東日本大震災の復興財源として消費税増税を財界や政府、御用学者側が唱えている。東電が支払うべき膨大な賠償金も、「東電が国有化などなったら株や社債を持ち融資をしている銀行が大変」「市場が腹を立てて金融不安になる」などといって、結局は電気料金と政府負担、すなわち税金、国民負担に転嫁しようとしている。なるほど国民の高コストによって東電の原発は低コストであり、原発は断固推進せよというのである。
メディアに出てくるタレントは「ひとつになろう」と連日叫び、あっちからもこっちからも義援金の袋が回ってくる。そして税金負担や電気料金負担を断るのは、東北の人たちに対して薄情な国賊であるかのような空気が締め付けてくる。
忘れていけないことは日本は世界一の債権国であり金がないのではないことである。数百兆円にのぼるアメリカの国債や証券化商品を返してもらえば簡単に資金はできる。日本経済がつぶれるかという大災害に際して「アメリカに対する思いやり」などといっている場合でないのは世界の常識である。だから大震災直後に円高になった。それはアメリカなどへの証券投資を引きあげるとヘッジファンドなどが見なしたからである。しかしすぐに円安になった。「借金を返せとはいわない」という日本の金融機関や政府の卑屈な姿勢を知って安心したからである。
また金をもてあましているのは、農漁業を犠牲にし、派遣労働などで労働者を酷使したり、海外移転で大もうけしてきた大企業である。もっとももうけている大銀行は税金を払っておらず、日本の大企業は二百数十兆円の内部留保をため込んでいる。さらに大企業の経営者が1億円から10億円の年収を得ているように、富裕層はとてつもなくもうけている。かれら持てるものから税金をとればよいのだ。「日本は一つ」というが、かれらはまったく「一つ」のなかに入っていない。
オバマ政府やアメリカの財界は「日本の復興のために協力を惜しまない」などといっている。協力を惜しまないのなら借金を返せばよいのだ。それは絶対にさせないし、復興需要はよこせという火事場泥棒の論理なのだ。アメリカに押しつけられた原発(GE製)が爆発してひどい目にあっているのに、アメリカの原子力専門家や米軍が助けてくれたといって「永久に忘れない」と菅直人がいう。そして、「トモダチ作戦」を敗戦後の「ギブミー・チョコレート」と同じように有り難がり、米軍への「思いやり予算」は五年継続を決めグアム移転費用の上乗せにも応じようとする。
財源は増税といいながら、財界とその代理人どもが被災民の頭越しで、「再興ではなく新しい創造だ」などといって「復興構想」に色めき立っている。被災地では都市づくり構想が第一といって、勝手に家を建ててはならないという規制をかけている。これが現地で歴史を持って根付いている人人の側から、かれらが担う農漁業をはじめとする生産労働を基本にして復興するものではなく、それを排除して財界にとって都合がいいように、東北のいっそうの食いつぶしをやろうとしていることは明らかである。
新自由主義なる金融資本のもうけ一本槍改革で、農漁業は破壊され、製造業も困難になり、働く人人はさんざんな目にあった。それが大震災からの復興を困難にしている。それを大転換させるのか、アメリカや財界の火事場泥棒をまかり通らせるのか、日本の進路をめぐる大きな対立点となっている。