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環太平洋の噴火生むプレート運動 海底火山噴火はどうやって起こるのか

 太平洋の島国・トンガ王国付近にある海底火山「フンガトンガ・フンガハアパイ」で15日、1000年に一度といわれるほどの大規模な噴火が発生し、約8000㌔離れた日本でも津波警報が発令されて人々を驚かせた。日本もトンガと同じ太平洋の環火山帯に位置する火山国だ。海底火山とはどういうところにあり、どんなしくみで噴火するのか、研究者が発表しているものを手がかりにまとめてみた。

 

 トンガはニュージーランドの北東1800㌔に位置する171の島からなる国で、人口は10万4000人。その7割が本島のトンガタプ島で暮らしている。1900年から70年まではイギリスの保護国だったが、その後独立し、2010年には伝統的な絶対王政から立憲君主制に移行した。

 

 今回の爆発的な噴火で、噴煙は海を突き抜けて上空約20㌔と成層圏にまで到達し、また半径260㌔にわたって広がった。海底ケーブル損傷によって電話やインターネットがつながらず、全貌はいまだに不明だ。現地からは津波によって大規模な浸水被害が生まれていることや、リゾートビーチや熱帯雨林を含め広範囲に火山灰で覆われ、水が汚染されて飲料水にもこと欠くことなど、深刻な影響が報告されている。

 

 研究者は、今回の火山爆発の規模は1991年のフィリピン・ピナトゥボ火山の噴火と同程度かやや小規模とのべている。このときは火山灰が大量に成層圏に放出され、太陽の光がさえぎられて、2年後は記録的な冷夏となり、日本ではコメの大凶作となった。

 

 研究者によると、トンガ沖にも東日本沖にも同じ太平洋プレートが大陸のプレートとぶつかって沈み込む海溝があり、それによって火山列島となったのがトンガであり日本だという。

 

 東京大学名誉教授の蒲生俊敬氏は著書『太平洋その深層で起こっていること』(ブルーバックス)のなかで、「太平洋の環火山帯」について次のように説明している【図参照】。

 

 まず太平洋の東側を見ると、南北方向に緩やかな弧を描いて連なる大規模な海底の火山山脈がある。これは「中央海嶺」と呼ばれる。深海底から盛り上がった山脈で、そこでは地球内部のマントルから熱いマグマが噴き出し、左右にプレートが分かれていく。分かれていく速さは年間約10㌢と見られており、それは世界の海嶺のなかで最速。いかに火山活動が活発であるかを物語っている。

 

 一方、西側には北から南まで海溝が連なっている。今回火山爆発を起こしたトンガ諸島のそばには水深1万800㍍のトンガ海溝がある。水深1万㍍級の海溝は、日本周辺のマリアナ海溝、千島・カムチャッカ海溝を含めて世界に5つしかなく、しかもすべて西太平洋にある。

 

 東太平洋の中央海嶺で誕生し、西向きに移動する太平洋プレートは、太平洋を延々と横断し、その西端で大陸のプレートとぶつかって沈み込む。そこに海溝ができるわけだが、そのときプレートとプレートがこすれあうため、地殻にひずみがたまり、それがときどき解放されて海溝型の地震が起こる。

 

 一方、西太平洋の海溝のすぐ西側には、海溝と並行して火山による弧状列島や島々ができる(島弧)。沈み込むプレートがマントルに大量の水を供給し、この水がマントル物質と反応して融点を下げ、マグマが発生しやすくなるからだ。

 

 つまり、太平洋をとり囲む陸上では、ベルト上に火山が連なっていることから、以前より「環太平洋火山帯」と呼ばれてきた。他方、太平洋の海の中でも、活動的な海底火山が首飾りのようにぐるりと環状をなしている。そこが起点となって、歴史的に大地震や火山噴火が起こってきた。トンガ諸島付近でも900~1000年に一度の頻度で海底火山の大規模な爆発が起こっている。この前は西暦1100年頃だったという。

 

変動期に入った日本列島 価値観の転換重要

 

 このように何万年という単位で考えたとき、火山列島を周期的に大地震や大噴火が襲うことは避けられない。また、地球科学的に見たとき、東日本大震災以来日本列島は変動期に入ったといわれる。そのとき、われわれはどうすべきか。

 

 京都大学教授の鎌田浩毅氏は、『首都直下地震と南海トラフ』(MdN新書)のなかで「長尺の目」、自然と共に生きるしなやかな生き方を提起している。

 

 ギリシャやエジプト以上の文明が栄えていたといわれるアトランティス(地中海にあったことがわかっている)は3600年前、火山島・サントリーニ島の大噴火によって水没した。このカルデラ噴火で高温の火砕流と津波が押し寄せ、青銅器文明を滅ぼしてしまった。この付近の海底には火砕流の堆積物が残っている。

 

 日本でも7300年前の縄文時代に、鹿児島沖の薩摩硫黄島で大噴火が起きた。大量の火砕流が出て南九州一帯を一気に覆い尽くし、そこに暮らしていた縄文人は死に絶えた。海底には巨大なカルデラができ、残りの地域が小さな島々として残った。日本列島ではこうしたレベルの噴火が7000年に一度は起きている。

 

 しかし、南九州の縄文人は滅びたが、日本人全部が死に絶えたわけではなく、地震や噴火の日本列島で生き延びてきた。その子孫であるわれわれは、過去の経験に学び、被害を最小限に留めることだ。大事なことは、大量消費経済を高速で回転させることはもはや限界に来ていることを認め、わずか3カ月の四半期で結果を出すことを求める成果主義をやめることだ。首都機能を分散させ、地域コミュニティの力を強めることだ、と鎌田氏はのべている。自然に対する畏敬の念を忘れ傲慢不遜になった人間の価値観を改めることこそ大事、との提起は傾聴に値する。

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