沖縄県那覇市の琉球新報ホールで6月24日、「沖縄を平和のハブとする東アジア対話交流」シンポジウムが開催された【前号既報】。トークセッションの第2部では「経済トーク」、第3部では「次世代トーク」がおこなわれ、中国、台湾、沖縄の経営者や、高校生、若い世代の視点から見た沖縄の現状や課題、それぞれのとりくみ、そして沖縄を平和交流の拠点とするための今後の展望について自由な論議がくり広げられた。以下、討論の内容を紹介する。
第2部 福建・台湾・沖縄を結ぶ経済
第2部では、沖縄の、さらには沖縄にかかわる近隣国から見た「経済」問題をテーマに議論した。沖縄は、古くから東アジアの中心に位置する地理的優位性を生かし、周辺国との貿易拠点として栄え、人材交流をおこなってきた。沖縄が東アジアの「平和」を導くうえで、経済的な成長・発展も重要なテーマとなっている。討論では、中国福建省から陳海騰氏、台湾から周鵬邦氏、沖縄から比嘉盛太氏が登壇し、それぞれの視点から意見をのべた。以下、3氏の発言要旨を紹介する。
■観光産業に続く新たな産業の開拓を
中国福建省・東和株式会社代表取締役 陳 海 騰
私は中国福建省出身で、中国国際旅行社で日本部の部長を務めていた。その後沖縄国際大学への留学を経て神戸大学経済学部を修士で卒業した後、NTT西日本に入社した。その後インデックスの中国社長をし、博報堂子会社の中国の社長や、仮想通貨を扱うHuobi(フォビ)の日本社長を務めた後、現在の会社で「Web3・0(ウェブスリー)」の事業を全面的に担当している。
沖縄は私にとって第二の故郷だ。沖縄に留学していた時期もあり、沖縄の人々は琉球王朝と中国の関係もあったため福建省の人に対してとても親切だったことが印象に残っている。私にとって沖縄は日本での生活の原点であり、お世話になった大学の先生をはじめ恩人たちに出会わなければ今の私はいない。心から感謝している。
沖縄のために恩返しできることはないかと考えてきた。中国で仕事をしていた頃は、観光で沖縄の事業をサポートしてきた。中国の観光客を沖縄に連れてくるために広告を出して宣伝に力を入れた。また、つい最近のことでいえば沖縄首里城が火災で燃えたため、私は世界で初めて仮想通貨による寄付をおこなった。
当時沖縄県の副知事をしていた富川盛武氏とも連携しながら事業を進めた。仮想通貨なら沖縄が好きな世界中の人々が簡単に寄付できる。仮想通貨に悪いイメージがあるかもしれないが、悪いのは悪用する人だ。
私からの提案として、沖縄でWeb3・0の特区や企業誘致に力を入れてほしい。Web3・0はブロックチェーンを生かした分散型(のウェブ)、つまり地域に関係なく東京にいても沖縄にいても同じ仕事ができる。沖縄における観光産業に続く新たな産業としてWeb3・0に力を入れ、企業誘致などにも貢献していければと思う。
■香港やシンガポールに並ぶ国際貿易の場に
台湾・上海庄周企業管理顧問、有限公司総経理 周 鵬 邦
私は台湾で生まれ、中国大陸で20年以上仕事をしている。主要な事業は食品の生産や小売り業のコンサルティングだ。1986年から縁あって海外との事業も手がけており、アジアはもとより欧米ともビジネスをしている。今日は、台湾あるいは海外でビジネスをしている視点からみなさんと交流したい。
台湾の人々にとって沖縄は、もっとも近く、もっとも好む観光地の一つだ。私も沖縄に友人が10人以上いる。また、仕事でも中国でおこなわれる展示会や、東京で食品の輸出に関する展覧会で沖縄の食品を見る機会があった。数日前、冷凍食品の生産をしている日本企業と、加工設備を生産している日本企業を訪問したさいには、どちらの企業も沖縄に拠点があり工場を持っているといっていた。
そうはいっても、コロナが3年続きこれまでとは大きく状況が変わっている。これまで通りの発展の方法を続けて良いのかについて、各国で模索が始まっている。いかにして新しいものを作り上げていくかという課題があり、そのなかに沖縄も視野に入っている。沖縄はアジア太平洋地域において非常に重要な場所に位置している。
