国政選挙には誰でも出馬がかなうわけではなく、エントリーするためには選挙区で300万円、比例なら600万円もの供託金が必要になる。一定程度の基準を満たす得票を得られれば選挙後に返還されるものの、泡沫であればこれらは全額没収である。下関市議選の供託金が30万円、山口県議選の供託金が60万円というように、地方議会選挙への挑戦ははるかに条件が緩く、町村議会になると供託金すら必要ないが、こと国政になるといっきにハードルは跳ね上がる。売名のために道楽で出馬できるカネ持ちならまだしも、入口(エントリー料)だけでこれほどの金額がかかるのだから、一般的には尻込みしても無理はない。
選挙活動にかかる経費はすべてが自己負担というわけではない。選挙カーの看板製作費、事務所看板の製作費、選挙演説用看板の製作費、政見放送の映像制作費、ポスターの印刷代、公選ハガキの印刷代(上限がある)やその郵送費、新聞広告代、選挙チラシの印刷代(上限あり)、選挙カー運転手の日当、選挙期間中の選挙カーにかかる燃料費(タクシーに委託すれば別ルールが適用)など多岐にわたって公費助成を受けることができる。ただ、これも得票が泡沫で供託金没収になるとみな自己負担に様変わりするところが罠であり、落とし穴でもある。甘い考えで出馬して惨めな敗戦をくらうと、供託金300万円(比例なら600万円)、なおかつ公費助成を当てにしていた一連の選挙経費が総額にして1000万円以上かぶさってくる計算となり、ざっと2000万円は下らないカネがかかるのだ。自民党政治家などは2000万円以内で選挙をしている者などおらず、それは1億5000万円を党本部からもらっていた河井案里事件が示すように、諸々の裏技も駆使しようとするとカネはいくらあっても足りないのが実態なのだろう。
こうした国政選挙に身を乗り出していざ挑戦しようというとき、候補者本人のやる気だけではとてもではないが乗り切ることなど不可能である。陣営には相当に選挙実務に長けたプロないしは経験者がいなければ、一連の選挙手続き一つとってもスマートに進めることなどできないし、事務所を上手に統率する(様々な些末な問題が発生する)存在も必要不可欠だ。
あるいは公示日を迎えたとして、誰がどうやってポスターを張るのか? も鬼門となる。例えば今回の参院選でれいわ新選組が候補者を擁立する福岡選挙区を見てみると、およそ9000枚もの掲示板にポスターをその日のうちに張り出さなければならないが、1~9000番台に割り振られた一つ一つの掲示板(公示前に選管より地図・住所がもらえる)について、誰がどの地域を担当して、何枚張るのかをすべて人員配置していくのもなかなか至難の業である。衆院選であれば選挙区も小さく枚数も限定されるが、「福岡県」全体が主戦場になるのだから相当な労力を要することになるのだ。業者に委託すればこれまたとんでもなくカネがかかる。これらの実務を裏方である選挙スタッフたちがぬかりなく回してはじめて表舞台の候補者その他が御輿に乗れるわけで、選挙とは実は重荷を担ぐ裏方の結束力があってなんぼなのである。
今回の参院選には雨後の竹の子のように出てきた諸政党も挑む趨勢である。なかでも「NHKをぶっ壊す」から変遷したN党が都市部では何人もの候補者をまったく同じ選挙区で擁立(当選が目的ではないことは歴然としている)するなど、戦略もさまざまのようである。そのような選挙情勢を傍目に見ながら、前述したようにエントリー料だけでもバカにならないのに、「いったい誰がカネ出してるんだろう…」「パトロンは何者だろうか?」という疑問もわいてくるのだった。
武蔵坊五郎