下関市役所で原爆と戦争展 下関原爆被害者の会は17日から下関市役所一階ロビーで原爆と戦争展を開催している。共催は下関市民の会。会場には「第二次世界大戦の真実」「全国空襲の記録」「下関空襲の記録」「沖縄戦の真実」や「原爆と峠三吉の詩」など97枚のパネルが展示されている。
市役所での原爆と戦争展は、毎年8月15日の敗戦記念日を前後して開催してきており、今年で4回目となる。戦後65年目を迎える今年は、戦争体験世代をはじめ、中学生や高校生、小学生たちや、20代、30代の母親たち、親子連れ、仕事で市役所を訪れた人などが足を止め、じっくりと見ていく姿がめだった。また「この展示を見に来た」と意識的に訪れる市民や、「できることがあったら協力したい」という若い世代など、昨年とも違う真剣な空気に包まれている。
戦争体験世代からは、パネルと重ねて体験が語られた。東京大空襲のなかを生き残り、下関空襲も経験したという91歳の男性は、「東京でもアメリカのやり方は油をまいて逃げられないようにして焼き殺し、下関でも同じやり方をした。アメリカはものすごく残酷な国だ」と語ってカンパを申し出た。
門司の暁部隊にいた男性は、「暁部隊は糧秣の調達をしていたが、最後にはもう送る兵器がなかった。一つの船団のうち一隻くらいしか武器を持たないまま出ていって、撃沈された。本当に早い時期に戦争をやめていたら、あれほどまでに死ななくてもよかったのだ」とパネルを見て語るなど、「あの戦争はなんだったのか」という論議が被爆者とのあいだでかわされている。
長府から来た男性は、ゆっくりとパネルを見た後、「自分も特攻隊に志願して行ったが、ぎりぎりで出撃しないで終戦を迎えた。しかし同僚や先輩がだいぶ死んでいる。戦争は二度とやってはいけない」と語気強く語った。「天皇のためにたたかった戦争なのに、戦後は生き残った者も苦労ばかり。天皇はなにも苦労はないだろう。私は亡くなった人のために、せめてもの自責の思いから、自治会長などを長年やってきた。今の世の中また戦争になりそうだと思う。二度と戦争をくり返させてはいけない」と強い思いを語っていた。
「このパネルを見るために来た」という60代の婦人は、真剣に一枚一枚のパネルに目を通し、「アメリカというのは二重の思想だ。口ではいいことをいって、こんなにむごいことがよくやれる。恐ろしいし腹が立って仕方がない。日本の政府や上の方も頭の中はアメリカになっている。こんなことをされて、まだペコペコして…」と憤りを込めて語った。この日の為に、以前購入した『沖縄戦と全国空襲』の冊子を読んで来たが、「今日の展示はそれとも違い、言葉にならなかった。天皇も自分を助けてもらうために戦争を長引かせ、勝ち目がないのにかり出したんですね。このパネルを見ると最後の一年に出ていった人はほとんどが餓死と病死と書いてあったが、自分の父もそうだった。なんのための戦争だったのかを一層感じた」と語った。
また今年は若い世代が真剣に見ていく姿が特徴となっている。ある市内の男子高校生は、時間をかけて一枚一枚丁寧にパネルを見て、「体験者の記事が生生しく、学校で習うのとはまったく違った」と驚きを語り、「手伝うことがあったらぜひ連絡してほしい」といって賛同者に名を連ねた。アンケートには「罪のない人人を巻き込む戦争は許されるものではないと思った。私は落とされた日本が平和を訴えるだけでなく、落とした国、ひいては保有する国が核兵器の恐ろしさを知り、平和な世界を目指すべきだと感じた。今こそ全世界が同時に平和を目指すべきだ」と書き込んだ。
真剣な表情でパネルを見ていた36歳の会社員の男性は、「今日は時間がないので、また機会があったら教えてほしい。手伝えることがあったらなにかしたい」と今後の協力を申し出た。「このような貴重な資料の展示、少しでも戦争の悲惨さがわかるよう、絶対に語り継いでいかなければならないものだと思う。基地問題に揺れている現在だが、米軍には無条件撤退してほしい。自国の領土が占領され、戦争のために使用されているなんて許せない」とアンケートにも書き込み、賛同者に名を連ねた。
小学生の子どもを連れた母親が、被爆者の話に真剣に耳を傾け、「来てよかった」と喜んで帰ったり、「一日では見きれないのでまた来ます」といって会場を後にする人なども多く、会場に交代でつめている被爆者も、「今年は朝からじっくり見ていく人が多く、前回とは違う雰囲気で熱心に読まれていく人が多かった」と今年の反応の強さに驚きと喜びを語っている。戦争体験世代の人人とも体験を交流しながら、「思い出したくない、涙が出るから語りたくない体験だが、今私たちが語らないと、大変なことになる。勇気を出して体験を語ってください」と呼びかけたり、若い世代が見ているところで体験を語るなど、積極的に働きかけをしている。市役所ロビーでの原爆と戦争展は20日まで開催されている。