマか!」とやった。広島のいろんな政治勢力が注目しているど真ん中でその主張を堂堂とやりまくってひっくり返してしまった。市民の要求を代弁することで、市民自身の声として表面化させていった。あれだけオバマキャンペーンを張っていた新聞も調子が狂い、「オバマ音頭」までつくられるとみんな頭に来ている。
  その足で8・9の長崎にもいって、宣伝カーを流したが拍手喝采だ。長崎では、ちょうど秋葉市長が招集した平和市長会議が開かれていたし、田上市長も秋葉市長の後をついて「オバマ歓迎」の署名活動をやるほどだが、市民のところはオバマのオの字もない。広島集会のアピールをビラにして配ったが、あっという間になくなった。
 編集部 長崎の被爆者の代表が、直接に広島に来て結びつくことと、広島と長崎が原爆展や宣伝活動を通じて大衆的な基盤が一体になって進みはじめた。これはあなどれない強力な力だ。広島と長崎が原爆についてものをいいはじめたらだれも横ヤリはいれられない。これが全国に広がるのは当然のことだ。
  広島で8月6日に商業マスコミが、平和宣言を英文の号外にして「歴史的なことだ」と撒いていた。ところが、NHKのゴールデンタイムの特集番組では、いつもの平和式典ではなく、灯籠流しの光景を出していた。それまでアメリカ向けの宣伝をあれだけ騒ぎまくった割には、派手なことはできなかった。広島、長崎市民の力がやらさなかったし、その市民の力をこちらの8・6行動が激励した。
  原水禁、原水協の影が薄いのも特徴だった。秋葉市長は、オバマTシャツまで売り出したが、ハチマキやゼッケンをしたり、旗を立ててくる集団はあまり見あたらなかった。広島の町中を禁・協の格好をして歩き回るのが気が引けるような感じになっている。平和公園にもまるでいなかった。
  市民の中を回っても原爆展や集会の成功を喜ぶ一方で、オバマキャンペーンとか、「イエス、ウィ、キャン」という平和宣言について訊ねると「史上最低の平和宣言だったですよね…」と口にするのもイヤという感じだ。広島の世論はまったく別のところにあるしそのより所として8・6集会、原爆と戦争展に期待が強いということを実感した。
 編集部 広島、長崎では原爆展も含めて市民の恒例行事になったし、主体的に参加してきている。自分たちの運動だし、自分たちを代表するのは、秋葉市長でも、資料館でも、禁・協でもなく、これだとなっている。峠三吉の原爆展をはじめて10年でそれだけの存在になっている。

 長崎でも段階画す 歴史的な口封じを突き破る・全市民を代表
  今年は、長崎も段階を画して強力になってきた。原爆と戦争展の受付はすべて地元の被爆者たちがやった。取り組みの過程では、2万体の被爆遺骨の存在を明らかにし、その場所に26聖人の碑をつくっていたとか、「大きな政治が知らない間に動いて原爆をかき消していた」というさめざめとした怒りになっている。
  それを号外として配布し、パネルにして展示したらすごい論議になった。維新にしても原爆でも、歴史的に長崎の口封じをやってきたということへの怒りが全市的な世論になって広がった。長崎の会も会則を定めて本格始動だが、新しい被爆者や自治会を代表して運動に参加してくるなど全市を代表した存在になっている。そういう高揚感をもって広島集会に参加し、「長崎も黙ってはおられん。広島の様子を伝えて一新させないといけない」とますます行動的になっている。
  8月9日には、全国から長崎に集まった学生100人に長崎の会の被爆者5人が話をした。はじめて話す人がほとんどだが、「加害者論」とか「祈りの長崎」「オバマに期待するか」など聞かれても躊躇なく、「口先に騙されてはいけない」「長崎は祈りではなく、怒りですよ!」とはっきりいう。「親も兄弟も殺されて、戦争が終わって平和だ、民主主義だのと思ったことはない。いままた北朝鮮騒ぎや自衛隊の海賊退治などといって戦争になろうとしている。戦後、苦労して築いてきたものは一瞬にして崩される。平和、平和といって、若い者が浮かれていてはいけない」と、60年間黙ってきた本音が新鮮な怒りとなって表面化している。
