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“停戦の問題は沖縄にとっても喫緊の課題” 参議院議員・高良鉄美 「今こそ停戦を」シンポジウムでの発言より

高良鉄美氏

 私は4年前まで琉球大学の法科大学院で憲法学を教えてきたが、沖縄県憲法普及協議会の会長もやっている。憲法普及協議会とは、沖縄の日本復帰前にできたものだが、当時すでに憲法が日本本土では形骸化しているのではないかという世論のなかで、1972年に日本復帰するにあたり、憲法を沖縄にではなく、本土に普及させるということも考えて「憲法手帳」をつくっている。そこには憲法全文だけでなく、沖縄が憲法から分離された1952年4月28日発効の対日講和条約、日米安保条約、児童憲章、世界人権宣言も入れられた。日本国憲法をめぐる世界の人権問題にかかわる条文も含めて憲法手帳に盛りこんでいる。

 

 沖縄では、6月23日に78年目の「慰霊の日」を迎える。これは沖縄戦が終わった日ではなく、第32軍・牛島司令官の自決により日本軍の組織的戦闘が終わった日とされている。しかし、その後も多くの人が亡くなっている。その末期、米兵は摩文仁の崖から日本の敗残兵を撃つというゲームのようなこともやっている。ひめゆり学徒の少女たちも解散命令によって戦場に放置され、いつ亡くなったのかについては明確にはわかっていない。そのように沖縄戦は、国策によるものでありながらまともな戦略もなく、行き当たりばったりで子どもたちまで戦場に動員された。根拠法などまったくない。沖縄の場合は徴兵令すらなかったのに、戦場になったことで問答無用で戦争に動員された。

 

 昨年3月2日、「ロシアによるウクライナ侵略に抗議する決議」が参議院でおこなわれた。日本はウクライナ・NATOとともにあり、ロシアをもっとも強い言葉で非難するという内容であったが、そこでは南西諸島にも脅威が迫っているかのような文脈になっていた。私は、この決議は、沖縄の軍事強化に必ず利用されると直感し、反対しなければならないと思った。そのため決議採択では棄権を選び、議場から退場したが、そのとき周囲からは「沖縄の恥」というような非難の声まで聞こえてきた。

 

 この時点ではウクライナ問題についての何の情報もない。だが、それは明らかに沖縄へシフトしていくものであった。憲法9条の立場に立つ以上、日本がやるべきことは、どちらか一方の味方をすることではなく、停戦や和解に向けて徹底的に働きかけることではないか。なぜそのような発想がなかったのか。その点からみても棄権は正しかったと思っている。当時、私の退場が新聞にも大きく報じられ、「なぜ賛成しないのか!」という抗議の声も届いた。

 

 憲法裁判である砂川事件(在日米軍立川飛行場の拡張問題を巡る訴訟)でも、第一審判決は、日本がアメリカの戦争に巻きこまれることを指摘し、安保条約や米駐留軍を違憲であると断じた。沖縄では現在、基地がなかった先島にまでミサイルが配備され、米中紛争に巻きこまれるという心配がものすごくある。

 

 日本は「安心供与」で専守防衛に徹するといっているが、アメリカが何かことを起こせば、そのまま無条件に戦争に巻きこまれていくことは明らかであり、沖縄では現在沖縄を戦場にさせないための「ノーモア沖縄戦」や「沖縄対話プロジェクト」「沖縄を平和のハブに」の運動が非常に強まっている。

 

 沖縄は日本復帰50年だが、それ以前から中国との歴史的関係は非常に長く、中国に祖先を持つ方も多い。一方、アメリカとのあいだで育った子どもたちもたくさんいる。

 

 沖縄県民には、米軍統治時代のアメリカと琉球政府・県民とのやりあいと比べても、なぜ日本政府はアメリカに対してこれほど弱腰なのかという思いが強くある。あまりにも弱すぎる。復帰前、沖縄は100万県民でアメリカと対立しながら交渉し、座りこみをやって米軍と衝突しながら譲歩を勝ちとってきた歴史がある。そして日本復帰した暁には、憲法下に入り、日本がより強力な力でアメリカと交渉してくれるだろうと思っていた。沖縄の復帰にあたり、1971年11月の衆議院決議では「すみやかな米軍基地の整理縮小」「核兵器がないことを確認する」の二つが明記されたが、それから50年たった現在、むしろ基地面積は自衛隊基地(先島にはこれまで存在しなかった)も含めて増えているのが実態だ。

 

 停戦の問題は、沖縄にとっても喫緊の課題である。

 

(琉球大学名誉教授)

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