劇団はぐるま座『峠三吉・原爆展物語』全国初演・長周新聞創刊五五周年記念としてとりくまれた下関公演は、1200人の参観者を集め深い感動を呼ぶものとなった。下関公演実行委員会は4日、第4回実行委員会を開き、成果を確認しあった。「この劇を全国でやれば戦争を阻止する力を結集し、日本が変わる」との確信が語られ、全国公演への期待とともに、下関でも被爆と戦争の真実を語り継ぐ運動を発展させる意欲が語りあわれた。
伊東秀夫実行委員長(下関原爆被害者の会会長)は、下関公演の成功が全国に大きな励ましを与えるとの確信をのべた。「公開稽古のときより内容・演技ともすばらしく充実していて、平和ぼけしていた自分の立場を問いただされた」と語り、「原水爆戦争に反対し、米軍基地撤去のたたかいはアメリカへの従属の鎖を断ち切り、平和と独立を勝ち取るたたかいであり、それは荒廃した日本社会を変革する、日本人民の命運をかけたたたかいだ。60年安保斗争のようなたたかいが求められている。“真実を伝えていけば人の心を動かし、国を動かすこともできる気がした”という意見にまったく同感だ」とのべた。また「長周新聞の記事で、福田さんが“新しい時代の到来はつねに革命的な文学・芸術の先行をともなっている”といわれていたと書かれていたが、この劇こそ現在もっとも求められている。全国公演は平和運動の発展に大きく貢献すると確信した」と語り、下関でも今まで以上に原爆展運動を強める決意を語った。
事務局がとりくみの経過と概況を報告。1200人が観劇し、広島・長崎はもとより遠くは富山、栃木、群馬、神奈川、関西、九州各県からも訪れたとのべた。
被爆者や戦争体験世代からは体験と重ねた深い感動が寄せられ、現役世代からは「労働運動の衰退を嘆いていたが、甘えだった。“戦争は今から始めますよ、といって始まるものではない”という言葉に自分も衝撃を受けた。この劇が平和運動の原点になると感じた」など、語られた反響を紹介。実行委員会発足から約2カ月間でポスター2300枚、チラシ6万2000枚が全市に配布され、台本が普及された。作品が改訂されテーマが鮮明になるなかで、第二次大戦の真実を知り、デタラメになった現在の日本をどうするかの大論議となったことを報告した。財政的にも成功したことを確認し、「長崎・広島公演を成功させ、ひき続く山口、岩国、そして沖縄公演に向けて奮斗していきたい」とのべた。
劇団はぐるま座を代表して挨拶した斉藤さやか氏は、実行委員会の奮斗に感謝をのべ、当日舞台に立った俳優の感想を紹介。「客席との関係でとても安心感があり、これまで経験したことのない集中度が伝わってきた。客席の細かな反応、息づかいまで直に伝わり、客席と垣根がなく呼吸をともにしながら演じた」「戦争体験世代の方方が、今の日本、これからの日本のために真実を語らなければならないという思いを切実に語っておられ、若い世代もじっとしていたら平和になるのではない、真実を知り、みんなが団結することがその出発点になる、という感想が寄せられている」とのべ、日本を変える力を持つ劇となってきたことへの確信を語った。
また沖縄場面の改訂や劇団58年の総括を重ね、体制の枠内で安住するのか、多くの人とともに現実を変えていく立場に立つのかどうかが迫られたことを明らかにし、「現実のなかで抜き差しならない葛藤を社会的・歴史的な骨格を持って描いていく燃えるような意欲性が分かれ道だった。劇団員一同、初演を終え真実を描くリアリズムの方向に挑む確信を強くしている。はぐるま座に託された使命として広島・長崎をはじめ全国を団結させて日本を変えていくため、まい進したい」と決意をのべた。
全国の公演に強い期待 家族に呼びかけも
感想交流では被爆者の婦人たちから、10年間の原爆展運動への確信と重ねて感動が語られた。家族や友人とともに観劇し、「これこそ戦争を知らない世代に、一人でも多く見てもらわないといけない」と家族で語りあわれ、「これは下関だけでとどめてはいけない。広島にいる甥や姪に広島での公演を見に行くように呼びかけている。“これを見れば前の戦争がどんなものだったのかがよくわかるから絶対に行くように”というと、友だちを誘って行こうといっていた」と意欲的な働きかけがされていることが出された。