香港、シンガポール、台湾では、国際的な人材を惹きつけるための独自の政策を持っている。シンガポールや香港では国際貿易を盛んにするために税制面での優遇政策を持っている。また、物流面やサプライチェーンにおいても独自の政策の下で資源配分をおこなっている。
国や地域同士の熾烈な競争のなかでどうやって発展するかを考えたときに、沖縄にしかない魅力や差別化されたものを持つことが重要だ。そのためには、具体的な政策によって誘導しなければならない。そしてもう一つは、現地の法人や企業経営者、学者、専門家などが集まる場を創ることも大切だ。
しかし、それよりも重要なのは、こうしたとりくみを通じて地域間の交流を促進する組織や仕組みを創ることだ。自分たちには何が有利で何が不足しているのかを見極める必要がある。それらをはっきりさせたうえで、不足部分を対話や交流によって補い合うことが重要だ。
例えば、日本には100年をこえる冷凍食品の歴史がある。技術、設備、人材ともに揃っている。一方で、現在台湾や中国大陸でも冷凍食品の分野を発展させたいのだが、設備や技術、人材のいずれも不足している。おいしい物を食べるということに関しては、どこの国でも大きな需要が見込まれる。二つ目は、物流の拠点になるということだ。ただし、それは他の地域と差別化されたものでなければならない。
最後に、フィリピンの有名な観光地セブ島には、英語を学べる学校が多くある。そこは、英語圏に行って勉強したいが経済的に難しいという人たちでも英語を学ぶことができる。今、ポストコロナで日本語を理解する外国人の人材が不足している。こうした人材は現状東京に行って日本語を勉強しているが、沖縄でもセブ島のような語学を学べる環境を導入できないだろうかと考えている。
「台湾有事」は一日や二日で解決できる問題ではない。しかし、経済活動は日々続く投資や経営の連続だ。そして、このような経営の成果によって得られる製品やサービスを消費することによってさらに経済が発展していく。中国大陸や台湾、日本が協力を深めることによって新たな発展の可能性を探ることができるのではないか。こうした活動を通して、政治的なリスクも軽減することができると思う。
■経済交流と対話で東アジアの平和に貢献する
沖縄・株式会社フューチャーネオ代表取締役 比嘉盛太
私は沖縄で生まれ、高校卒業まで沖縄で育った。大学、大学院を経て楽天株式会社に就職し、その後今の会社の親会社にあたるフューチャー社で事業投資などをインドネシアやマレーシアに常駐しておこなった。2年前に沖縄へ戻ってきて今の会社の代表取締役をやっており、尿素水(アドブルー)の製造・販売事業をしている。尿素水とは、沖縄のインフラを支えるバスやトラック、重機、農業トラクターなど「ディーゼル車両」に必要な次世代型のエネルギーだ。これを本土から高い輸送費を払って持ってくるのではなく、沖縄県民の手で作って、適正な価格で提供する地産地消のビジネスをおこなっている。東アジア経済において、沖縄がどのような立ち位置で貢献できるかということにおもしろみを感じている。
沖縄について、32歳という若さではあるが、いろいろと考えていることを話したい。私自身は沖縄に非常に可能性を感じている。少子高齢化といわれているなかでも人口が増え続けており、2050年ごろには160万人を突破するとみられている【図】。観光地としても2017年には年間観光客がハワイを抜いて1000万人に到達した。また、ANAハブによって那覇空港の活性化が進み、物流量は180倍に増えている。そして台湾や中国、東南アジアとも近い。
ただ、沖縄の世界的な認知度は高くない。留学先のイギリスで聞いてみても8~9割の人が沖縄を知らず、東南アジアの知り合いもほとんどの人が知らない。ただ、同じ経済圏の香港やシンガポールは世界中どこでも知られた地域だ。とくにシンガポールに関しては税制において優遇措置があったり、企業誘致に力を入れるなど、金融や物流において成功している。香港も似たような形で成功している。