  「アジアの人に対してどう思われますか」と学生が聞いても、「一緒に働いていた朝鮮の人たちも原爆で全部殺されたんだ。アメリカはすごいことをやった」という。「日本にも加害責任があったのではないですか」という質問にも、「日本人は反省するという資質をもっているが、アメリカにはそれがない。ずっと戦争じゃないか」と、すごい迫力だ。理屈をこねても動じるものではない。

 若い世代が大転換 原爆展主催に加わる学生も・外国人も共鳴
 編集部 また、若い現役世代の世論がガラッと転換している。原爆投下によるアメリカの侵略支配が60年続いて、このような日本にしてしまっている。そういう実感が基本のところにみんな流れている。
  広島の閉幕式で、被爆者たちが「今年は若い人が多く、真剣だった」と手応えを感じていた。広島の学生たちも原爆展の主催者になれたことを喜んでいるし、それが1つの集団になっている。関東などから来る若い人や労働者、学生、教師なども敏感だった。まさに就職もなく食べていけない現実と幸福実現党とか田母神みたいなのが出てきて戦争景気を煽っているが、「本当にまた戦争をする気ではないか」と肌で感じている。
  静岡から来た高校教師は、生徒のなかで「勉強をしてもどうせ仕事がないんじゃないか」「戦争をしたら儲かるではないか」といい出していることに、「もう1回戦争をするのか、まったく新しい価値観で新しい社会をつくるのかという分岐点にきていると思う」といっていた。20代の労働者も「東京でまったく仕事がなくて、ハローワークに行ってもバイトくらいしかない。戦争が近いといわれる意味がわかる。なにかできないか」という。「被爆体験をどうやって継承するか」を卒論のテーマにしている東京の学生もいた。
  平和公園の原爆展で通訳を手伝った学生は、外国人アンケートがすごいものだから、それを訳しながら「すごい経験だ」と衝撃を受けていた。アンケートの文面も長くて枚数も膨大なので、1日で訳せなかったら宿題で家に持って帰り、次の日持って来るなどすごく意欲的だ。外国人でもアメリカ人が1番多く学生や教師、空軍兵士なども「広島の人たちの苦しみを知らなかった」「米国政府の原爆投下に怒りを感じる」「自国の政府が恥ずかしい」「この運動を全面的に支持する」という感想だ。
  その女学生は、アメリカでのホームステイ経験があるので、はじめは「アメリカ人はアメリカの教育を受けて、原爆投下は正当だと思っているからわかってもらえない」という認識だったが実際には全然違う。彼女のなかで大転換だった。アンケートが載った長周新聞に感動してお母さんに見せると、母親も「これはすごいことだ」と感動している。原爆展に参加している学生が友だちを誘い、その子がまた友だちを誘って、主催者の一員に加わっていった。
  外国人のアンケートにもオバマ期待の内容が出てくるかと思ったが全然出てこなかった。「表の歴史は勝者のプロパガンダだ」「核に守られる平和はもうたくさんだ」とか「こういう運動が朝鮮戦争やベトナム戦争で核を使わせなかったのはすごい」と感動していく。オバマに媚びる「日共」集団や秋葉市長がどれだけ卑屈かということだ。
 編集部 アメリカのなかでも支配の権威が崩壊していることがよくわかる。アメリカの犯罪だというのを暴露したら世界中が団結できる。国際連帯の可能性、発展性も証明している。だから世界から報道陣もたくさん来ているが、こっちがやることにはグーの音も出ない。原爆に関して世界一堂堂とした勢力だ。

 全人民に奉仕する 運動発展の教訓・自己充足と分岐
 司会 運動を発展させていくうえで、活動する側の路線的な教訓はどうだろうか。
  人民に奉仕すると口先でいうが、勤労人民が主人公の社会をつくるために私心なく奉仕するのか、自分らが主人公で大衆を利用するのかというのは根本的に違うとあらためて感じた。労働運動が崩れていったのも、全人民の利益のためにどうするかというのが消えて、自分たちのことしか考えなくなったからだ。