戦地体験者からは、劇を通じて思い起こされた体験が堰を切ったように語られ、劇を通じて日本全国でこれまで語られなかった第二次大戦の真実を掘り起こし、二度と戦争のない独立した平和な日本を実現することへの期待とともに、さらに戦地の真実を掘り起こし、劇を充実させることなどの要望も出された。
大阪城の中部軍管区司令部作戦室で終戦を迎えた男性は、「当時を回想しながら感慨ひとしおだった」と語った。同期179名が沖縄の特攻で戦死したこと、復員する途上で広島の惨状を見たことをのべ、生きながらえた者として戦友たちの思いを背負って日本の復興のため、必死で働いてきた経験を語った。「アメリカは戦争を終わらせるために原爆を投下したと正当化しているが反駁する者がないことを残念に思ってきた。アメリカは戦後日本人の精神構造を破壊するため、諸政策を実行してきたが、とくに教育で日本をダメにするための政策を徹底しておこない、それが今現在、教育でさまざまな問題をひき起こしている。これはなんとしても早く直さないといけない。この劇は、日本人の精神改革をやるいい機会になる」と期待をのべた。
戦地体験者の男性は、「ぜひ今年中に沖縄で公演してほしい」と強い要望を語った。終戦を迎えたテニアン島では、民間人の80%が沖縄出身者で、引き揚げ命令が出たときにはすでに制海権はなく、ほとんどが沈没させられて亡くなったことなどを語り、「沖縄の人人は外地でもひどい目にあい、故郷もアメリカによってひどい目にあわされた。二重、三重の苦痛を受け、60年以上たった今なお米軍基地がある。アメリカの第一線はグアム、サイパン、テニアンだ。戦争を始めれば日本を盾にするつもりだが、その第一は沖縄だ」と語り、米軍基地撤去の運動を全国に広げることへの切実な思いを語った。
生きる指針を示す演劇 現役世代も共感
若い世代からも意見がのべられた。市民の会の婦人は、神戸空襲を体験した80代の男性が観劇し、「平和ぼけしている人に見てもらいたい。このままでは日本は沈没する。これを全国で見てもらえば、今の日本が変わるのではないか」と語っていたことにふれ、「体験者の方は切実な思いを持っておられる。ぜひ全国に行って少しでも日本をよくしていく力になってほしい」と語った。
小学校一年生から高校生まで50人近くで観劇した小中高生平和の会の教師は「これまで平和の会で被爆者や戦争体験者の方に体験を学んできたが、舞台の上に体験者の方方がおられ、語りかけてくださっているという一体感が子どもたちのなかにあった」「みんなのために頑張ることがすばらしい生き方だということを子どもたちなりにつかんだと思う」とのべた。
教師からも、「演劇は楽しませてくれるものだというイメージを変えられるものだった。これからの社会をどうとらえ、どう生きるか指針を指し示してくれるものが本当の演劇なんだととらえ直した」「“平和ぼけしていないか”など劇のなかで語られる一つ一つの言葉が自分に問いかけられ、教師としてどう生きるのかという問題としてとらえることができた」と感動が寄せられていることを紹介し、「小中高生平和の会もこの劇を通じてもっと大きな運動にするために頑張っていきたい」とのべた。
長周新聞社から今回の公演が創刊55周年記念公演として成功したことへの感謝とともに、「紙面で五五周年総括意見を掲載しているが、ほとんどの方がこの劇のことを書いておられる。今日の日本の現状から、このままいけば日本はアメリカの盾としてまた戦争に巻き込まれるし、アメリカから召集令状が来ると、切実な思いを持って語られている。劇のエピローグの内容はこれから長周新聞が頑張らないといけない課題だ。みなさんとともに、本当に戦争を阻止するために長周新聞も奮斗していきたい」と語られた。
最後に実行委員長から、この劇の成功を機に下関でさらに原爆展運動を発展させ、第二次大戦の真実を語り継ぐ運動を進めていくことが提案され、高揚した空気のなかで散会した。