民主党の代表選挙があり野田財務大臣が首相になった。しかし国民の大多数はさめている。「首相にだれがなっても変わらない」という世論は定着している。2年前の自民党の大惨敗は、戦後の対米従属の売国政治、直接には中曽根から小泉へつづく新自由主義改革による日本社会の大崩壊に対する怒りの爆発であった。代わった鳩山民主党政府はつぎつぎに公約を破棄してヨレヨレになって破産し、菅が登用されるとあからさまな小泉以上の新自由主義改革に突っ走り、大震災が来て破産した。今度はあまり人が知らない野田だが、これは自民党との連立の方向で、翼賛体制突っ走りの気配である。
普天間移転問題も、消費税増税問題、TPP問題、円高問題、原発事故問題も、だれが首相になっても、アメリカが背後にいて指図されて動いている。それに抵抗する要素はメディアや官僚、検察などがよってたかって叩きつぶしてきた。日本の政府を動かしている権力者は総理大臣などではない。日本の最高権力者はアメリカであり、その目下の権力者が財界である。そして官僚機構、メディアなどあらゆる権力機関がその道具になって、政治家を使用人として動かしている。だれが首相になっても、国民のためにとか、国益のためには動かない根拠である。
原発はメルトダウンしたが、政党政治もメルトダウンしている。しかし政党があてにならないからといって国民は黙って絞め殺されるのを待つわけにはいかない。権力者がいかに権力を振るい、イカサマ金融がいかに詐欺で金をかき集めようと、その力と金の源泉は働く勤労大衆の存在である。この勤労大衆が全国的に結びついて、共通の敵に対する共同のたたかいを起こすならば、いかなる権力者もうち負かすことができる。
1950年8・6斗争にはじまる原水爆禁止運動は、朝鮮戦争でもベトナム戦争でもその後の戦争でも原爆を使用させない力になった。それにつづく60年安保斗争は戦後最大の全人民的な政治斗争となってアイゼンハワー大統領の来日を阻止し、岸内閣を打倒した。そのような大衆的な基盤を持った全国的な政治斗争こそが日本の政治を動かす力となる。いまその機運は下からひじょうに大きくなっている。
那須三八郎