なぜ、沖縄がまだそこまで認知されていないのかについて、また今後の東アジアのめまぐるしい成長のなかで、沖縄には何ができるのかをウチナンチュみんなで考えていけたらと思う。
「対話交流」というが、何かをやったうえでの対話が重要だと思う。台湾有事などの問題もあるが、沖縄が平和のハブとして東アジアの平和に貢献できるように、私も一経営者として政治や外交、ビジネスはもちろんのこと、諸外国との人材交流など、対話を通して貢献していきたい。
第3部 次世代が考える沖縄の未来
次に、第3部のトークに移った。「次世代トーク」をテーマに、15歳の上原美春氏をはじめ、金城龍太郎氏、神谷美由希氏と若い世代が登壇し、それぞれが現在おこなっている平和へのとりくみや、今後の課題や展望について意見をのべた。
宮古島の高校生・上原美春氏は、2021年6月の沖縄戦没者追悼式で「みるく世(ゆ)の謳(うた)」を朗読した。姪っ子の誕生に抱いた喜びと、戦争を生き抜いた先人たちへの思いを詩に込めた。昨年8月には、第1回ひろしま国際平和文化祭で、音楽部門国内の部「初代広島アワード」を受賞。現在もアートや詩を制作するなど精力的に活動している。
昨年には「Unarmed(非武装)」そして今年は「うむい」という詩を発表。平和の詩を書こうと思ったきっかけについて上原氏は「2017年の沖縄県戦没者追悼式で姉が平和の詩を朗読し、その練習のときからそばで見守ってきて強い憧れを感じ、自分も発表したい」と思ったという。昨年発表した詩「Unarmed」には反戦の思いも込めた。
そして1994年に起きた「ルワンダ虐殺」に触れ、「一つの国の二つの民族間の争いによって100日間で80万人の死者を出し、争いは終結した。ルワンダの人は口を揃えて“憎しみからは何も生まれない”という」「ルワンダは“アフリカの奇跡”といわれるほど発展を遂げていて、女性の社会進出や国会議員の7割が女性だ。ルワンダは、Unarmedで私が訴えた“非武装”は夢物語ではないんだという根拠を与えてくれた出来事だ」と話した。
続いて発言した金城龍太郎氏は、現在石垣島で両親とともにマンゴー農家を営む。また、2018年11月から陸上自衛隊配備計画の賛否を問う「石垣住民投票を求める会」の代表として活動している。
金城氏は「農園の近くに陸上自衛隊の駐屯地が開設され、この駐屯地の配備場所をめぐる住民投票を2018年に請求したが、実現しないまま計画が進められている」と訴えた。そして同シンポジウムの内容について「今日の話のなかで、沖縄をとり巻く平和や経済の問題を聞いていると、沖縄にものすごい可能性を感じてワクワクしている」と話した。
また、「両親が与那国出身で、昔は台湾との密貿易で栄えたという話を聞いてきた。ひいオジーやオバーたちは、札束を枕にして寝ていたということも聞いたことがあるが、古くからの台湾との関係を聞いて育ってきた。そして実は今私が育てているマンゴーも、台湾の人が石垣へ持ってきたもので、今ある産業に台湾の影響がとても大きいと感じる」と話した。
そして沖縄の将来について「沖縄に選択権・主導権がないために、経済的にも平和外交的にもなかなか進展がないのかと思った。そのような仕組みができてしまっているのではないか。“政治的無人島”といわれるように、声が届きにくい。だが、経済発展や文化の発信などをどんどん外に向けていくことで、政治的にも影響を与えられるのではないか」と語った。
