「この男は何をのたまっているのだろうか?」――。岸田首相がロンドンの金融街でぶち上げた「資産所得倍増プラン」には、多くの国民がキョトンとしたのではないだろうか。昨年の自民党総裁選時期から「新しい資本主義」などという曖昧模糊としたスローガンを標榜し、池田勇人にならったのか「所得倍増」なんて言葉も飛び交っていたなかで、なんのことはない。意図していたのは単純に賃金が増えることによる所得倍増ではなく「“資産”所得倍増」であって、2000兆円ある日本国民の金融資産について「眠っている預貯金を叩き起こし」、制度変更も伴ってNISAなどの投資熱を煽るといって、金融街の猛者たちに「餌がありますよ」アピールをしているのである。第一に資本主義として新しくもないばかりか、リーマン・ショックからこの方、強欲資本主義といわれてきた実体経済をも蝕む擬制経済の領域をさらに拡大させるというにすぎない。そのために「日本国民の2000兆円の金融資産」を誘導していくという世界に向けた宣言なのである。これは博打のテラ銭として国民の金融資産を差し出すことを意味しており、ふざけるのも大概にしろ! といわなければならない話である。
そもそも国民の預貯金を誰の金だと思っているのか? である。バカみたいに長期にわたる低金利政策を続け、今時は銀行に預金しても雀の涙ほどの金利もつかない。否、むしろ引き出しや預け入れの度に利息以上に手数料をとられ、カネを預けてもらっているくせに取るばっかりで、引き出し額には制限まで加わる。銀行とは何様なのだろうか? と思うほどである。「その昔は一定のまとまった金額を定期預金なんてしていたら、結構な利息がついていた時期もあった」とバブル期を経験した世代の人たちは教えてくれるものの、社会人になって口座をつくってからこの方、超低金利しか経験したことのない者としてはまるで別世界の話を聞いているような感覚すらある。いうなればこの四半世紀にも及ぶ超低金利政策によって、本来なら社会に、国民の懐に回るべき利息収入は問答無用で奪い上げられてきたに等しいわけだが、さらに踏み込んで、預貯金そのものも投資に振り向けさせ、みなの虎の子をマネーゲームの餌食として吐き出させるというのである。
その場合、資産が増えるばかりか減ることもあり得るのが投資であり、ハゲタカファンドたちが「ミセス・ワタナベ」(日本の素人投資家の呼称)などといって合法的に資産をせしめていく可能性の方がはるかに高いことはいうまでもない。資産の横取りゲームにおいて、素人はネギを背負ったカモなのである。そして、投資したのは自己責任であって、資産が目減りしてもそれは本人の責任で片付けられる。2000兆円が4000兆円に倍増する可能性よりも、食い物にされて1000兆円とか500兆円に目減りすることの方が現実的にあり得る話であろうし、果たして「資産所得倍増」などという博打に身を委ねる人間がどれだけいるのかも疑問である。
「眠っている預貯金を叩き起こす」――。何度もいうように、そのカネは眠っていようが起きていようが国民一人一人の大切な預貯金であって、そもそも岸田文雄に叩き起こされる筋合いはない。社会が閉塞して将来不安も払拭されないがために、防衛的心理が働いて大切に貯めているカネであり、むしろあえて眠らせている性質のものともいえる。マネーゲームの狂騒に叩き起こされてスッテンテンにされるくらいなら、雑音から距離を置いて眠っていた方がはるかにマシであろう。
ただここまで「叩き起こされる筋合いはない」なんて散々書きつつ、ふと我が身を重ねて考えてみると、そもそも眠らせるほどの預貯金すらない者は、眠るとか起きる以前に資産自体がない部外者であって、何も関係のない話なのだった。要はミドルクラスの小金持ちから剥ぎ取ろうという算段なのだろう。
吉田充春