下関原爆被害者の会は1日、下関市幸町の下関市勤労福祉会館で平成26年度総会を開催した。平成6年の会再建から今年で20年の節目を迎え、「私利私欲なく、平和な未来のために被爆体験を語り継ぐ」ことを使命に結束してつくってきた運動が、下関をはじめ全国に波及し、さまざまな運動の原動力となっていることを大きな喜びを持って確認しあい、安倍政府が集団的自衛権など戦争への道に進もうとしているなかで、原爆の惨禍を若い世代に語り継ぐ活動を発展させることを誓いあった。
会再建から今年で20年 教師はじめ全国に影響広がる
開会の挨拶に立った森正義副会長は、「あの戦争では人類史上もっとも凶悪な原爆が広島、長崎に落とされ、日本の都市という都市が空襲を受け、沖縄は島ぐるみ爆撃され、中国や南の島島では幾十万の兵士が犠牲になり、320万人もの大切な命が失われた。核兵器の廃絶は全人類の願いであり、第2次大戦の経験を私たちはけっして忘れることはできない」とのべた。そして再び戦争の足音が高まっているなかで、「あの戦争はなんだったか、その真実をしっかり若い世代に伝え、平和で豊かな日本を実現する力にしていくことが大切だ」と強調した。
総会の初めに、すべての原爆死没者に全員で1分間の黙祷を捧げた。
続いて大松妙子会長が挨拶に立ち、下関市民の会や小中高生平和の会、人民教育同盟などの協力で会の活動が支えられてきたことに謝辞をのべた。「安倍政府になり、戦争に向かっていくことに強い疑念を感じている。国民無視で我が意のまま憲法九条まで変えようとしている」と語り、原発再稼働や海外輸出など「福島原発の汚染水処理も未解決のままで最高責任者といえるだろうか。異議を申す閣僚もおらず、みな右に習えになっている。私たち原爆被害者は許すことができない」とのべた。こうしたなかで昨年1年間で9校の小学校で体験を語ったことを報告。「戦争を知らない世代の先生方や子どもたちが真実の話を一生懸命に聞く姿に、この子どもたちのためにも戦争の愚かさ、平和の大切さを伝えなければとの思いを強くした」と確信を持って語り、会員に体験を語り継ぐ活動への参加を呼びかけた。
来賓挨拶の最初に市成人保健課の小野洋一郎課長が中尾市長のメッセージを代読。結成20周年を迎える同会に対して、原爆と戦争展や被爆体験を若い世代に語り継ぐ活動、被爆者訪問相談などの活動に敬意を表した。また原爆投下から六九年が経過し、「被爆者の高齢化が進み、生活や健康問題、原爆を知らない世代が増加している現状にも強い不安を感じているとともに、東日本大震災から早三年が経過し、福島第一原発事故における放射能物質による汚染問題も未だ解決していないことなど、被爆体験に重ね合わせ、心を痛めていることと存じます」とのべ、核兵器廃絶の実現と世界に戦争のない真の恒久平和を願い、会の発展を祈念するとした。
県被団協の森田雅史会長は、被爆者の高齢化が進んでいることにふれ「若い力を借りて活動していきたい」とのべた。
原水爆禁止下関地区実行委員会の平賀彰信氏は、市内各地で原爆と戦争展をおこなってきたことを報告し、被爆者とともに運動を広げていく決意をのべた。
ここで原爆展を成功させる広島の会、同長崎の会、沖縄原爆展を成功させる会からのメッセージが紹介されたのち、25年度の活動報告がおこなわれた。
活動報告では再建総会で誓った「二度と戦争や原爆をくり返させない」「平和な未来のため、若い世代や子どもたちに体験を語り継ぐことが被爆者の使命」との精神を一貫して会の中心に置き、結束して活動をしてきたことが強調された。とくに2001年来の原爆展運動が全国へと広がり、沖縄の米軍基地撤去の運動や教育運動をはじめ各分野の運動の発展の原動力になってきたこと、市内でも被爆体験を学ぶ授業をとりくむ学校が広がっており、昨年度は熊野・安岡・江浦・川中・生野・勝山・清末・神田の九小学校で体験を語り、子どもたちや若い親たちの真剣さが年年強まっていることが報告された。昨年度は新しい会員が体験を語るなど、参加者も広がった。
また市役所ロビーや下関市立大学、勝山地区などで原爆と戦争展を開催するなかで、大学生をはじめ下関市民のなかで戦争を許さない世論の高まりを確信してきたこと、広島や長崎での原爆と戦争展や全国交流会を共催したり、下関市民の会の新春市民のつどい・市民交流会、「第五回子ども・父母・教師のつどい」などへの参加を通じて、被爆者同士、また幅広い下関市民や全国の人人との交流が深まったことが報告された。
「会再建以来、私利私欲なく体験を語り継ぐ活動の大切さを確認し、吉本幸子会長の遺志を継いで、それを阻むものと一線を画してきたことの正しさを確信させるものだった」とのべ、総会を機にさらに結束して若い世代に体験を語り継ぐ使命を果たしていくことが呼びかけられた。