 長崎ではっきりしたのは、昭和37年に維新で貢献した振遠隊の招魂社が潰されて、2万体の被爆遺骨を納めている寺をどけて、26聖人の殉教碑がつくられる。被爆遺構もこのころから徹底的に壊されていく。これは原水禁運動が分裂する年と重なっている。全部つながって意図的にやられている。まず原水禁運動を崩し、労働運動を崩し、それが各戦線へ雪崩現象を起こしていった。それ以降の原水禁運動は「杉並の主婦の運動から始まった」という敵なしの路線であり、労働運動も「平和と民族の独立の問題を中心に置く」というのを投げ捨てて目前の経済要求だけになっていく。
 50年代の山口県の教育運動も、岩国などで米軍による民族的な辱めが横行するなかで、教師と父母が結びついて、「民族の子としてどう子どもを育てるか」とやっているし、地域とともにたたかっているから強い。今のように目前の問題だけ見て右往左往しているのとは違う。
 編集部 50年8・6斗争の時期は、革新陣営は「米英仏は、反ファシズム統一戦線の友だ」となっている。日本共産党中枢も「アメリカは解放軍」だ。頭の中だけではそうなっていく。しかし、そのとき広島の市内ではどうか。風呂屋に行けば、みながケロイドを見せ合いながら原爆の話を時間を忘れてしているが、一歩外に出れば貝のようになにもいわない。大衆のなかには、怒りがあるということだ。全国を見ても、農民の強制供出にも米軍がジープで弾圧に来る。労働者がストライキでもすれば進駐軍が装甲車から戦車まで持って来る。大衆の側から出発して、アメリカが日本を単独占領し侵略支配している。そのための原爆投下だと断固明らかにした。したがって原爆を断固糾弾しないでどうするのかとやっていった。
  もう1つは、すでにある運動の上に乗っかって利用するというものではない。「日共」修正主義集団や社民勢力は、みんなできあいの運動に乗っかって利用するだけだ。組合があるから幹部になって出世してやろうとする。広島に行って原爆に関してなにがしかいえば「いいことがあるだろう」といった調子だ。そうではなく、なにもないところから大衆に依拠して自分たちの奮斗によってつくるという路線だ。
 今年の人民教育集会も、教育に関心を持っている多くの人人の要求や関心に応えるというところで歓迎された。「実は学校はこうなっているんだ」というとみんな驚いて、「みんなの運動として勤労人民と団結して教育を立て直さないといけない」となる。自慢話のような自分たち中心の運動ではないということだ。
  はぐるま座も長年来、原爆劇『夏の約束』を広島でやりまくって忌み嫌われていたがまさに広島で原爆を利用してきたのだ。それを改めることを大衆に明らかにして『雷電』を持って行ったら、今度は「これならいい」と支持されている。

 大衆が主人公の観点で
 編集部 50年8・6斗争でも「非合法でやったんだ」と武勇伝みたいに語る流れがあった。そんなものではない。広島では大宣伝をしている。原爆の惨状をはじめて発表した「平和戦線」も大判の特別仕立て数万枚を中国地方全域にまいている。相当の宣伝活動、街頭原爆展などをして集会だ。大衆が主人公の観点で行動している。
  今年は、平和公園の脇でワーワーと叫ぶ異質な集団が嫌悪されていた。8時15分に市民が黙祷しているときに、わざと大声で「麻生は帰れ!」「田母神は来るな!」とか「慰霊祭粉砕!」と怒号を張り上げる。これには被爆者は激怒していた。
  デモも、太鼓をたたいて、踊りながら練り歩く。雰囲気からして本当にお祭り騒ぎだ。日常的に市民から学ぶことは一切せず、「8・6広島大行動」と大仰にやって来て説教をし自己充足して帰る。こういう自己主張型は、嫌われるばかりになっている。こちらの活動形態は、広島、長崎で市民を1軒1軒回って意見を集中していく、大衆のなかから大衆のなかへが原則だ。その基礎のうえでの宣伝だから、市民は支持するし、敵も手出しはできない。
  下関の婦人の被爆者は、「これまで日本が独立したとか、原爆についても騙されてばかりだった。一人一人の生活のなかでは、日本が属国になっているというのも部分だけでは感じるが、全体がどうなっているのは見えなかった。それを長周など大きい声でいってくれるから、全体が見えるようになった」といわれていた。オバマ発言などにすごく疑問を持っていたが、8・6集会まできてすっきりしている。