次に発言した神谷美由希氏(ゼロエミッションラボ代表)は「昨年から台湾有事の問題が沖縄で話題になってきたなかで、韓国の大学院へ行こうと思っていたが、今沖縄にいてこの問題に立ち向かい、沖縄を守らないといけないと思い、昨年から平和外交の活動に力を入れている」「私の平和外交の活動のなかの一つに“台湾有事を起こさせない対話プロジェクト”がある。台湾の専門家を沖縄に呼んでシンポジウムを何度かおこなっている。沖縄を訪れた台湾の大学教授などを、辺野古基地やPFOS被害の現場、嘉数高台などに案内した。その人たちが台湾に帰った後、シンポジウムや県内各地を訪れて聞いた話などが台湾の大手新聞に掲載されるなど、広がりを感じている」と話した。
神谷氏は現在、県民の平和集会の実行委員も担っており、2月に1600人、5月には2100人が集まるなど、とりくみが広がりを見せている。「20代の仲間も増えており、その大学生が大学のなかで話を伝え、そこからまた大学生が興味を持ってくれており、希望が持てると思う」と今後に向けた展望を語った。
3月には韓国も訪れたといい「現地の活動家の人たちに沖縄の話をしたらとても興味を持ってくれて、“これから一緒に連帯していこう”という話になった。韓国と沖縄は、歴史的に植民地として、またアメリカの基地問題で悩まされている所など、共通する部分も多い。韓国の人たちの沖縄に対する親近感を感じた。来月には中国にも行く予定で、8月には羽場久美子先生(青山学院大学名誉教授)の紹介で国際フォーラムにも参加する予定だ。同世代でお互いに社会問題などを共有して連帯し合い、それを沖縄を中心にやっていきたい」と意気込みを述べた。
最後に神谷氏は、この日の討論のなかでも出されたCSCE(全欧安全保障協力会議)のとりくみについて「若者や市民が企画し、欧州の平和構築の基礎を創っていったそうだが、最終的に国と国が手を繋ぐまでに、市民がどのように動いていったのかについて詳しく聞きたい」と質問した。
質問を受けた羽場久美子氏は「CSCEは、ヘルシンキから始まった。若者たちが今の環境はこれでいいのか、冷戦のなかで互いに武器をとって緊張を高めるのではなく、東と西が顔をつきあわせて問題を解決していこうというとりくみが中立国で始まった。それが15年後には冷戦を終結させるほどの力になった。NGOの力や、沖縄のような若者たちの交流と活動の力は本当に優れたものだ。沖縄から発信していくことが今日からのテーマであり、来年に向けて若者が未来・平和を創っていってほしい」と訴えた。
また、「沖縄は若者がすごい。若い議員が男性も女性も多く活躍していると思っていたが、今日も若い人たちが平和を考え、絵や詩で発信したり、住民投票の活動をしたり、こんなに若い人が自分の地域で起きている問題をどのようにかかわっていくか考え活動している」「沖縄は“政治的無人島”だという話があったが、私は本土から沖縄に来てみて、沖縄の若者たちが政治に関心を持ち、文化や経済の分野で発信していることはすばらしいことだと感じた。東京でも高年齢化は否めない。沖縄は若者が元気で非常にいろいろな問題を考えている。日本や韓国、中国の若者を鼓舞する力を持っていると思う。今日のシンポジウムをバネにして、ぜひ沖縄からの発信をみんなで考えてほしい」と期待を込めてのべた。
食や文化芸能の交流も
今回のシンポジウムでは、政党や世代、国境をこえたさまざまなパネリストによる発言だけでなく、東アジアの食や文化を通じた交流もおこなわれた。会場の外では、「アジア美味いもの大交流祭」として、沖縄料理をはじめ、韓国、中国、ベトナムなどバラエティに富んだ出店もあった。シンポジウムの参加者だけでなく、通行人や海外からの観光客なども足を止め買い求めるなど賑わいを見せた。また、舞踊集団「NEO Ryukyu」が創作エイサーを披露し、音楽ライブも織り交ぜられた。そして最後には来場者全員でカチャーシーを踊った。
閉会の挨拶に立った羽場久美子氏は「エイサーから始まり、歌や踊り、政治、外交、経済、若者たちの交流、そして最後にみんなで一体となって踊りすばらしい会になった。ぜひまた来年、23日の慰霊の日、24日の“沖縄を平和のハブに”で集まりましょう」とのべ、閉会した。