続いて二六年度の活動報告が提案された。小中学校をはじめ団体や職場・地域などさまざまなところで被爆体験を語る活動をおこなっていくこと、高齢化が進むなかで、新たに会に参加して語ることのできる人を増やしていくこと、広島・長崎など全国の人人と協力しあいながら、原爆と戦争展運動や原水爆禁止の運動を発展させていくことなどが方針として採択された。
現行役員体制でひき続き結束して運動を進めることが確認され、最後に被爆二世の男性が「上関原子力発電所建設計画の白紙撤回を求める決議」を、同じく二世の女性が「総会宣言」を読み上げて提案、満場一致で採択された後、全員で「原爆許すまじ」を合唱して総会を終えた。
親睦深めた懇親会 会発展させる意気込み
総会後には、小中高生平和の会の教師も加わり、懇親会がおこなわれた。乾杯のあと、再建総会以来恒例となっている長周新聞社の青年たちによる合唱がおこなわれ、「花をおくろう」「ふるさと」の2曲が披露された。
その後参加者からは、1年の活動を通じて感じたことや、戦争へ進もうとする動きへの危惧など、和やかななかで活発に論議がかわされた。
昨年度初めて被爆体験を語った男性は、「昨年は四回体験を話した。子どもたちの真剣なまなざしを見て、今年も垢田小学校に参加させていただいた」と語った。「最初、自分は一生懸命話したが、子どもの質問を聞いてみると、戦争をまったく知らないので、わかっていなかった。これではいけないと思い、戦争があって原爆が落とされたことや、戦争がどんなものなのかというところから話している。すると子どもたちの質問の内容も深まってきた」と、どう伝えるか考えながら語っていることを話した。
同じく垢田小学校で体験を語った男性被爆者も、体験を聞いた班の男の子が帰りがけに手をつかんで離さなかったことを語り、「たった何時間かの話なのに、とてもうれしかった」と、心が通う交流となったことに喜びを語った。
最近被爆体験を語った学校に勤める小中高生平和の会の教師から、「6年生の担任の先生が、日頃の授業では“45分過ぎたよ”“終わりじゃないの”という子どもたちが、予定の45分を過ぎても熱心に聞き、たくさん質問をしていたことや、教師がいうのでは伝わらないが、被爆者の人たちが直接語ることで、子どもたちは真剣に受け止めて、生活も変えていることを話していた」と、その後の学校の様子が報告され、交流が深まった。
小中高生平和の会の宇部市の小学校教師は、「子どもたちも生活を変えているが、被爆者や戦争体験者に学んで教師の方も変わっている」と語った。逆上がり全員達成などの実践のなかで、子どもたちのなかで被爆者に学んだことがすべての基本となっている。それをもとに、できないことにも立ち向かっていること、今勤めている学校でも5月16日に逆上がり全員達成をやり遂げたことを語り、「平和の会も頑張って平和な世の中をめざしていきたい」とのべた。
日赤の看護婦として大村海軍病院で被爆者の看護にあたった90代の婦人は、「9日の午後に長崎に入って見たその惨状は目に焼き付いている。90歳を過ぎて、ほかのことは忘れても、あの惨状は頭にこびりついて忘れられない」と語り、体力が続く限り体験を語り継ぐ活動に参加したいと語った。
会再建当初からかかわってきた90代の婦人は、「若い頃は戦争、戦争で生きてきた。女でもお国のためになにかしたいと思うように教育されて、私も従軍看護婦になろうとした」と経験を語った。12人兄弟のうち兄4人が兵隊へ行き、シンガポールに乗り込んだ兄は肋骨が折れて帰ってきたこと、小学校の頃から軍の教官が来て、女子も運動会では鉄砲を撃ったり、軍事教練をしていたことを語った。
それを受けて活発な論議となり、「安倍首相がまた戦争をやろうとしているから、これからまたそうなるかもしれない。国民の生命と財産を守るというが、戦争が始まったら国民の生命なんか一番に奪われてしまう」「安倍さんは子どもがいないから、将来や未来の子や孫のためということを考えていないのではないか。俺は首相だという、現在のことだけしか考えていない」「原爆が落ちたらカッパを着て風上に逃げろというが、原爆が落ちたら、なにもかも焼ける。原爆が落ちたときの対策をするのではなくて、原爆が落ちないようにしないといけないのに、安倍政府はほかの国を突っついて原爆が落ちるようなことばかりしている。あれではだめだ」など、さまざまな意見が活発に出しあわれた。
16歳で被爆した男性は、肝臓がんの治療で内臓をすべて失ったことを話した。また終戦後、朝鮮などからの引き揚げ者の援護をするため、長崎で学生同盟の立ち上げにかかわった経験も語りながら「高齢化も進んでいるが、もっとこの会を繁栄させて、後世に原爆のことを語り継いでいかないといけない」と話した。
うちとけた交流のなかで、初めて自身の被爆体験を語り、今後参加を決意する場面もあった。前年度の活動の発展を喜びあい、今年度も被爆体験を語り継ぐ活動を中心に、会を発展させていく意気込みがいきいきと語られ、意欲あふれる総会となった。