 編集部 大衆のなかから出発するというのと、みんなの意見を集中して、敵はだれか友はだれかの大きな戦略関係を具体的な問題で解明したら目が開けていく。全国各地いろんなところでいろんな活動をしながら、8・6に集まって全体像を描いたら認識が飛躍する。
 教育集会でも、子どもが動物化しているという現実から20年を総括してなぜこんなことになったのかを論議し、生活科の導入から始まる現場の混乱や、社会全体の構造改革による一環としての教育破壊というふうに概括していくと、興味と関心の教育というのは人殺しづくりの教育であり、ニタニタ笑いながら機銃掃射をあびせたグラマンの米兵と一緒じゃないか、とパッと目が開けていく。

 労働運動を中心に 来年への課題・全国的統一戦線を
 編集部 被爆者、戦争体験者のところが勢いよく運動になっている。さらに、労働、教育、文化、青年学生など各戦線の運動を発展させることが来年に向けた大きな課題だ。その芽はかなり出てきている。
  労働運動では、戦争体験者たちの労働運動についての思いなど、生死をくぐった人たちの真実の声で、今どうなっているかという大局的なところを学ぶことはものすごく大事だと思う。労働運動に対するとらえ方がまるで違う。
 編集部 労働者がこの社会で最大の政治的力量を持っている。労働者がいるから資本主義社会が成り立っている。この社会の主人公であるし、未来を代表する階級だ。その労働者の社会をつくるんだという、ここが崩されてきた。50年斗争では、反帝反戦斗争を第一義として、階級宣伝と国際連帯、日常斗争・経済斗争はそれに従属するという大論議をしている。「日本を変えるぞ」ということだ。それを安保斗争以後、破壊していった。昭和37年、長崎での原爆抹殺もあるが、原水禁・協の分裂を目玉にして労働組合の分裂がガンガンやられた。攻撃は「政治斗争をするな、経済要求にとどめろ」ということだ。
  アメリカの指図で政府に規制緩和をやらせ、すべて一元的にやってきている。「片隅でものもらいして生きていこう」というような奴隷主義イデオロギーを粉砕して、全国的な団結でこれをやっつけるというものでなければ展望はない。賃上げなどの経済要求は、とってもすぐにとり返されるが、それを通じた団結の広がり、政治的な自覚を高めるのが眼目だ。貧乏も失業も戦争もない社会をつくろうというのが労働運動だ。現実に存在している労働者が、その力を持っている。それを自覚し、バラバラの状態を団結した状態に持っていけば日本は動く。各戦線の統一戦線を、労働運動を中心に来年に向けてつくっていかないといけない。
  はぐるま座は『動けば雷電の如く』の公演をやりつつ、峠三吉の原爆展運動10年を概括した『原爆展物語』をつくっている。現在、台本が基本的にできて、来年の公演に向けての舞台づくりに入っていくところだ。
 戦争のない社会を目指す全国的な統一戦線をつくっていくための新しい芝居だ。街頭原爆展をして、実行委員会をつくって芝居をしたら、その実行委員会が原爆展を成功させる会になって原爆展運動を日本中に広げていく、という展望に結びついていくと思う。それで日本社会の様相を一変させる。これが全国に浸透したらすごいことになる。
 編集部 今度の総選挙も様相が違う。民主党はどうでもいい、自民党をやっつけないといけないという大衆の世論だ。郵政選挙から4年経って、「改革の実績」を自慢して回る候補者の顔つきを見ているだけで「まるで感覚の違う異次元の世界の人間だ」という実感を深めている。リーマンショックまできて大衆世論は、大激変している。それに照応した運動をやらないといけない。戦争体験者は、歴史的にものを見て大きな社会の変革を願っている。来年に向けて、労働者を中心とした原水爆禁止運動をどう建設するかが最大課題だ。
 司会 それでは今日はこのへんで。

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